第3話 ラプソディー・イン・ブルー
文字数 5,340文字
「まどかちゃんはやめて。まどかでいいよ。」
スッと手を離すと、まどかはため息混じりで美月に言った。美月は解かれたまどかの手を見ながら自分の手をぎゅっと握る。
「いいの。そう呼ばせてほしいの。」
何を言っても無駄かもしれない。
まどかは「じゃあ、好きにして。」と言い直した。
「あの・・・まどかちゃん、私、何をすればいいかな?これから・・・その、二人で・・・。」
音楽のことになると声を張り上げる癖に自分のことになると小声で話す子だ。
彼女もまた、自分と同じでクラシック馬鹿・・・音楽馬鹿なのかもしれない。
ただ、自分の場合はこんなに小さな声で話さないけれど。
「そうねぇ・・・。」
行き当たりばったりであんなことを言ったものの、これといって思いつかない。
美月は相変わらず羨望の眼差しで見つめている。
駄目だ。これでは学校の他の女子たちと一緒。
まどかは、またため息をつく。
「いつも通りで行きましょう。」
「いつも通り?」
「そう。喫茶店でイメージ固めて、ここで弾く。駄目かしら?」
美月は首を振る。そしてまた下を向いて何やら小声で言う。
「何?何言っているの?聞こえない。」
すると、美月はまた首を振って微笑む。
「ううん!何でもないの!」
ふわりと髪を揺らしながら微笑む顔は女の子らしくて可愛い。そう、みんなが好きな小動物みたいに。
自分よりよほど可愛い。彼女こそモテるべきだと、まどかはぼんやり思った。
それから。
まどかと美月の特訓の日々が続いた。
いつもの喫茶店で音楽に耳を傾けながら、ここはこの曲みたいにメリハリだとかを色々とまどかは提案する。それを一言一句逃さないよう美月は楽譜に書き込む。
時にはまどかが熱くなりすぎて、他の客に睨まれながら。
時には美月が紅茶をひっくり返して、まどかに怒られながら。
そして、それを実践するべくまどかの家でピアノを弾く。
疲労が溜まってはいけないのでそれはあまりやり過ぎないようにはしていたが。
しかしだ。
しかし、一向に美月は上達しない。
まどかと会った日に弾いた音のまま。
「ううう、ごめんなさい。まどかちゃん。」
「別に謝ることではないけれど、ここまで来ると・・・。困ったな。」
美月は期待に応えることが出来ず肩を落とす。
何度この子は肩を落とすのか。そのうち地面に肩が落ちるのではないか?
馬鹿なことを考えながらまどかはふと思い出した。以前から疑問だったこと。
「そういえば、美月ってよくあんな超絶技巧弾けるわよね。覚えるとかの問題じゃないでしょう。物理的に苦労するはずよ。」
「ううーん。私、身長の割には手が大きいからかなぁ?」
確かに美月の手は体に対しては大きい方かもしれない。だが、まどかとそれほど変わらない。
もしかして・・・。
まどかは彼女の手首を掴む。
そしてそれをゆっくり触って確かめる。
「!!」
「やっぱり。貴女、手首が柔らかいのね。それで疲労もたまらないのだわ。指というか・・・手首の問題かも。」
手を触られて見つめられるものだから、美月は恥ずかしさのあまり背筋を伸ばして固まる。
「ん?何、固まっているの?」
美月は思わず、まどかの手を振り払って首を高速で振る。まるでラ・カンパネラを弾く指のように。
「何でもない!何でもないの!!」
「変な子。」
「ううう・・・。」
固まったり高速で動いたり、動物みたい。まどかは呆れた顔をしたが、それよりもっと呆れるべきは彼女が上達しないこと。
今はいくらこの曲を弾いても堂々巡りなのかも。
そうだとまどかはあることを思いつく。
「一旦、ラ・カンパネラは封印しない?」
「え?」
「今の表現力では何を弾いても同じよ。だったら他の曲でそれを養いましょう。こればかり続けても意味はない気がするの。」
それは一理ある。美月は頷く。
「じゃあ、私は何を弾けばいいかしら?やっぱりショパン?」
