第1話

文字数 3,288文字

 いつものコンビニのイートイン。ガラスの向こうは「命の危険」と気象予報士が警告するほどの断固とした夏。僕は小倉アイスバーをかじり、高瀬はカップのかき氷メロンをほじる。
 高瀬とは帰宅部同士、家の方向も同じ、小学校も、今、中学も同じで、何年もの間、一日の半分以上を共に過ごしていた。夏休み、いよいよ別行動かと思えば、塾の組み分けテストでは二人似たような成績で夏期講習も同じクラス。そして講習のない日の暇つぶしまで、市民プールに一緒に行っている。
 あいつらBLなんじゃねえの、などとウェイ系の奴らが言っているのも知っていて、でも僕たちはそんなロマンティックな関係ではない。ただ二人、学校に、塾に、市民プールに行き、ギラギラとした陽に照らされた道を、ほとんど内容のないことをぼそぼそ呟きながら歩いて、帰りにイートインでアイスをかじりながらスマホをいじる、ゲームをする。毎日、毎日、毎日、ずっと、飽きもせず? いや、飽きてるけど? でもまあ、高瀬と別々には何となくならなくて、それで今も黙々と二人でゲーム……。
 と思ったら、高瀬がゲームをする手を止めて、僕に話しかけてきた。
「昨夜さあ、橋のところでウェイ村に会ったよ」
 ウェイ村とはウェイ系の上村のことである。非ウェイ系のみで通じる呼び名だ。
「高瀬は、あんなとこで何やってたの?」
 橋は駅やモールとは反対側で、その先はすぐ畠混じりになり寂れる。すると高瀬はカップの中の氷をかき集めて豊満な頬に挟まれた口に慌ただしく流し込み、
「おばあちゃんに呼ばれて行った帰り」
 と答えた。高瀬は両親が共働きで、ばあちゃんっ子だった。けれどばあちゃんは老い衰え、でも嫁姑間のあれこれがあるらしく、結局ばあちゃんは息子一家から微妙な距離で一人暮らしを続けている。高瀬は板挟みになりつつも、ばあちゃんに呼ばれると様子を見に行く。その辺の感じは、核家族で一人っ子の僕には実感では分からない。
「でもウェイ村んちは、橋の方じゃないよな?」
「そうなんだよ。で、ウェイ村、何か様子が変でさ。全然ウェイな感じじゃなくて、ちょっと黄昏てるって言うのかな」
「黄昏てる? ウェイ村が?」
 ウェイな上村に黄昏は似合わない。しょっちゅう女子を連れて歩いているし、むかつくことに、僕のいとこの里奈も上村がお気に入りだ。上村は、髪型も私服も、制服の着こなしまで僕や高瀬とは違う。
「それでさ、ウェイ村、僕に気づくと、話しかけてきたんだよ」
「マジ?」
 基本的に、上村のようなウェイたちは僕や高瀬をスルーするし、僕らもウェイたちをスルーするのだ。高瀬は続ける。
「で、ウェイ村、何て言ったと思う?」
「何だろ。全然、分かんない」
「それがさ、『人生って、甘じょっぱいよな』だって」
 高瀬が上村の口真似をして言った。
「え? 何それ」
 僕たちは爆笑した。
 爆笑して、爆笑して……、こんなことで笑ってるのが次第に何だか空しくなり、笑いが冷めてくると高瀬は言った。
「僕、どう反応していいか分かんなくてさ。そしたらウェイ村、はっとしたみたいになって、少し気まずそうにして『悪い、何でもない』って。行っちゃった」
「――うーん、何だろ、女に振られたとかかな。でも振られたんだったら、しょっぱいだけで、甘いは付かないな」
 僕が考え考え言うと、
「え? 山ちゃん、振られた経験あるんだ」
 急に自分に話を振られて僕は焦った。
「いや、ないよ。想像だよ」
「なんだ想像かあ」
「悪いかよ」
「あーでも振られるためにはさ、告らないといけないでしょう? で、告るためには好きのテンションが高まらないといけなくて、そのためにはまずちゃんと誰かを好きにならないといけなくて。なんか遠いな」
「高瀬だって誰かを好きになったことあるだろ?」
「うーん、ちょっと良いなくらいはあるけど、あんまないかも」
「ないの?」
「女子って結局みんな、ウェイ系の方向いてるし」
「それ、きっと女子の方も言ってる。男子は可愛い子の方ばっか向いてるって」
「そうでもないんじゃね?」
「そうでもないの? 高瀬は」
