不要なデータ
文字数 2,684文字
異星人アルファは、宇宙船の中から地球の様子を眺めていた。
暗闇の中からポツンポツンと、まばらに現れる光が終わると、今度は大きな光のかたまりがその一帯を覆っている。それはまるで、宝石箱の宝石たちが自ら光を放って輝いているように見えた。巨大なスクリーンに映し出された映像を、少しずつ拡大してみた。地上に立ち並ぶ大小さまざまな形をした建造物から、無数の光が外へ放出されている。
さらに拡大して見ているうちに、アルファは建物の屋上に一人の女を見つけた。女はビルの屋上で、はるか遠くを眺めている。そのうつろな目は、美しい夜景を鑑賞しているとは思えなかった。女の表情からは、絶望の色がにじみ出ていた。
なぜそこで、そんな表情をしたまま立っているのだろう。
アルファはその女に興味をもった。そして早速、地球に降りる準備をはじめた。
宇宙船の中には異星人変換装置があった。他の星に降りる際、その星の生物になりすますための装置だ。アルファはその装置の中をくぐると、地球人の女性に変身した。
アルファは宇宙船をビルの屋上に着陸させて外に出ると、ゆっくりと女に近づいた。
女の背中を眺めながら、その二メートルほど手前で立ち止まると声をかけた。
「そこで何をしているの?」
女はピクリと驚いて振り返ると、アルファを凝視した。そして、知らない人に見つかってしまった悔しさから、すがるように訴えた。
「止めないで!」
「止めるって、何を?」
「今、ここから飛び降りるんだから!」
「そのまま飛んだら死んじゃうわよ」
女は震えながら涙を流した。
「生きていくのが辛くてたまらないんです。人間関係にも疲れてしまって、この先、生きていても楽しい未来が来るわけがないし……」
地球人は、いろんな理由を見つけて人生を終わらせるのか。アルファは驚いていた。
「それなら、あなたの人生を私にちょうだい」
アルファの呼びかけに、女はキョトンとした顔をした。
「いらないんでしょう? もらってあげる。ああ、大丈夫よ、痛くも苦しくもないから」
女はしばらく考えていたが、やがてアルファに訊ねた。
「どうするの?」
アルファは右手の人差し指を、女の顔に向かって指差した。
「私のこの指があなたの額を押すと、あなたは眠くなるの。そのまま永遠に眠り続けるのよ」
女は興味深そうに身を乗り出した。
「私はどこで眠り続けるの?」
アルファは天空を指差すと、ニコリと微笑んだ。
「カプセルに入って、宇宙の中を漂い続けるのよ」
「ずっとね? もう、ここには戻らないのね?」
アルファはコクンと肯いた。
「そうそう、大事なことがあるの。あなたに関するデータをもらわなくちゃいけないわ。私があなたとして生きていくためにね。これまでの経験とか知識とか、どんな人なのか、あなたに関係する必要データがほしいの」
「私として生きていくために、必要なデータをあげればいいのね」
「そう。私はあなたになって生活しなければいけないから、そのための情報が必要よ」
「分かったわ。私の必要なデータをあげるわ」
アルファは女を眠らせると、宇宙船の中に運んだ。そして、女の深い眠りを確認すると、早速、処理に取りかかることにした。
女の身体を生物複製装置の中に入れると、やがて女とそっくりの人型が装置の中に現れた。次に、脳に細い針を刺すと、必要なデータをデジタル化してICチップに抜き取っていった。
アルファは自分のこめかみの部分にICチップを嵌め込むと、女の人型の中に入った。あとはデータを頼りに中から操作すれば、この女になり替わって生活できる。
駅前通りを少し歩いたところに、ひっそりと佇む喫茶店がある。間口が二間ほどの小さな店だ。入口の木製扉は、ところどころペンキが剥げていて、扉の上に小さな看板が掲げてあった。喫茶店だと気が付かなければ、通り過ぎてしまうだろう。
絵里子は喫茶店のドアを押した。
「いらっしゃいませ」
店の奥から店員の声が聞こえた。
絵里子は地方から都市部の大学に進学した。一人暮らしをはじめて三年、生活にも学校にもすっかり慣れてきたところだ。
このところ気が滅入ることが続いて、精神的に落ち込んだ日々を過ごしていた。気分転換に買い物がてら出かけてきたのだ。
窓際のテーブル席についてメニューを眺めていると、店員がコップの水をテーブルに置いた。