「んー、その前に・・・。そうだわ!ラプソディー・イン・ブルーにしましょう!ピアノなしのレコードもうちにあったはずだからそれに合わせれば問題ないわ。」
それを聞いて美月は口を開けてまた固まる。
「何よ、また固まって。」
「ラプソディー・イン・ブルー。」
「あれ?知らない?ガーシュウィンの。」
「知っているわ・・・でも、だからこそ無理よ!!今の私には無理よ!!あんな、あんなリズムとフィーリングの塊のような曲・・・。あぁあぁあ、私が弾いたらきっと恐ろしい曲になるわ。ジャズなんて、私と正反対だわ。あぁぁ。」
わなわなと美月は震えながら、まどかに訴える。
「だからよ。そういう曲を弾けたら少し掴めると思うの。ね?」
「で、でも・・・。」
「貴女、聴いたら弾けるのでしょう?それなら何となく弾きなさいよ。それがこの曲の醍醐味なのだから。」
それが出来ないから困っているのだ。
まどかの言うことはいつも正しいと思っているが、時々原点を忘れがちだ。
美月はまだ、わなわなと震えている。
「ま、まどかちゃん先に弾いて?そ、それを頑張って再現するから。」
「え・・・?い、嫌よ。私はいいの。弾かない。」
「そんなぁ。ずるい。」
まどかはムッとして美月の背中を思いっきり叩いた。
「ふぁぁっ!?」
「いいから!!早く練習するの!!」
「ううううっ!」
それから、ラプソディー・イン・ブルー大作戦が始まった。
確かに美月はすぐにメロディは覚えることが出来た。勿論、すぐさま完璧に弾く事は容易い。
だが・・・。
だが、これは・・・。
「酷い・・・。これは酷い。」
美月のラプソディー・イン・ブルー。今度は、まどかが固まった。
「だから・・・嫌だったの。」
美月は半分泣いている。
「何よ、この四角くてコンクリートの塊のような曲は。酷い・・・こんなラプソディー・イン・ブルーは初めて聴いた。」
「あぁぁぁ!言わないで、まどかちゃん!酷いのは一番、私がわかっているから。私は所詮、鍵盤を叩くだけなのよ・・・。」
しまった。これでは出会った初日に逆戻り。
まどかは頭を抱えて、彼女にある提案をする。
「分かった・・・。こうしましょう。来週の日曜日、一緒にジャズ喫茶にいかない?」
「じゃず・・・きっさ・・・?」
「ええ、クラシック喫茶と似たようなものよ。ジャズが流れているだけ。そのお店は時々生演奏もしてくれるの。来週の日曜日、確かあったはずよ。何かつかめるといいのだけど。あぁ、予定が入っているなら別にいいけれど。」
思い切り首を振った後、美月は体を乗り出して珍しく大きな声で答えた。
「行く!!行くわ!!まどかちゃんと一緒に行きたい!!」
「よかった。じゃ、来週待ち合せしましょ。」
まどかは、ここの駅に来いだの、何時に来いだの色々言っていたが、美月は嬉しくてそれどころではなかった。
いつも練習を一緒にしてくれるまどかだったが、土日はお休み。だから、制服のまどかしか会ったことがない。
お休み。一緒に初めて過ごせる。
美月は嬉しくてワクワクしてきた。
本来の目的を忘れるくらいに。
日曜日。
待ち合わせの場所でまどかはソワソワしながら立っていた。
「ごめん、待った?」
「ううん。大丈夫。」
美月はまどかをじっと見る。
黒のタイトなパンツスタイル。まだ肌寒いのでベージュのジャケットを羽織っている。その下には綺麗な柄のシャツ。
背が高くてスラリとした体形のまどかにはそれがよく似合っていて、またそれはひどく・・・かっこよかった。
美月は自分の服を見る。ピンクの小花柄のワンピース。白いつけ襟。黒のカーデガン。
あぁ、子供じみている。
まどかと自分の服を交互に見ていると、まどかは妙な顔で彼女をのぞき込んだ。
「何?さっきから何見てるの?」
「あ・・・あ、あの。まどかちゃん、その服、とても似合っているなって。かっこ・・・いいなって思って。私なんて・・・。」
