第1話

文字数 1,991文字

 雨が降ってきた。こんな山のなかで道に迷って、雨まで降ってきて、ついてない。蝉がわんわん鳴く声に、頭がぼーっとしてきた。
 こんなけもの道に入ったのが間違いだった。今日はずいぶん釣れたんだし、あのまま帰ればよかった。自転車を置いてきた、あの分かれ道に戻りたい。
 右手のバケツには、アマゴがいっぱい入っている。重たくて手がしびれてくる。
 このまま帰れなかったらどうしよう。テレビで「15歳少年、雨森山にて行方不明に」なんてニュースが流れているのを想像して、ぞっとした。
 バケツを置いて、草むらに座り、水筒の麦茶を飲む。ふと、少し先に小さな白い小屋があるのを見つけた。
 やった、人がいるかも。木の枝をくぐり、盛り出した根をまたいで、小屋までたどり着いた。
 小屋はとても小さくて、屋根は僕の背丈より少し低いくらいだ。
 軒下には、大きな紙みたいなものが吊り下げられている。その奥の小さな窓から中を覗こうとしたら、大きな声が聞こえた。
「あーっ!青が、空っぽ!」
「えぇ?!雨上がりまであと一時間じゃぞ!」
 人がいる!よかった。ここで道も教えてもらおう。
「あのぉー…」
 僕はそっとドアを開けて、すこしかがんで中を覗いた。中にいた人たちは、ぎょっとした顔で僕を見た。僕もまた、驚いてしまった。おじいさんくらいの年齢の人がひとり、若い女の子が二人、みんな僕の三分の一くらいの背丈なのだ。胸の前で合わせになっている、変わった服を着ている。
「なんで、人間がここに?」
 若い女の子たちは、あとずさりしながら言った。
 僕が人間と呼ばれるなら、君たちは?と思ったが、驚きでうまく口が動かせない。
 小屋の中は、いろんなものが所狭しと置かれている。カゴに積み上げられた、のうぜんかづらの花びら。半分黄色に染まった大きな紙。真ん中の大きな机の上にはすり鉢があり、雑草や葉っぱが細かくすられているところのようだ。かまどの上では、大きな鍋が煮立っている。なにかの工房みたいだ。
 おじいさんは冷静に一人進み出て、「もしかして、青を持っているのかね。君、それはなにかね?」
 おじいさんは僕のバケツを見て言った。
「え、アマゴ…」
 おじいさんはバケツを覗き込んで、「アマゴとは魚じゃな?ということは、これで青が作れる」と言うと、勝手にバケツを取っていってしまった。
 そして、女の子たちにアマゴを見せて「ほら、お導きじゃよ」と言った。
 女の子たちは顔を見合わせながら、口々に言った。
「お導きって、聞いたことはあったけど」
「材料が足りないときに、人間が持ってきてくれるってやつね?」
「でも、誰が導いたの?」
 おじいさんは「わしも知らん。自然とはそういうものじゃよ」とそっけなく言った。
 おじいさんは僕に向き直って「すまんが、これを頂くことになる。無事に任務が終わったら、別のものでお返しをするから、少し待っててくだされ。ほれ、そこに腰かけて」と僕の横にある椅子を指した。
「あなた方はなんなんでしょう?ここは何をするところなんですか?」
 僕が聞くと、おじいさんはもう作業を始めていて、こちらも見ずに答えた。
「雨上がりづくり第七工房じゃよ。説明するには時間がない。見てればわかる」
 僕はしょうがなしに椅子に腰をおろした。女の子たちは僕をこわごわ見ながらも、作業を始めた。
 おじいさんは魚を一列に並べ始めた。並べ終わると一旦外に出て、軒下に吊るされていた紙を持ってきた。魚の上にその紙を載せて、鍋で煮立っていたものを上からかけていった。しゅーっと蒸気が立った。魚の上の紙は、きれいな青色に変わっていく。おじいさんが紙をはがすと、並べられていたはずの魚は、跡形もなくなっていた。僕は驚いてしまって、目が釘付けになった。
 そうこうしている間に、女の子たちは赤の紙や橙の紙を作り上げていた。
 女の子のひとりが窓の外を確かめて、「そろそろ上がりまーす!」と言った。
 三人は七枚の紙を持って、外に出て行った。僕も思わずついていった。
 降っていた雨は、ぽつりぽつりとなっていて、もう上がりそうだ。
 三人は草の上に、七枚の紙を並べ始めた。上から赤、橙、黄、緑、青、藍、紫。並べた紙は、まだ少し降っている雨粒で濡れていく。すると、濡れたところから、光を帯びてきた。信じられない気持ちで見つめていると、どんどん光が大きくなり、七枚それぞれの色が溶け合ってきた。ひとつの大きなかたまりになったかと思うと、ざーっと空に向かって伸びていった。
 わっ、虹だ!と思った次の瞬間、気がつくと、自転車を置いた分かれ道に立っていた。空を見上げると、大きな虹がかかっていた。
 手にはちゃんとバケツを持っていて、中にはアマゴではなく、黒くて小さな種が入っていた。
 見覚えのある種。そうだ、アサガオの種だ。もしかして、青色のアサガオが咲くんじゃないか。今度ためしてみようと思った。








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