「決まりましたら、お声がけください」
絵里子はその声に聞き覚えがあった。
とっさに顔を上げると、そこに友だちの香澄が立っていた。
「あれー、香澄じゃん。ここでバイトしていたんだね」
香澄は絵里子の高校時代の友だちだ。三年間クラスが一緒だったこともあり、いつも行動を共にした仲だった。進学した大学は違うが、郷里を離れて一人暮らしをしていることは知っていた。
絵里子の言葉に香澄はキョトンとした顔をした。
「すみませんが人違いではないですか?」
落ち着いた口調で返事をすると、困った表情をした。
「やだぁ、忘れた? 高校時代の友だち、絵里子だよ」
香澄は顔を傾けて考えているようだったが、お辞儀をすると席から離れていった。
絵里子は香澄の反応に驚いた。高校時代、あんなに仲良しだったのに。
それに気になるのは香澄の表情だ。落ち着いた雰囲気と言えば聞こえはいいが、顔つきがなんとなく暗く、以前の香澄の雰囲気とは違っている。
高校時代の香澄は活発で、いつも笑顔が絶えなかった。部活動や地域のボランティア活動にも積極的に参加していて、友だちも多かった。そんな明るく朗らかな性格ゆえに、周りのみんなから好かれていた。
お互い世間にもまれ、辛いことに耐えていろいろな経験をしている。そんな中で、それまでの香澄から少し大人になったのかなと絵里子は思った。
香澄はスタッフルームに入ると、ふぅっとため息をついた。
さっきのはどういうことだ?
香澄という人間から人物データをもらったが、〝友だち〟というデータはなかったはずだ。
アルファはあのとき、確かに香澄として生活するための必要なデータをもらった。だから、ここ地球で人間として生活できている。
おそらく一部、もらえなかったデータがあるのだ。〝友だち〟というデータはもらっていないのだろう。だが、それをもらわなかったからといって、今まで不自由なことは起こらなかった。
そのデータは、香澄という人間として生きていくには、不要なデータだったのかもしれない。あのとき彼女にとって、友だちを捨てて生きるか人生を捨てるか、どちらかだったのだろう。
アルファは納得するかのように、首を二、三度縦に振った。
(了)
暗闇の中からポツンポツンと、まばらに現れる光が終わると、今度は大きな光のかたまりがその一帯を覆っている。それはまるで、宝石箱の宝石たちが自ら光を放って輝いているように見えた。巨大なスクリーンに映し出された映像を、少しずつ拡大してみた。地上に立ち並ぶ大小さまざまな形をした建造物から、無数の光が外へ放出されている。
さらに拡大して見ているうちに、アルファは建物の屋上に一人の女を見つけた。女はビルの屋上で、はるか遠くを眺めている。そのうつろな目は、美しい夜景を鑑賞しているとは思えなかった。女の表情からは、絶望の色がにじみ出ていた。
なぜそこで、そんな表情をしたまま立っているのだろう。
アルファはその女に興味をもった。そして早速、地球に降りる準備をはじめた。
宇宙船の中には異星人変換装置があった。他の星に降りる際、その星の生物になりすますための装置だ。アルファはその装置の中をくぐると、地球人の女性に変身した。
アルファは宇宙船をビルの屋上に着陸させて外に出ると、ゆっくりと女に近づいた。
女の背中を眺めながら、その二メートルほど手前で立ち止まると声をかけた。
「そこで何をしているの?」
女はピクリと驚いて振り返ると、アルファを凝視した。そして、知らない人に見つかってしまった悔しさから、すがるように訴えた。
「止めないで!」
「止めるって、何を?」
「今、ここから飛び降りるんだから!」
「そのまま飛んだら死んじゃうわよ」
女は震えながら涙を流した。
「生きていくのが辛くてたまらないんです。人間関係にも疲れてしまって、この先、生きていても楽しい未来が来るわけがないし……」
地球人は、いろんな理由を見つけて人生を終わらせるのか。アルファは驚いていた。
「それなら、あなたの人生を私にちょうだい」
アルファの呼びかけに、女はキョトンとした顔をした。
「いらないんでしょう? もらってあげる。ああ、大丈夫よ、痛くも苦しくもないから」
女はしばらく考えていたが、やがてアルファに訊ねた。
「どうするの?」
アルファは右手の人差し指を、女の顔に向かって指差した。