どうして、服のことを言う。
ジャズを勉強しに来たのではないのか。
どうして、照れる。
まどかは意味不明である。元々そういう女の子らしい感情は持ち合わせていない方なのだ。
「そんな服なんてどうでもいいし。着たいから着てるだけ。」
なおもちらちらと交互に服を見る美月にまどかは呆れて、適当に言う。
「・・・貴女の服、それも似合ってるわよ。」
「え!?本当?本当に?まどかちゃん!!」
だからどうして服で喜ぶのだ。
音楽で喜びなさいよ。
しかし、何を言っても無駄である。
まどかは、「さぁ行くわよ。」といってぼんやりする美月を引っ張って連れて行った。
「ここが・・・。ジャズ喫茶?」
路地裏の地下へと続く階段。壁にジャズのライブの宣伝ポスターが所狭しと飾っている。
「そう。怪しいけど、まぁ、中に入れば普通よ。」
入ってみると、まどかの言う通りクラシック喫茶よりは薄暗いものの似たようなものであった。
むしろこちらの方が雰囲気はある。大人の雰囲気であろうか。
「私、コーヒー飲むけど、貴女何飲む?」
見たところ紅茶はない。ただあるのはなぜかオレンジジュース。恥ずかしいが美月はそれをお願いとまどかに頼んだ。
あぁ、恥ずかしい。ここにきてオレンジジュースなんて。
そんなことを考えながらうなだれていると、まどかに肘で小突かれた。
「ほら、演奏始まるわよ。」
「ふぇ?」
店内が暗くなり小さなステージにライトが当たる。
演奏が始まる。奇しくもその曲はガーシュウィンのアイ・ガット・リズムのピアノソロ。
弾むリズム。鍵盤を叩くだけと思うようなところもあれば急に流れるようなメロディ。
心が躍る。落ち着く。色々な感情が押し寄せる。
「これが・・・心を動かせるジャズね・・・。」
「ええ。どう何かつかめた?」
「分からない。でも少しだけリズムの取り方は分かる。いいえ、リズムなんてないのだわ。」
それを聞いて、まどかは珍しく優しく微笑んだ。
ライトが少し当たり、まどかが輝いて見える。
まどかはふいっと顔を逸らしてステージのピアノをうっとりと見つめた。
美月はまどかには悪いが、ピアノよりも彼女の横顔にくぎ付けになる。
休日だからか、すこしまどかはメイクをしているらしい。艶やかに光るリップ。意外と長い睫毛は綺麗にカールしていて色っぽい。目元はラメの入ったオレンジ系のアイシャドウ。光に当たってキラキラとしている。
それに乗せてピアノの音が聞こえる。
ピアノの音、瞬きするまどかの瞳。ピアノの音、口をうっすらと開けるまどかの唇。ピアノの音。ピアノの音。
その視線に気づいたのか、まどかは不思議そうに美月を見た。
「どうしたの?」
「ううん・・・。かっこいいなと思って。」
「ん?」
「いえ・・・音楽が。」
「何かわかりそう?ジャズの何かが。」
美月は胸に手を当てて息を深く吸い込んだ。
「高鳴ってソワソワしたり・・・でも時々それは穏やかで、そうかと思えば急に憂鬱になるの。自分でも意味が分からない、つかめない音。」
まどかはまた微笑むと美月の頭をポンポンと優しく叩く。
「それで、いいんじゃないの?」
「うん・・・。」
なおも美月がまどかを見つめているので、まどかはまた疑問に思う。
「何?どうかした?」
「それはまどかちゃんみたいな曲。本当はね、私のまどかちゃんへの気持ちに似ているの。」
・・・そう言えたらいいのに。
美月が不貞腐れたように下を向いてると、それを察したのかまどかは、彼女に微笑みかけた。
「今日の美月はなんだか可愛い。いつもと違う感じがして。違う音楽聴いているからかな・・・その、私疎いから・・・そういうのなんて言えばいいのか分からないけれど。」
「あ・・・。」
さっきまでの表情が嘘のように美月の顔が明るくなる。
と思うと、下を向いて何やらまた小声で言っているようだ。
しかし、音楽で聞こえない。
「何?どうしたの?もっとはっきり言わないと聞こえない。」
