第1話

文字数 12,730文字

 アスファルトの陽炎がルージュのズレに嫉妬を帯びて、彼女にフフッ、おもしろい。後腐れのないキス、そんなものではない。だらしなさが横幅を利かせ、今日のこの日を昨日から続く明日へと引き伸ばさせるのだ。そんな意図も手探り、そして彼女は手から垂れている缶ビールを口に運び一口含んだ。

 生温い風が吹く午後、曇り、時々降る。Tシャツ、Gンズ、サンダル履きで横断歩道をなぞっていく。ポケットの小銭がチャラチャラ、手にはビニル袋。その中はいつも買う週刊誌「W」七月号、カップラーメン195円、缶ビール二本。山手通りを渡ると往来は沈み、交差点の涼しい所でヒソヒソ話がひんやり深く、冷たくまどろんだ腹に響く。

 風に揺れる茶のかかった髪、肩まで。線の細いあらわれは女性らしくて○。黒の色素の薄い瞳は優しく語る温度、湿風に堪え、写真機には今日の日付で彼女の足元が写された。二人の記憶はいつも新しく虚しい。いくつの季節が光をさらい、一刹那の涼しい風が一度にたくさんの思い出をくれる。哀切のプレゼント。この時まだ彼女への接し方が巧くなかった。

 渡り切った所で恐らく初めてであろう煙草に火をつけようと。湿った煙草になかなか火が着かず、この国のこの季節を少し恨む。責任転嫁により、ところどころ気象庁は眠れない。予測のつかない女である、ひとり。私の時間を強奪するのは朝飯前で、その罪の行方は彼女が分けてくれた時間がうやむやの煙と空に溶かした。
 彼女の名は村山小夏。昨日、恋人が死んだ。
だからという訳ではないだろうが昼夜に関わらず酒を呑んでいる。ビール、ヴィスキー、カルーアミルク。昨夜はトイレで三回吐いた。複雑な心肺、雑多な胃内、色取り取りの万華鏡、あの色使いはなかなか真似できない。惨敗。

 恋人の訃報を聞いたのは青山のイタリアンレストランで友人とランチ、スパゲティの最後の一本に苦戦していた時だった。不思議な感情は一緒だったはず。目の前でフォークが5ミリ傾いて、私は彼女が冷静だったことに、彼女はそんな自分に窒息しそう。見かけには期限内にレンタルビデオを返し忘れたよう、些か損したような気分で、でも面白い映画だったのでいいか、懸念を揉み消すのを取り繕ろうとしてかオレンジジュースを一口含んだ。
携帯電話から聞こえてきたのは突飛な話。でも彼女は信じたろう。自殺だった。
「死後のことなんて死んでみなけりゃ分からない」
と男は生前よく言っていたが、まさかこうなるとは・・・。

 彼女の死んだ恋人は売れない小説家。名前は尾高鳥之介。
何故、小説家を目指すのか。その理由が他の者には全く見当の付かないくらい彼は本を毛嫌いし読まないことでも学内でも成績表の著名だった。毎日の新聞は一度も開かれること無く、テレビ欄にのみ珈琲の染みが残り、週に一度の資源ゴミに出される。そして本を読まない理由は誰にも話さなかった。ただ彼が精神を患っていたことも皆の知れるところで、煙草の数と酒の量は誰にも負けないと生前の噂、後達への口伝もあった。
 未読の蔵書も数知れず、その所以、文字には疎しく、知識も経験も雀のや猫の額と自ら存知、下手の横好きと自負することもしばしばだったが、結果その通り、綱渡りで蛇行するようなヘタな小説ばかり書くに勤しんでいた。
 その行方を温かく見守り、勇気を与えていたのが彼の物忘れの特技であった。友人にどんなに酷評を受けようが次の日には忘れていた。
 その特技で尾高は明くる日も明くる日も書生を続けていけたのである。でも日常にはその特技も人並みの慎ましさを持ち、都合の悪い記憶にだけモヤをかける自動装置を備えていた。
 酔って気分の良い時には試合の結果も忘れて気にせず、「阪神タイガース万歳」、口癖だし、寝言にも言っていたろう。