「私のこの指があなたの額を押すと、あなたは眠くなるの。そのまま永遠に眠り続けるのよ」
女は興味深そうに身を乗り出した。
「私はどこで眠り続けるの?」
アルファは天空を指差すと、ニコリと微笑んだ。
「カプセルに入って、宇宙の中を漂い続けるのよ」
「ずっとね? もう、ここには戻らないのね?」
アルファはコクンと肯いた。
「そうそう、大事なことがあるの。あなたに関するデータをもらわなくちゃいけないわ。私があなたとして生きていくためにね。これまでの経験とか知識とか、どんな人なのか、あなたに関係する必要データがほしいの」
「私として生きていくために、必要なデータをあげればいいのね」
「そう。私はあなたになって生活しなければいけないから、そのための情報が必要よ」
「分かったわ。私の必要なデータをあげるわ」
アルファは女を眠らせると、宇宙船の中に運んだ。そして、女の深い眠りを確認すると、早速、処理に取りかかることにした。
女の身体を生物複製装置の中に入れると、やがて女とそっくりの人型が装置の中に現れた。次に、脳に細い針を刺すと、必要なデータをデジタル化してICチップに抜き取っていった。
アルファは自分のこめかみの部分にICチップを嵌め込むと、女の人型の中に入った。あとはデータを頼りに中から操作すれば、この女になり替わって生活できる。
駅前通りを少し歩いたところに、ひっそりと佇む喫茶店がある。間口が二間ほどの小さな店だ。入口の木製扉は、ところどころペンキが剥げていて、扉の上に小さな看板が掲げてあった。喫茶店だと気が付かなければ、通り過ぎてしまうだろう。
絵里子は喫茶店のドアを押した。
「いらっしゃいませ」
店の奥から店員の声が聞こえた。
絵里子は地方から都市部の大学に進学した。一人暮らしをはじめて三年、生活にも学校にもすっかり慣れてきたところだ。
このところ気が滅入ることが続いて、精神的に落ち込んだ日々を過ごしていた。気分転換に買い物がてら出かけてきたのだ。
窓際のテーブル席についてメニューを眺めていると、店員がコップの水をテーブルに置いた。
「決まりましたら、お声がけください」
絵里子はその声に聞き覚えがあった。
とっさに顔を上げると、そこに友だちの香澄が立っていた。
「あれー、香澄じゃん。ここでバイトしていたんだね」
香澄は絵里子の高校時代の友だちだ。三年間クラスが一緒だったこともあり、いつも行動を共にした仲だった。進学した大学は違うが、郷里を離れて一人暮らしをしていることは知っていた。
絵里子の言葉に香澄はキョトンとした顔をした。
「すみませんが人違いではないですか?」
落ち着いた口調で返事をすると、困った表情をした。
「やだぁ、忘れた? 高校時代の友だち、絵里子だよ」
香澄は顔を傾けて考えているようだったが、お辞儀をすると席から離れていった。
絵里子は香澄の反応に驚いた。高校時代、あんなに仲良しだったのに。
それに気になるのは香澄の表情だ。落ち着いた雰囲気と言えば聞こえはいいが、顔つきがなんとなく暗く、以前の香澄の雰囲気とは違っている。
高校時代の香澄は活発で、いつも笑顔が絶えなかった。部活動や地域のボランティア活動にも積極的に参加していて、友だちも多かった。そんな明るく朗らかな性格ゆえに、周りのみんなから好かれていた。
お互い世間にもまれ、辛いことに耐えていろいろな経験をしている。そんな中で、それまでの香澄から少し大人になったのかなと絵里子は思った。
香澄はスタッフルームに入ると、ふぅっとため息をついた。
さっきのはどういうことだ?
香澄という人間から人物データをもらったが、〝友だち〟というデータはなかったはずだ。
アルファはあのとき、確かに香澄として生活するための必要なデータをもらった。だから、ここ地球で人間として生活できている。
おそらく一部、もらえなかったデータがあるのだ。〝友だち〟というデータはもらっていないのだろう。だが、それをもらわなかったからといって、今まで不自由なことは起こらなかった。
そのデータは、香澄という人間として生きていくには、不要なデータだったのかもしれない。あのとき彼女にとって、友だちを捨てて生きるか人生を捨てるか、どちらかだったのだろう。
アルファは納得するかのように、首を二、三度縦に振った。
(了)