「いいの。今のは聞こえなくて・・・いいの。またいつか言うから。」
「やっぱり変な子。」
そうして、二人は喫茶を後にした。
外はもう夕暮れ。
美月は、まどかのジャケットの裾を引っ張る。
「どうしたの?」
「帰りにまどかちゃんのお家に寄っていい?」
「それはいいけれど。もう遅いわよ?帰らなくていいの?」
「うん。少しだけピアノ・・・弾きたいの。この気持ちが忘れないうちに。」
珍しく自分の意思を進んで美月が言うものだからまどかは仕方ないなと頷いた。
「わかったわ。行きましょ。その代わりちゃんとうまく弾いてよね。」
「ありがとう!まどかちゃん!」
ガーシュウィン ラプソディー・イン・ブルー
今日の聴いたメロディを思い出して弾く。
確か、ここはこうした方がそれっぽい。思い出して。こんなふうに弾いたらきっと。
「ね、ねぇ・・・どうだった?まどかちゃん!」
まどかは暫く黙り込む。
「私、うまく感情を乗せれていたかしら!?」
「うううーん。確かに・・・良くは、なった・・・。」
「!!」
「コンクリートが巨石になったくらい?」
「そんなぁぁ。」
「なんていうか、まだ型通りが抜けきれてないのよね。」
「うううう。」
美月はまた肩を落とした。
まどかはその両肩を持つと、ぐいっと押し上げる。
「ふぇぇ!?」
「頑張りましょう?私と貴女で。」
まどかは、そう言われて嬉しくなった。
まどかちゃんと二人で私は・・・。
「頑張るわ!私、まどかちゃんと頑張る!!」
まどかと美月はもう一度手を取り合った。
ラプソディー・イン・ブルー。
2人の異なる音楽が重なり始める。
スッと手を離すと、まどかはため息混じりで美月に言った。美月は解かれたまどかの手を見ながら自分の手をぎゅっと握る。
「いいの。そう呼ばせてほしいの。」
何を言っても無駄かもしれない。
まどかは「じゃあ、好きにして。」と言い直した。
「あの・・・まどかちゃん、私、何をすればいいかな?これから・・・その、二人で・・・。」
音楽のことになると声を張り上げる癖に自分のことになると小声で話す子だ。
彼女もまた、自分と同じでクラシック馬鹿・・・音楽馬鹿なのかもしれない。
ただ、自分の場合はこんなに小さな声で話さないけれど。
「そうねぇ・・・。」
行き当たりばったりであんなことを言ったものの、これといって思いつかない。
美月は相変わらず羨望の眼差しで見つめている。
駄目だ。これでは学校の他の女子たちと一緒。
まどかは、またため息をつく。
「いつも通りで行きましょう。」
「いつも通り?」
「そう。喫茶店でイメージ固めて、ここで弾く。駄目かしら?」
美月は首を振る。そしてまた下を向いて何やら小声で言う。
「何?何言っているの?聞こえない。」
すると、美月はまた首を振って微笑む。
「ううん!何でもないの!」
ふわりと髪を揺らしながら微笑む顔は女の子らしくて可愛い。そう、みんなが好きな小動物みたいに。
自分よりよほど可愛い。彼女こそモテるべきだと、まどかはぼんやり思った。
それから。
まどかと美月の特訓の日々が続いた。
いつもの喫茶店で音楽に耳を傾けながら、ここはこの曲みたいにメリハリだとかを色々とまどかは提案する。それを一言一句逃さないよう美月は楽譜に書き込む。
時にはまどかが熱くなりすぎて、他の客に睨まれながら。
時には美月が紅茶をひっくり返して、まどかに怒られながら。
そして、それを実践するべくまどかの家でピアノを弾く。
疲労が溜まってはいけないのでそれはあまりやり過ぎないようにはしていたが。
しかしだ。
しかし、一向に美月は上達しない。
まどかと会った日に弾いた音のまま。
「ううう、ごめんなさい。まどかちゃん。」
「別に謝ることではないけれど、ここまで来ると・・・。困ったな。」
美月は期待に応えることが出来ず肩を落とす。
何度この子は肩を落とすのか。そのうち地面に肩が落ちるのではないか?