 小夏にはこの度の訃報は或る意味、安堵に代わったかも知れない。
後朝の珈琲を沸かしたり美術館のチケットを取る時間や手間の必要が無くなった。色んな意味で打ち切り。世話好きな女だった。言葉にも今この特異な、手に取れない四次元にも嫌味は無い。そして今此処に在る事の十分に理解し、頭蓋の外、記憶探しの真善美との闘いがゆっくりと定義されようとしていた。褪せる事の無い想い、アルバムを捲れば思いの外、友人が多かった。
 その内の一人に彼女を数える訳ではないが、優しさや平安を求めるだけならそれは恋以外の何かに溺れているだけ。喧嘩をしたり一日口を利かない事も、五年を越えると、素朴な友愛、という共同生活に変容を遂げ、しっとり肌に馴染んでくる。そう想いたかったし、納得したかった。

「今日こんな事があったんだよ」「どんな話」窓際に腰掛けて、彼女がカップから珈琲を匂わせ近付いて来る時間が、孤独という黄昏の虚無をどうにかこうにか埋めてくれようとしていた。煙草が美味い時も酒がしょっぱい時も、思い起こせば隣には彼女がいた。

 愛が無かった訳でも無く、恋と呼べるのかどうか、それが何かに発展しなかった単なる片恋慕だった訳でもない。ただ指輪を買う金が無かった。そしてそれを渡すきっかけも勇気も理由も。洗い物・洗濯物係と買出し・料理係ぐらいの折衷は自ずと定着した。しかし「明日死ぬのかな」尾高のボヤキは小夏には届かなく、眠れなさに夜夜の接吻の数のもの足りなさを言い訳にしていた。
 尾高は彼女に自分の胸と頭の痛みを伝えることはしなくてもどかしい思いをしていたが、彼女は彼女で包丁で指を切った時ぐらいしか彼に甘えることはなかった。絆創膏は各種常備していた。そんな夜には二人でからまり絡まって、眠れるだけ眠った。どちらが先に布団を抜けるか、朝朝気遣いを耳に意識していた。

 尾高がたまに洩らしていた、「文字の複数定理がつらい」。彼の抽象文法は言葉の多元の有能性を恨み不自由さを讃え、彼女との生活の一部を朗らかに筆にしたためたエッセイ係りだったり、友人に文を介し、退屈さやマンネリの世迷いを、無垢に生きていること、の罪に投げ掛ける嘘の方便、何も想い付かない時は小夏との些細な茶飯事を毎日に省みらせた。冷房を使うか窓を開けるかで揉めたし、お菓子の賞味期限の信憑性についても二、三日論議した。最初に食べる方もジャンケンで決めた。つづき思慕の感情は一人歩きし、夕暮れにつれない彼女をみると煙草が途方もなく不味くなる、目の前の湿気た面の美しさに今日の、遥か遠き国の泣き声が、胸に摘まされ、深酒の理由を月に帰らせた。遥か遠く上の方からこの理由を知っている誰かに見られているような感覚が絶えず、赤い目と右手のタバコを燻らせ、「タバコのケムリが目にシミて」と、リキュールと酒器を揃えたお茶の間ジャズバーには似合いの世辞を述べた。

 いつも物書きをしていたカウンターテーブルでクソ不味いウォッカを溢れさせ塞ぎ込むのに、村山小夏はここぞとばかりに尾高にカメラを向けシャッターを押したが、その一瞬の連続を記録したのは銀塩板ではなくて日当たりの悪い流し台の傍の夥しい酒の空きビンどもだった。二日酔いの朝には掃除機をかける邪魔になるのに言い訳のしようもなかった。そのせりふも飲み込むのにも決まって寝起きは悪かった。

 彼とは別の理由だろうが村山小夏は本を買ってきても読まなかったし、ケンカの時に彼に本を投げつける様を思い返すと、尾高は彼女に砕胸に及ぶ好奇心を駆られたし、愛しくて止まなかった。訃報を聞いたあの時も小夏のななめ前テーブル上にミートソースで表紙が汚れた本が置かれているのがおかしくてたまらない。
「どうしたの」
「わからない」
席を立つ。
「残すの」
「あげる」
彼女は友人には恋人の事を話さず、一人で店を出た。
結局スパゲティは一本残ったまま。