「そうでもない」
「じゃ、誰?」
「言わない」
「言えよ」
「何で山ちゃんに言わないといけないワケ? じゃあ山ちゃんは?」
「俺は今、そういうの誰もいないし。高瀬はいるんだろ?」
「――山ちゃんって、何かいつもずるい」
 それで高瀬は少し不満げに黙る。僕も黙る。しばらくして僕は、
「何か、ごめん」
 と謝ってみる。
「あ、うん」
 と高瀬は頷く。僕は、高瀬より多少要領がマシな分、ちょっとだけ小ズルい。
 コンビニの窓の外、熱気が冷める気配はない。夏は永遠にそこに止まっていそうだ。線状降水帯みたく、線状真夏帯。永遠で、不毛な、激暑い夏。塾と市民プールと自宅をぐるぐる回り続ける夏。
 ――この夏だけじゃない。実は僕は、この2年というもの、ぐるぐる回り続けている。
 小6の夏の終わり、父さんのリストラで、東京の私立中学を受験できないと知った。もちろん父さんだって好きでリストラされたわけもなく、つまり僕は誰のことをなじることも出来なかった。けれどだからといって、やり場のない気持ちはやっぱりやり場がなくて、中へ中へと蓄積されていった。
 そういうイライラが、どこか投げやりな態度になっていたんだと思う。シロスケ、飼っていたマメシバの散歩中、外に紐を結んでコンビニで立ち読みするなんてこと、以前なら絶対、なかった。結果、シロスケはいなくなった。
 圧倒的に、僕が悪いのだった。でも、父さんも母さんも、僕を責めてくれなかった。僕の鬱屈を分かっていたんだ。親にそういうところを見せまいとしていたのに、やっぱり親だし、分かっていた。まあ、その上で責めて欲しかったと言ったら、それは欲張り過ぎだろう――。
 父さんは、去年、無事再就職したけれど、給料は半分近くに減った。高校受験でも、東京の私立は無理だろう。県立となると、内申がモノを言う。中学に入ってから、腐ってないフリはしていたけれど、結局はまあ腐っていたから、だから部活もないし内申稼げるようなものは何にもない。成績は悪くはないけど、おそらくそれだけじゃ県立一番手クラスは無理じゃないかと思う。
 要するに、小6の秋から、僕は前に進もうとするのを止めてしまったのだ。拗ねて拒否した。以来、それを責めない親と、そういう事情を分かってんだか分かってないんだか、ただまあ、僕が不機嫌でも不貞腐れていてもいつも変わらずに淡々と隣にいる高瀬と、そういうクッションに包まれて僕はただぐるぐると回っている……。
「ウェイ村かあ」
 僕は呟き、コンビニのガラス越し、上村の黄昏ていたという姿を想像してみる。
 上村も中学に入ってからいろいろあって、で、ウェイになった。なったけど、あいつは何があってもぐるぐるせずにバカみたいに突っ込んで、突き抜けていく。
 上村は、この夏も突き抜けて、そこで人生の「甘じょっぱさ」を知ったのだろうか。さっきは思わず爆笑してしまったけれど、この夏、僕には黄昏て名言(?)を語る展開など無かった。
 何十年も後で、上村はきっと今年の、中2の夏のことを懐かしく思い出す。僕は、イートインで高瀬と二人、ぼんやりとアイスを食っていたことを思い出すのだろうか。今のこの、まったりとして気怠いプールの後の午後4時23分を、思い出すだろうか。
「そろそろ行こうか」
 高瀬が腰を上げる。イートインでの憩いの時間は終わり。表に出ると、ぐるぐるな酷夏が変わらずに僕たちのことを待っている。
 ああ、でも、と僕は高瀬のほっこりぽっちゃりとした後ろ姿を眺めながら思う。まあ、高瀬がいてよかったよ。
 何十年か経って、もしかして中2の夏の午後4時23分を思い出す時、ぎちっと棒に貼りついた小倉アイスバーの記憶だけじゃなくて、その隣に、ゆるーく甘い香りのかき氷メロンがあれば、きっと僕は少しはやさしい気持ちになれるように思える。
「何やってんの? 山ちゃん、行くよ」
 汗でTシャツをむちむちした背中に貼りつかせた高瀬は、ぼんやりしていた僕のことを怪訝そうな顔をして振り返った。
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