馬鹿なことを考えながらまどかはふと思い出した。以前から疑問だったこと。
「そういえば、美月ってよくあんな超絶技巧弾けるわよね。覚えるとかの問題じゃないでしょう。物理的に苦労するはずよ。」
「ううーん。私、身長の割には手が大きいからかなぁ?」
確かに美月の手は体に対しては大きい方かもしれない。だが、まどかとそれほど変わらない。
もしかして・・・。
まどかは彼女の手首を掴む。
そしてそれをゆっくり触って確かめる。
「!!」
「やっぱり。貴女、手首が柔らかいのね。それで疲労もたまらないのだわ。指というか・・・手首の問題かも。」
手を触られて見つめられるものだから、美月は恥ずかしさのあまり背筋を伸ばして固まる。
「ん?何、固まっているの?」
美月は思わず、まどかの手を振り払って首を高速で振る。まるでラ・カンパネラを弾く指のように。
「何でもない!何でもないの!!」
「変な子。」
「ううう・・・。」
固まったり高速で動いたり、動物みたい。まどかは呆れた顔をしたが、それよりもっと呆れるべきは彼女が上達しないこと。
今はいくらこの曲を弾いても堂々巡りなのかも。
そうだとまどかはあることを思いつく。
「一旦、ラ・カンパネラは封印しない?」
「え?」
「今の表現力では何を弾いても同じよ。だったら他の曲でそれを養いましょう。こればかり続けても意味はない気がするの。」
それは一理ある。美月は頷く。
「じゃあ、私は何を弾けばいいかしら?やっぱりショパン?」
「んー、その前に・・・。そうだわ!ラプソディー・イン・ブルーにしましょう!ピアノなしのレコードもうちにあったはずだからそれに合わせれば問題ないわ。」
それを聞いて美月は口を開けてまた固まる。
「何よ、また固まって。」
「ラプソディー・イン・ブルー。」
「あれ?知らない?ガーシュウィンの。」
「知っているわ・・・でも、だからこそ無理よ!!今の私には無理よ!!あんな、あんなリズムとフィーリングの塊のような曲・・・。あぁあぁあ、私が弾いたらきっと恐ろしい曲になるわ。ジャズなんて、私と正反対だわ。あぁぁ。」
わなわなと美月は震えながら、まどかに訴える。
「だからよ。そういう曲を弾けたら少し掴めると思うの。ね?」
「で、でも・・・。」
「貴女、聴いたら弾けるのでしょう?それなら何となく弾きなさいよ。それがこの曲の醍醐味なのだから。」
それが出来ないから困っているのだ。
まどかの言うことはいつも正しいと思っているが、時々原点を忘れがちだ。
美月はまだ、わなわなと震えている。
「ま、まどかちゃん先に弾いて?そ、それを頑張って再現するから。」
「え・・・?い、嫌よ。私はいいの。弾かない。」
「そんなぁ。ずるい。」
まどかはムッとして美月の背中を思いっきり叩いた。
「ふぁぁっ!?」
「いいから!!早く練習するの!!」
「ううううっ!」
それから、ラプソディー・イン・ブルー大作戦が始まった。
確かに美月はすぐにメロディは覚えることが出来た。勿論、すぐさま完璧に弾く事は容易い。
だが・・・。
だが、これは・・・。
「酷い・・・。これは酷い。」
美月のラプソディー・イン・ブルー。今度は、まどかが固まった。
「だから・・・嫌だったの。」
美月は半分泣いている。
「何よ、この四角くてコンクリートの塊のような曲は。酷い・・・こんなラプソディー・イン・ブルーは初めて聴いた。」
「あぁぁぁ!言わないで、まどかちゃん!酷いのは一番、私がわかっているから。私は所詮、鍵盤を叩くだけなのよ・・・。」
しまった。これでは出会った初日に逆戻り。
まどかは頭を抱えて、彼女にある提案をする。