「私は彼女を愛していた                              彼女は私を愛していた(ハズ)」

 さて。村山小夏は現在、写真家である。女性誌の観光スポットのコーナーの写真を撮り、またコラムも載せている。旅をしては写真を撮って、帰って来ると恋人に旅の話を聞かせるが、自分でコラムを書いたことは一度もない。

「(前略)この旅館のさくらの木には名前が付いており、幸舟、この一本には天空や畝に頼る自由が許されており、ちょうど庭師なんて入っていたものだから、女将がうちの部屋の縁側に茶托を用意して、くたれた枝木に風吹かば、花吹雪の乱れ模様に献をすすめ、いずれは先に朽ちるこの身を、障子に悶えさせておりました。(中略)今度は一緒に来たいね、なんて独り言に興じ、夜中に廊下でスリッパを蹴飛ばす。(中略)朝、個室の温泉の混浴に花びらの訪ねてきたのをひらい、凄くエロティックな気分に。浴衣がしゃんとしないまま、鞄に女将からの挨拶文を仕舞い、シャツの襟を態としならせる。ふしだらな女性記者だな、と思わせるのが得手と思って。タクシーを呼んでもらい、へぎ蕎麦の上手い店に田畑の芽吹くのを眺めながら、なかなか着かないのに長春の憎み、(中略)JR新潟駅からの新幹線の車内に土産のキーホルダーを忘れてきたのもあり、急に暖かくなった東京に汗や眩しさなぞの実感が湧くまで、喫茶店の窓から通りを眺めておりました。もし、この時期、新潟に行く機会のありましたら、『康平安』、おススメの宿、一人なら三泊、カップルで泊まるのであれば二泊三日が程好いでしょう。」

 写真にはその桜の大木、剪定された枝、花びらの散らかった縁側、女将の笑顔とへぎ蕎麦の空の器、etc,etc,,,,、見出しに「新潟!呼べば来る春も求めずば過ぎし」。筆書きで薄紅色のレトリック、綺麗なグラデーションが施された。毎度の事だが写真以外の思い出、チケット、カタログ、土産物のレシート、は屑篭に放られた。

 旅先でどこまでの贅沢をしているのか詳しくは知らないが食に関してはあまり写真に見せるようなこだわりは持ってはいなかった。彼の家に来ては技術的にも素材的にも拙く、時には食べ物とは言い難いような尾高流ドメスチック・フードを飄々と平らげた。また彼女が「うちで一緒にカレー食べない」と誘ってきた時も、行ってみると焦げたナベの横でレトルトカレーを温めていた。料理当番の日といっても献立は栄養士の見掛けに叶う物であるという盟約はなかった。

 インスタントな恋だったのか、風邪をひいただけだったのか。答えの出ないまま夜毎、夜道に模索を引き摺っていった。そして忘れて、汚れたテーブルの上、埃を手で払い、珈琲のカップとコースターを揃えて飾った。簡易コーヒーには苦いも薄いも無かった。自在であり、空腹であった。机上の筆を休めては二人近所のレストランにも出掛けるが、ランチメニューは新しいもの順で食べ、深夜の小休にはいつもアマレットを紅茶で割ったものを頼んだ。

 仕事で旅行に行っては写真を撮り、どんな味だったかを類推するのに、食材から、季節から、土地柄から、多方面の貧しい知識を振り絞らなければならなかった。そして「美味しかった」「普通」「不味かった」を彼女の舌に残った香りで確かめるしかなかった。意志の疎通を文体に写す過程で、男と女の間の嘘八百を、皆にまで痴話、悶着の話を商業と垣間見せる必要に迫られた。出不精の男には打って付けの女と、持って生まれた分析力、そういう下心も多少はあった。

