第1話

文字数 2,000文字

 生まれ落ちたその日から、酒は盗むものと決まっていた。父も母も稀代の大盗賊で、おまけに酒豪ときていたからだ。私は物心ついてからというもの、偉大な両親を持つ者のプレッシャーを常に感じながら生きてきた。親戚も友達も学校の先生さえも、体育の授業ででんぐり返しをした程度のことで、「これは行く末が楽しみだ。きっとお前はお父さんお母さんを超える大盗賊になるに違いない」などと言うのだからたまったものではない。私は盗人なんかになりたくはなかったのだ。なりたかったのは本屋の店員だ。だが生まれついた環境と、私の血に流れる盗賊の才能とが、私を書物の世界から無理やりに引き剥がし、世間の荒波に放り出したのだ。そして月日は流れ、今や私は懸賞金十億ゼニー超えの押しも押されぬ大悪党である。
 今夜の仕事は大商人マッフルポンザの宝物蔵から、一滴に一千万ゼニーの値がつくという幻のウイスキーを盗み出すことだった。私は三人の子分と共に高い石壁を越え、屋敷の地下にある秘密の倉庫に忍び込んだ。薄暗い部屋の中は悪どい商売で溜め込んだ金銀財宝で一杯だ。だが目指す獲物はただ一つ。私の盗賊の血と呑兵衛の血がレーダーの役割を果たし、たちまち宝石のように輝く壺型の瓶が見つかった。琥珀色の液体が精緻な切子面ごしに神々しい光を放っている。眺めているだけで喉が熱くなってぐびりと鳴った。盗賊の勘が告げる。これこそが千年に一度しか収穫できないという幻のトウモロコシを原料に、誰も顔を見たことがないという幻のマスターが丹精込めて蒸留し、恐ろしい(ドラゴン)が守る幻のオーク樽で熟成されたという幻の千年王国(ミレニアム)バーボンだ。と、急にあたりが明るくなった。「かかったな!盗賊王イッヒルゴロームよ!」振り向くと派手なガウンに身を包んだ男が立っていた。でっぷり太った体、テラテラ光る禿頭、好色そうな小さな目。そう、地獄商人の異名を持つ男、マッフルポンザだ。彼は嬉しそうにイヒヒと笑った。「お前の命運は今夜尽きるのだ」屈強な戦闘員たちがワラワラと現れ、仮面の奥から残忍な眼光を放ちながらジリジリと間合いを詰めてきた。「やばいぜアニキ」一の子分のウザッピが特製の癇癪玉を握り締めて言った。二の子分のネミも魔法の痺れん棒を構え、三の子分のゼンジーもカポエイラの技を繰り出すべく右の腿を高々と振り上げた。にしても敵の数が多過ぎる。「待て」私は逸る子分たちを制すると、千年王国バーボンの瓶を逆さに持った。「マッフルポンザ!子分を引き上げさせろ!さもないと、この瓶を今すぐ叩き割るぞ!」「やって見るがよい」極悪商人は私を指さしてアヒャヒャと笑った。「わからんか、お前が持っているのはただのリンゴジュースだ!」私は呆然として手に持った瓶を見た。そう言われてみると、なんだかリンゴジュースのような気もしてきた。マッフルポンザがくつくつと笑いながら言った。「内通(タレコミ)があってな。お前が今夜忍び込んでくることは、とうにお見通しだったのよ」私は愕然とした。鉄の結束を誇る私の盗賊団に裏切り者がいたとは!するとウザッピが「じゃ、そういうことで」と言って癇癪玉をポケットにしまった。そのままスタスタと敵の方に歩いてゆく。「おい…」絶句する私の隣で、ネミが「私もっと」と言った。「盗賊のロマンとかなんとか言って、今どき時給千ゼニーで引き止めておこうってのが間違いよ」彼女は言葉もなく立ち尽くしている私を尻目に、「マッフルポンザさーん♡」と嬌声をあげながら憎っくき敵に駆け寄った。「よしよし」とマッフルポンザ。「時給は二倍にして進ぜよう。社会保険もバッチリだぞ」すると肩がポンと叩かれた。振り向くとゼンジーが憐れみの目で私を見ていた。「俺らを怒鳴り放題でこき使って、手柄と宝はアニキが総取りだろ。結局こうなるんだよ」彼は尻ポケットに両手を突っ込み、長い足をぶらぶらさせて離れてゆく。「ようマッフルポンザさん、よろしく頼むぜ」私の全世界がガラガラと音を立てて崩れてゆく。命もこれまでのようだ。私を取り囲む戦闘員たちの輪が縮まった。その時「待て!」と声が響いた。見ると、高く積まれた宝の山の上に、男が一人立っていた。思わず私は叫んだ。「ザロ!」一刀流の無双の遣い手で、私の最初の子分だ。でも彼とは何年も前に袂を分かっていた。ザロはマッフルポンザに向かって手に持った瓶を突き出した。「おいマッフルポンザ、本物のミレニアムバーボンは俺が頂いた!」「何だと!」商人の顔色が変わる。ザロが叫んだ。「取り戻したけりゃ、アニキに手を出すな!」
 三十分後、私はわんわん泣きながらザロの肩にすがり、暗い夜道を歩いていた。「まあよアニキ」とザロ。「あいつらを恨むなよ。いい勉強をしたと思って、これからやり方を改めるんだな」「うわ~んザロ~」涙と鼻水が滝のように流れる。「ザロ~」「なんだいアニキ」「さ、酒をくれえ」「おうよアニキ」
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