「分かった・・・。こうしましょう。来週の日曜日、一緒にジャズ喫茶にいかない?」
「じゃず・・・きっさ・・・?」
「ええ、クラシック喫茶と似たようなものよ。ジャズが流れているだけ。そのお店は時々生演奏もしてくれるの。来週の日曜日、確かあったはずよ。何かつかめるといいのだけど。あぁ、予定が入っているなら別にいいけれど。」
思い切り首を振った後、美月は体を乗り出して珍しく大きな声で答えた。
「行く!!行くわ!!まどかちゃんと一緒に行きたい!!」
「よかった。じゃ、来週待ち合せしましょ。」
まどかは、ここの駅に来いだの、何時に来いだの色々言っていたが、美月は嬉しくてそれどころではなかった。
いつも練習を一緒にしてくれるまどかだったが、土日はお休み。だから、制服のまどかしか会ったことがない。
お休み。一緒に初めて過ごせる。
美月は嬉しくてワクワクしてきた。
本来の目的を忘れるくらいに。
日曜日。
待ち合わせの場所でまどかはソワソワしながら立っていた。
「ごめん、待った?」
「ううん。大丈夫。」
美月はまどかをじっと見る。
黒のタイトなパンツスタイル。まだ肌寒いのでベージュのジャケットを羽織っている。その下には綺麗な柄のシャツ。
背が高くてスラリとした体形のまどかにはそれがよく似合っていて、またそれはひどく・・・かっこよかった。
美月は自分の服を見る。ピンクの小花柄のワンピース。白いつけ襟。黒のカーデガン。
あぁ、子供じみている。
まどかと自分の服を交互に見ていると、まどかは妙な顔で彼女をのぞき込んだ。
「何?さっきから何見てるの?」
「あ・・・あ、あの。まどかちゃん、その服、とても似合っているなって。かっこ・・・いいなって思って。私なんて・・・。」
どうして、服のことを言う。
ジャズを勉強しに来たのではないのか。
どうして、照れる。
まどかは意味不明である。元々そういう女の子らしい感情は持ち合わせていない方なのだ。
「そんな服なんてどうでもいいし。着たいから着てるだけ。」
なおもちらちらと交互に服を見る美月にまどかは呆れて、適当に言う。
「・・・貴女の服、それも似合ってるわよ。」
「え!?本当?本当に?まどかちゃん!!」
だからどうして服で喜ぶのだ。
音楽で喜びなさいよ。
しかし、何を言っても無駄である。
まどかは、「さぁ行くわよ。」といってぼんやりする美月を引っ張って連れて行った。
「ここが・・・。ジャズ喫茶?」
路地裏の地下へと続く階段。壁にジャズのライブの宣伝ポスターが所狭しと飾っている。
「そう。怪しいけど、まぁ、中に入れば普通よ。」
入ってみると、まどかの言う通りクラシック喫茶よりは薄暗いものの似たようなものであった。
むしろこちらの方が雰囲気はある。大人の雰囲気であろうか。
「私、コーヒー飲むけど、貴女何飲む?」
見たところ紅茶はない。ただあるのはなぜかオレンジジュース。恥ずかしいが美月はそれをお願いとまどかに頼んだ。
あぁ、恥ずかしい。ここにきてオレンジジュースなんて。
そんなことを考えながらうなだれていると、まどかに肘で小突かれた。
「ほら、演奏始まるわよ。」
「ふぇ?」
店内が暗くなり小さなステージにライトが当たる。
演奏が始まる。奇しくもその曲はガーシュウィンのアイ・ガット・リズムのピアノソロ。
弾むリズム。鍵盤を叩くだけと思うようなところもあれば急に流れるようなメロディ。
心が躍る。落ち着く。色々な感情が押し寄せる。
「これが・・・心を動かせるジャズね・・・。」
「ええ。どう何かつかめた?」
「分からない。でも少しだけリズムの取り方は分かる。いいえ、リズムなんてないのだわ。」