 そのレストランの前を通り過ぎた時、胸の汗が喉に込み上げたのか電柱の陰で村山小夏は吐いた。胃にぐるんと過去が廻ったのか、通りに人は居なく、店内から従業員だけが怪訝な顔を覗かせた。いつも見ていた顔なので文句も言えず、ニュースで事情を知る彼は背中を擦ってやるのも、おこがましさからだろうか、遠慮した。只眺めていた。そして小夏はまたふうらふうら歩き出す。次の電柱にぶつかりそうになり、寸前で回避し、目の前を黒い猫が二匹、じゃれあいながら通り過ぎた。
 小さな公園のブランコに更に眩暈がしたのか、それとも時間が巻き戻ったのか、今朝の目ヤニの取れないまま、砂場で遊ぶ小学生のカップルにカメラを向けてスローシャッターを押した。色、光の線が只何か横切っている、抽象戯画の形をフィルムに敢えて落とし込んだ。学生の頃バイトで幼稚園児の遠足の写真を撮っていた彼女だから必ず後で請求書を回すが、その時はボランティアの手合いで、何もせず立ち去った、というよりは子ども達に置いてきぼりにされた。雲の隙間から陽光の漏れて其処にだけ陽が差しているような写真だった。水飲み場の蛇口の締りが悪かった。植木の赤天道虫がぴらぴら羽をそよがせた。

 向こうのビル窓に見慣れない飛行機が通りすがり、日照らいの一筋、眩しかったのか、目が赤らんだ。ハンカチなんて持ち歩かない女だったし、しかし何もしてやれなかった。向こう橋のレールの軋む音や目の霞む航空機の望遠、道路のけたたましいエンジンの傲慢やら排気ガスの純度、びいどろの破片に、自転車の鼻歌、すんでの信号機が赤に変わり、立ち止まるのに息を苦しくするのに、やはり何もしてやれなかった。

 尾高は彼女に映像のイメージでは敵わないと言う。彼女は大学で写真を学び、学生時代に写真コンクールで賞を獲ったこともある。大学三年の冬、忘年会で酔っ払った拍子に「何が撮りたい」と聞き「世界そのもの」と答える。村山小夏は「とりあえず」と言って未現像のフィルムを渡してきたが、尾高は現像しなかった。山河海雲の相、言葉では足らず、細く白い指先のシャッター音、得ようが得まいが沈黙には必ず決まって胸騒ぎの理由が在る。そういうことなんだろうと思ったから、野暮をするほど無知でもなかった。

 二人はその頃から付き合い始めた。同伴で大学に通い、学食では芸術の話に花が咲き、放課後の待ち合わせに遅れてもどちらも気分を害さなかった。美術館巡りが週末の行事となり、その頃は、必ずしも惚れていない、ことが、二人の付かず離れずの絶妙な距離感を保った。その風に揺れるやじろべーのバランス感覚だった。爪先立ちで踊り唇を掠らせ、喫茶店のテーブルを挟んでじゃれ合うのも茶飯事となった。普段は仲の良かった二人も一度意見が衝突すると互いに我が強いため本気でケンカすることもあった。ケンカするほど仲がいいと友人の言葉、懐かしい。

 老人になるまで続けばいい、そう想う事で、大切な言葉を告げないまま尾高は引き出しに閉じ込め温めた。決して口にしてはいけない。筆を折るときも、本なんて物を読み始める時も、過去を省みずただ手の感触だけで今自分を格好つけさせる手合いを守り続ける必要が、その男にはあった。読まない理由は実は自分でも分からない。彼女の脳内イメージの方が気になり、嫉妬して、文章の呂律が回らなくなるくらい酒を嗜んだのも、夕暮れには寒い窓を開け、被写体となる街街パノラマや、その中の自分が特別視されている錯覚に溺れた。

 もう、未だに全く分からないその理由。彼女の右手人差し指はまるで魔法のように、シャッター音も、間も、なけなし三文小説家をその名前のその意味その由来のままに慰めてくれた。土産物品で乱雑した部屋に「貴方の居場所」と、そっと居場所を与えてくれたような気がした。その席だけは他の誰にも譲れない。例え、デマカセでも言おうも、落ち着いた間取りを崩さんと、本音にも悪気はないが、口にすることを草とさえ迷わず心に蓋をした。
 今思えば見せ掛けだけでも彼女にもっと似合う男になればよかったかも知れない。たまには気分だが小洒落たシャツを着ることもあった。しかしそういう日に限って小夏は機嫌が悪かった。

