第1話

文字数 1,959文字

 水とか彗星とか夏とか、はっきりと共通項はわからないけど、なんだか青くて光っていて透明で、綺麗なひびきをもつものが私は好きだ。それはクラスメイトも同じように思う。みんな口には出さないし、そんな話題にもならないけど、こっそりとそういう綺麗さに憧れを持っているような気がする。
 だってみんな平沢くんのことが好きだ。平沢くんには独特の透明感があった。いつの間にか私は彼と付き合っている。
 開け放たれた教室のドアごしに、廊下にいる彼がわかる。ひらさわーと呼ぶ声。違うクラスの女子が、ドアごしから窓ごしへ、窓ごしから彼のそばへ駆け寄っていくのが見えた。彼女は気色ばんだ雰囲気で彼と談笑しだす。
 彼は女の子と距離感を掴むのが上手いわけじゃない。彼は会話の中で間違うことがなかった。どこか大人びていて、話していると親戚のおじさんと話しているような気持ちになる時がある。適切なアドバイス、助言。辛い時、かけて欲しいタイミングで欲しい言葉をくれる。彼との交際はほとんど成り行きで始まった。でも、私は彼のことがはっきり好きだと言い切れないのだ。気持ちがないわけじゃないのに、やっぱり彼に対して底が見えない感じが拭えずにいる。
 私と付き合いだした時、彼は人生をやり直したいんだよね、と言った。学校での彼を見る限り、何か後悔があるようには思えない。家族関係も良好のようだし、学業も順調。どういうこと、と聞いても答えてくれない気がして、そうなんだとだけ私は言った。彼はさみしそうに笑ったけど、その笑みの意味さえわからない。
 今日の平沢くんとの初めての会話は、放課後だった。彼の方から私をデートに誘ってくれた。
 海へと向かう支線に乗り換えて、二人ならんで海岸を歩く。
「昼休み、ごめん」
 そう言われて初めて、自分が嫉妬していたことに気づく。いつも彼は少しだけ私の先回りをする。それが嬉しい時と、そうじゃない時があって、今は後者だった。
「私ね、平沢くんのことがわからない」
「放っておいてごめん」
 放っておいたのは私の方だ。私は彼と向き合わなければいけないと思う。
「他の女の子と喋るのは、別にいい。わからないのはそこじゃないよ。」
 彼は背の低い私に合わせて少し屈んだ。彼の瞳のなかで私が揺らぐ。
「どういうこと?」
「君が何を不安に思ってるのか、わからない。君は優しいよ。それは私のことを好いていてくれるからだっていうのもわかってる。だけど、どうしてかいつも何かを補おうとしてる気がする。腫れ物を触るように、私に接してる気がする」
 彼の瞼が閉じられて、息を吸い込んだのが空気を通して伝わってきた。少しの間を置いて、彼は言う。
「僕は、数回目なんだ。何回目かはもうわからないけど。だから正しい言葉を選びたい」
行間の空いた返答だった。平沢くんは、まだ言葉をつづけようと考えあぐねているようだけど、もう私にはわかった。火葬場の匂いがした。
「そっか、だからか」
 私の納得の言葉を聞いて、やはり彼は怖がるようなそぶりを見せた。私の質問が数回目なのか、ただ数回目を生きているのかはわからなかったけれど、それはそこまで重要じゃなかった。いつも私の先を歩いていて、私を誘うように導く彼が、今はちゃんと隣にいる気がした。
「それじゃあ、私に平沢くんの昔のことを教えて。今の平沢くんじゃなくて、前の平沢くんのこと」
 水際に座ると、スカートの生地に海水が染みてお尻がひんやりした。
 彼は少しずつ話し始める。ここが自分にとって異世界だということ。だけどあまり違いはないこと。本名がカタカナだったこと。「なにぬねの」の文字だけそっくり別の文字だったこと。私と付き合って、別れ、事故にあったこと。別れを後悔していること。私が前の私とは考え方も話すことも違うこと。それでも、悩んでいることは時々同じで、解決することができたこと。
 聞き終えて、その私は私じゃないよ、と思う。私は代わりじゃないよ、と思い、それを口にしようとした時、彼は言った。
「だから、怖いんだ。君はもう前の君とは違うけど、僕はいま、いまここにいる君が好きなんだ。君についてわかっていることが少なくて、間違いそうで、怖いんだ。好きだから、間違いたくなくて、型をなぞってしまって、」
「立って!」
 私は嬉しくなってしまって、平沢くんのことが本当に好きになる。ちゃんと好いてくれていることがわかったからって、人を好きになるなんて、虫のいい話だとも思うけど、でも確かに初めてこれからも通じ合っていきたいと思ったのだ。いま好きであれば、私はそれでいい。
 平沢くんは、立ち上がった私に合わせて、また少しかがんでくれる。
 彼は私にそれっぽい抱擁をくれる。大丈夫。これからは。
 私は彼の肩を掴んでしっかりと立たせ、背伸びをしてからキスをした。
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