それを聞いて、まどかは珍しく優しく微笑んだ。
ライトが少し当たり、まどかが輝いて見える。
まどかはふいっと顔を逸らしてステージのピアノをうっとりと見つめた。
美月はまどかには悪いが、ピアノよりも彼女の横顔にくぎ付けになる。
休日だからか、すこしまどかはメイクをしているらしい。艶やかに光るリップ。意外と長い睫毛は綺麗にカールしていて色っぽい。目元はラメの入ったオレンジ系のアイシャドウ。光に当たってキラキラとしている。
それに乗せてピアノの音が聞こえる。
ピアノの音、瞬きするまどかの瞳。ピアノの音、口をうっすらと開けるまどかの唇。ピアノの音。ピアノの音。
その視線に気づいたのか、まどかは不思議そうに美月を見た。
「どうしたの?」
「ううん・・・。かっこいいなと思って。」
「ん?」
「いえ・・・音楽が。」
「何かわかりそう?ジャズの何かが。」
美月は胸に手を当てて息を深く吸い込んだ。
「高鳴ってソワソワしたり・・・でも時々それは穏やかで、そうかと思えば急に憂鬱になるの。自分でも意味が分からない、つかめない音。」
まどかはまた微笑むと美月の頭をポンポンと優しく叩く。
「それで、いいんじゃないの?」
「うん・・・。」
なおも美月がまどかを見つめているので、まどかはまた疑問に思う。
「何?どうかした?」
「それはまどかちゃんみたいな曲。本当はね、私のまどかちゃんへの気持ちに似ているの。」
・・・そう言えたらいいのに。
美月が不貞腐れたように下を向いてると、それを察したのかまどかは、彼女に微笑みかけた。
「今日の美月はなんだか可愛い。いつもと違う感じがして。違う音楽聴いているからかな・・・その、私疎いから・・・そういうのなんて言えばいいのか分からないけれど。」
「あ・・・。」
さっきまでの表情が嘘のように美月の顔が明るくなる。
と思うと、下を向いて何やらまた小声で言っているようだ。
しかし、音楽で聞こえない。
「何?どうしたの?もっとはっきり言わないと聞こえない。」
「いいの。今のは聞こえなくて・・・いいの。またいつか言うから。」
「やっぱり変な子。」
そうして、二人は喫茶を後にした。
外はもう夕暮れ。
美月は、まどかのジャケットの裾を引っ張る。
「どうしたの?」
「帰りにまどかちゃんのお家に寄っていい?」
「それはいいけれど。もう遅いわよ?帰らなくていいの?」
「うん。少しだけピアノ・・・弾きたいの。この気持ちが忘れないうちに。」
珍しく自分の意思を進んで美月が言うものだからまどかは仕方ないなと頷いた。
「わかったわ。行きましょ。その代わりちゃんとうまく弾いてよね。」
「ありがとう!まどかちゃん!」
ガーシュウィン ラプソディー・イン・ブルー
今日の聴いたメロディを思い出して弾く。
確か、ここはこうした方がそれっぽい。思い出して。こんなふうに弾いたらきっと。
「ね、ねぇ・・・どうだった?まどかちゃん!」
まどかは暫く黙り込む。
「私、うまく感情を乗せれていたかしら!?」
「うううーん。確かに・・・良くは、なった・・・。」
「!!」
「コンクリートが巨石になったくらい?」
「そんなぁぁ。」
「なんていうか、まだ型通りが抜けきれてないのよね。」
「うううう。」
美月はまた肩を落とした。
まどかはその両肩を持つと、ぐいっと押し上げる。
「ふぇぇ!?」
「頑張りましょう?私と貴女で。」
まどかは、そう言われて嬉しくなった。
まどかちゃんと二人で私は・・・。
「頑張るわ!私、まどかちゃんと頑張る!!」
まどかと美月はもう一度手を取り合った。
ラプソディー・イン・ブルー。
2人の異なる音楽が重なり始める。