 ドアを少し開け、少しつまずいて中に入った。下駄箱には熊の木彫りとシーサーの置物が並んでいる。ペナントに思い入れはなく、仕事やそのステイタスの誇布の為にスーツケースに各観光名所のシールをペタペタ張るようなもの。新宿にほど近いマンションの一室。村山小夏は荷物を置き、ソファに横になる。震える、独り言、小声で誰にも聞こえなかった。
 裏手の神田川の沿道で散歩の老夫婦が愛玩犬の歯牙に、予想だにしなかった畏怖を感じ、危うく逃げられるところに、小夏の唄が洩れてくる。散歩紐を引き摺った犬が我先に路道にしゃしゃり出て車に轢かれそうになったところで、再び老夫婦の腕に帰る。夜だろうがよく鳴く仔犬で、老夫婦への道端での会釈にも夜夜の陳謝が省みられた。握力が衰え、新しい物好きの横好きの腕の中、その仔犬にその居場所はやぶさかでもなく安心できた。本当はちゃんとリードを握り締めていて欲しかった。しかし何分胸苦しく穏やかで油断させる午後だった。当たり前とは思わないが、小夏には車のブレーキ音も気に留める様子はなかった。ただソファの上で寝返りを打ちづらそうにしていた。ゆっくり空白が各部屋を訪ねていった。
「僕らはみんな~生きている~生き~ているから歌うんだ~」

 彼女は缶ビールを袋から一本取り出し、プルタブを開ける。一口飲むと立ち上がり、CDコンポのスウィチをつける。いつも二人が聞いていた曲はショパン、この時は「ポロネーズ第6番変イ長調作品53『英雄』」。この情熱的な曲は私に存在を有り難くする揶揄を与え、彼女には過去との戦争を、尾高には何も聞こえていないはずだった。
 凛々しく剣と盾を誇示する「英雄」、彼に追随する参列者という兵士達、そこにいる故人への偲慕を、雄雄しく聳え立つ居城に迎え入れ、戦いの旗は降ろされ、無駄に気高かったプライドの忘れ去られていく刹那の連続に無常観を巻き起こす。一曲、その間に彼女はビールを一本全て飲み干した。
 いつも尾高の呑み過ぎに異議を唱えていた女が、その自分の粛清文をダルダルしさといういたずらな時間に破り捨てて、眠っても覚めて、明日また来るかも知れない焦燥を散らし、正しくは己の立身を崩す訳にはいかなかったのだろう、そう見えただけかもしれないが、何かを隠すように、下手糞なテレビゲームで供養のつもりでもあったのだろうか、黙々と只溢れてくる手に余る時間を塗り潰していった。

 尾高は常日頃暇であった。黴たフランスパンを齧り、テーブルの上の空き缶、シケモク灰皿、横になりながら背中を掻いた。小夏の帰ってくる時間には彼女のへそくりを使った言い訳を慌てて考えないといけなかった。いつも同じ場所にいつも同じように隠してあった。「アルジャーノンに花束を」の九ページ目、ちゃーりーがロールシャッハテストを受け、黒いシミに見える、と答える段だ。読むのに飽きて必ず眠る、頃合の良かった段だった。彼女が先に鼾を掻くと煙草を一本噛んで、寝顔を眺めながらまた明日も最初から読もうとカバーを閉じた。それを知らんでか、手元の手頃な本に小夏は貯金を続けて、本棚には平生には申し訳なさ、酔い時には気にもせず、あぶくを見過ごし、一番興味も関心もない本に、奇異な哀歓が行ったり来たりした。タイトルにだけ、愛着が湧いた。そして同じようにそっと本棚の同じ場所に返した。

 小ぢんまりとした日曜日、しーんとした小部屋に小夏の雑誌を捲る音の回数だけがその日の時刻を知らせた。午後二時あたり、カラーテレビをスキャンダラスな情報番組に切り替えた。暇の有益性を問うのにまばたきだけが抜け駆けをした。

 モノクロやセピアに古めかしさを感じるのは今日性の問われるところではない。小夏の幾つかのフィルムは現像の意味も価値も持たずして、ポケットのケースにただ番号だけを記した。何を撮ったのか尋ねはしなかったが、いつぞやと同じ返事が予想された。フィルムの劣化の中にも浮き彫りにされる屹立とした真実を彼女のイメージは見出した。そう思っていたから、別の友人が、並んでる二人にカメラを向けた時にも、尾高は画郭から慌てて逃げ出した。鼠の危機への直観力の上を行った。だから一枚もその手の写真は残ってない。照れ臭さも多少なりともあったろうが、小夏もその毎度の滑稽なやり取りに満更でもない愉快しみもあったろう。

 想い出には悲しみや楽しみなんて装飾が付き物で、その後に来る懐かしみや後悔なんてものが怒濤の様に目から溢れ出そう、言うには容易く、見るには見かねない、Tシャツの襟のヨレ、女、灰皿に揉み消して、苛立った眉間で煙草の箱を眺めて壁に投げつけた。クセのある香りと味の銘柄の煙草だった。その日それ以外の煙草では意味がなかったのだろう。何処にでもいる普通の女だった。
「まずい」
咳をした。窓を開けながら欠伸をした。当然涙が滲むが、退屈な休日を持て余してのことだった。この立場からではなく物を申すと、少しくらい泣いてくれても良いんじゃないか。その方が気持ちもスッキリするしケジメも付くし、何よりも死んだ方も誇りやその付加価値の足しにそんなでもない気持ちになったりもする。夕暮れにはもう少し掛かり、部屋の片付けにも興味もなく、聞き難いアナウンス、しかしテレビのチャンネルを変えるのも今はまだ苦であった。別の誰かの「自殺」。ニュースの原稿には、余計な感情を挟まずに、アンダンテ(歩くぐらいの速さで)、くちなしの花、次は陽気な情報コーナー、テンションを上げて、とマニュアルが書いてあるに違いない。

突如、知らない番号で携帯電話が鳴る。
「はい、もしもし」
フォルティッシモ
「はい、分かりました。ぜひ伺わせてください」
ピアニッシモ

 村山小夏の受け答えは一般人の形式ぶった感情の無いものだった。尾高の母の電話の声は静寂の中の電波の悪いラジオのようだった。通夜と葬式の知らせ。彼女は自分の掲載してる女性誌の山に手を伸ばし一冊手に取っては隔週コーナー「犬も歩けば」を読み漁っていく。深遠なるタメイキ。恐らくこれから自分のコーナーのコラムをどうしようか考えているのだろう。彼女の友人に一通り思いを巡らしても文資のある人間はいることにはいるが、いつぞやの尾高のように白い時間に埋もれて暇死しそうな人間はいないし、村山小夏の独り善がりで感慨に浅い旅行談を聞いてコラムが書けるほど想像力に溢れた人材もいないだろう。

 小夏はコラムを閉じた。あまりにも商業的には稚拙すぎて、欠伸の涙には嘲笑もあったろう、故人に興味が薄れたように、ビールの空き缶を片付け始めた。そして部屋に誰もいないことを確認し、やや乾いた声で
「ちょっと行って来るね」
 雲は晴れて、飛行船が中野・新宿・渋谷の上をプカプカ浮かんで、気の早い白い星の一つに最初の人類のように勝手に名前を付けた。コンビニの陳列棚の前でしばし物思いに耽っているようだったが、一握の物足りなさからかウォッカを買った。店員に心配顔をされ、
「小夏ちゃん、大丈夫?」
「ううん。嬉しいことがあって、お祝いみたいなものだから」
途中、川に流葬してキンキンに冷えた半分の硬いぬめりを喉と言うより胸元に流し込んだ。口には収まり切らなかった安酒の、自棄なのか言い訳がましい無駄、という冷たさも、蒸し暑さには程好く緩和されてしまった。服を汚すのも気に留めない、普段の彼女の朗らかさが思い出された。冷蔵庫には彼の残した種種の封切り瓶が並んでいたが、それを処分するのはその前にしなければならない、夕暮れに永遠の意味を思い出す、その時を待っていたのか、タバコにも酒にも罪はないと、寧ろ平生の恩義が甦ろうと、少なくとも過失の行方が収まるまでは仕舞って置こう、冷蔵庫の扉を固く閉めたのだろう。尾高には勿体無い恩事で、見るのに素直ではない感謝が
「馬鹿男」
「甲斐性なしの金食い虫」
貞淑な彼女の恨み独り言をほくそ笑んで聞いていた。

 行く末に幸在らば、村山小夏は普段酒なんぞ殆ど呑まなかったのに、昨日今日に限って煽る煽る。アマレット、カルーア、フェルネットブランカ、ビア、コーンヴィスキー、芋焼酎、そしてウォッカ。その事は目の当たりに奇異で、更に知らなかった事と言えば毎週土日の仕事にキャンセルを入れ、平日の仕事にしていたことであった。

 美術館、と言えば尾高にはデートや暇潰しの種類、いつのまにか習慣化したものでしかなかったが、小夏がそれほど絵画や造形物に興味が在るとは知らなかった。写真家の、すこぶる求道的行美術探究心、そのお眼鏡にちょっとでも引っ掛かり、お付き合いを賜っただけで満更でもない気持ちになった。
帰り途中、橋の欄干の真ん中で彼女の友人からの電話、小夏は
「ううん。ほんとに何でもないの」
―――
「また食事しようね」
―――
「来週から週末は忙しくなるし、何かの機会があったら」
―――
「貰った美術館のチケットが余ってるんだけど、行くならあげるわよ」
―――
電話を切ると電源を切った。一つ咳払いをしたが、誰に対してでもなかった。
橋の上から神田川を眺めると鴨が行ったり来たりして、その水流がどちらからどちらへ流れているのか、今この時まで気にするようなことさえなかった。そして今も判然としなかった。浅く水溜まりのような川だった。

 小夏は部屋の前で誰も居ない筈の自宅の呼び鈴を押した。三度押したが、返事が無かった。小さく溜息をついた。クマのキーホルダーから部屋の鍵を探り出し、思い詰めた様子から意を決してすまし顔でドアを開けた。やはり誰もいなかった。
床に散らばった雑誌、コラムの切抜き、付けっ放しのテレビだけが彼女を待っていた。ベランダの月下美人が今夜咲こう、そして今にも首が落ちそうな蕾だった。明日だったら、そして明後日、その次であったらここまで花に興味を示すこともなかった。尾高の買って来た鉢植えであった。
―――「一夜花にはその為それ相応の美しさが在る」―――
小夏の欠伸が、流し台のポツリポツリ蛇口から垂れる水滴の耳鳴りに耐え難し、水をやる係を断われもしなかったことを思い出した。

 尾高に追文すれば、遺書には
「返り血を誰かに浴びせる訳でもなく、自分の中の虚無という悪魔の塊が、静かに魂の彷徨いを引き取ってくれた。だから其の散らかった血の薄れる刹那を、貴女だけの物として、丁重にご処分ください、愛と言えば呆けて、恋と言えば照れ臭さに堪え難き、其の小生の性分めを唯一無二の大親友であった貴女に素直になれず秘密裏に実行する事を、大変申し訳なく思っている際に御座います。云々」。

 血判の横には殴り書きで「梓弓」と書いた。何かのメッセージのようにも思えるが、その実を彼女は知らぬまま、その時はゆっくり瞳を閉じるだけであった。

 なけなしの記憶、確か、おぼそかだが、伊勢物語の一段、「梓弓」の引用で、妻を置いて京に宮仕えに行った男が、三年間帰って来なかった。女は待った。しかし月日の流れに逆らう事も出来ず、その間熱心に自分に言い寄って来た別の男とその晩初枕に忘れようとしたところ、戸を叩く音が聞こえる。男が三年ぶりに帰って来た訳だが、女は事の次第を告げる。すると男が戸の向こうで詠んだ歌、

梓弓 真弓槻弓 年を経て 我がせしがごと うるわしみせよ

「私が長年貴女を愛してきたように、貴女もその男性のことを深く愛しなさいよ」、と告げ、去る。
一見美談だが、ナルシストもここまで来ると自分でも気持ちの悪さも覚えよう。尾高は何かの助けを何かに求めていた。弱さを仄めかしたのは最後の失策、恥であった。とは言っても彼女に古典好きの友人がいないことも確認済みで、恐れるのは、偶然、尾高と同じようにテレビやラジオ番組のうんちくを耳に入れてしまう事だけであった。

 詩美には必ず解釈が必要であった。それに恵まれなかったことも彼の恥らしき恥の一つだった。「春暮れて、葉を噛み白む、月の線、続く明日にゃ、春やも知れぬ」。貧乏の呈の良い言い訳であった。キレイ事であった。誰かから教わるものでも、棺桶に入れて焼いてもらうものでもない。只じめじめとした胸糞の悪さが、普段から在るのに気付かない、そういう不感症の病気、気付いた時には手遅れの病魔が知らずうちに人類社会全体に蔓延している。たまに二日酔いで来る吐き気がそれの初期症状であった。そして今ここに在るのはその末期症状の末の末であった。

 一縷の救いは永遠に知られず「居場所」を淘汰することである。消えて逝く想い出、次に出来る想い出の為にそっと場所を空けてくれる、優しい想い出。そうはならない、忌々しい脆弱な意気地なしの心細さが浮遊感に纏わり付き、小夏の呆気らかんとした酒を羨ましがっていた。小夏はテレビを見て笑い、ポテトチップスを頬張った。まだ何も気付いていない様子だった。急に鬱して立ち上がり、「ウッウッ」っとえづいたかと思えば、トイレに御用だった。一瞬、思い違いをしてしまったことが何事ぞなく恥ずかしかった。

 鈍色にくすんだ毎年の六月、ペーパードライバーの日曜日とも呼べる雨垂れの季節が、この日この時に終わろうとしていた。良く言えば暖かさだが、陽光の穏やかさが母親の気遣いのように湿度むさ苦しく、しかし次第に季節の転換を西の向こうから肺や肌や舌に照りつかせ始めた。済んだのだ。一年間溜まった、梅雨という不吉なエネルギー塊の解放、溜息と共に迎え入れ送り出す、その一作業がここに終焉を、村山小夏は一息ついて部屋のぽっかり空いたその喫煙席を、大切そうに端の端に追いやった。

 午後五時前、まだ眠る時間でも起きる時間でもなかった。道路の自転車のベルの音や控えめな虫のさえずり、ご近所の井戸端会議が静かに静かに経過する遠く落日に徐々に飲み込まれていった。部屋には無言、ページを捲る古めかしい時計だけが更に奥深くに私の記憶を追いやっていった。薫風の残り香には嫌味がなく、ただ通りすがる度にカーテンと戯れるだけであった。月下美人の蕾が微かに微笑んだ。何処からか来たアゲハチョウが窓のサッシに何かを拾い損ねて、また何処かへ、フッと、とんでいった。
「あら」
その蝶がついでに何かを置いて行ってくれたことは、その日その時までの欠伸の回数に疑いを持ち始めるまではにわかに信じ難いことだった。その日の退屈には理由があったのだ。

 小一時間、コラムを読みふけった後、アルバムをいくつか取り出した。押入れのだいぶ深い所に潜っていたそれは、彼女が撮った写真の集められたものだった。部屋が夕暮れにタベラレ、オレンジ色が世界を占領する頃写真はバラ撒かれ、ただそこにあるフレームの中でただの女が泣いていた。ここ二日のうち一番振り絞ったかすれた声で、暮れ時には無抵抗に無秩序に今世一番の罪、苦言が残された。窓に揺れるピンク色の花びら、
「寝言で、愛してる、って、言ってたじゃないっ」
訳が分からず、イタズラに距離が近づいたが、彼女は隣の何かに気付いたように、そしてそこに倒れた。村山小夏のそれと言うよりも、私そのものが女の涙みたいだった。そして恥ずかしさにその場から消えたい一心で、文字の優劣をいつか訪れる闇に委ねようと、写真の一枚を眺め、紫、ダークブラウン、紺、彼女が眠りつくのを静かに待った。

 つつーっと耳鳴りに堪えられず小夏の名前を呼んだが、何も聞こえないようだった。どうしようもなかった。グラスの氷の音が意図的であると確信し、いつもの寝顔と鼾を風で撫でるだけであった。そのうち月下美人が咲いたが、誰もその美々の去り際を見ることはなかった。
本を読まない理由に、平生の村山小夏の落ち着きのなさを思い出した。机にはウォッカが飾ってあった。しかし呑む訳にはいかなかった。誰かの誰かの酒であった。そして手付かずのまま存在の薄れる朝を迎えた。写真の尾高に非常に似ているのが、何処か此処か、むなしくて。




      【完】
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