第1話

文字数 8,937文字

 私の生まれは、関東近郊の深い深ーい山奥の寂しい寂しい村里でございまして、楽しみと言ったら村の仲間と遊ぶ事、村の女たちにちょっかいを出す事、村の大人たちにかまってもらう事、村のジジイババアの昔話を聞く事くらいでした。
それでも、まあ実に豊かで、笑いの絶えない、とても充実した子供時代を過ごせた気がしています。確かに、山と川があって、食うもんが飢えない程度にあって、女がいりゃ、じゃあそれ以上に人間が求めるモンてのは一体何なんだろうと、改めて考えると思ったりもするんですが…。
 あれは、確か私がちょうど九つになった年の春先の事でした。
春先といえば梅が咲き、沈丁花が香り出し、山は笑い始め、そろそろ土手に菜の花がなんてね、実に心踊る時期でございますが。
 はい、九つになった春先の事でございました。
 当時はまだ、何をして生活しているんだかよくわからない人が多くいたもんでございます。実際日本各地の村を渡り歩いて、お恵みを頂戴しながら生きていたなんて人も結構いたそうで。そのお恵みのお返しには他の土地の土産話や土産の品、そして子の種を置いていったりして。今と違って、生まれてから死ぬまでほぼ村を出たことが無い者がザラにいた頃ですから、よその土地の話や土産なんてのはまあ今でいえば洋画のような、とてつもないエンターテイメントであった訳です。そしてすぐに血が濃くなってしまう村社会では、余所者は、まあ、必要なんですな。
 私の生まれ育った村にも、そんな何だか素性のよくわからない人がたまに来ておりまして、まあ、名前ぐらいは知ってんですけど、ほぼ乞食みたいななりをしてね、ふと村にやってくる。んで、一週間か十日くらいするとまたふといなくなってしまう。でそういう人ってのは毎年だいたい来る時期ってのが決まってるんですね。
 
そんな人達の一人に、よっさんと言う人がいました。
 彼はそういう、フラッとやって来る人たちの中でもまだ若い方で、大柄でえらいガッチリしていて力があってね、でとても優しくてよく遊んでくれる。ガキどもが最高に喜ぶ大人だったんですな。思いっきり蹴りを入れてもビクともしない。こっちの足が痛くなる。子供3人がかりくらいでもビクともしない。首にぶら下がろうが、押そうが引こうがもう涼しい顔してる。そんな人気者のよっさんが、はい私が9歳の年の春先に、また村にやってきた。
 しかしその年は、去年までのよっさんとは全く様子が違ったんですね。あの屈強のよっさんがげっそり痩せ細って、髪の毛もボウボウに伸びきって、しかも所々ごっそり抜け落ちて斑らになってる。で左腕が肘の上あたりから無くなってる。
 そのあまりの変わりように、私たちガキどもは最初それがよっさんだとわからなかった。んでそれが、「あ、よっさんか」と分かってからも、なんだかあんまり近寄れない。
 いつもだったら、村に着いた途端「よっさんだー!」ってうわーっとよっさんに集りついて、そういう流れてくる人たちが泊まる掘建小屋が村の外れにあったんですが、そこまで戯れまくってじゃれまくって、荷物をその小屋に置いたら「さあ、遊んでくれー!」ってな具合でしたが、あんまりよっさんの雰囲気が違うもんだから、当巻きにソロソロと着いて行くしかできない。
 何かがあったんだろうというのは、子供は非常に敏感に察知できるものですが、察知はできたとしても、その上でどう接したら良いかという知恵がないのが子供でございます。
 小屋に荷物を置いてよっさんが出てくると、子供達はだーっと逃げる。よっさんはのっそりと近くの河原に向かう。子供達はコソコソと着いていく。
 河原に着くとよっさんがゆっくりと石に座る。ボーッと空(くう)を見てる。少し離れたところで、ガキども4、5人で同じようにボーッと鼻を垂らしながら遠巻きによっさんを見てる。
 時間が過ぎていく。
 初めは気付かなかったんですが、まあ川の流れが割と急なところですのでよく聞こえなかったんですが。ボーッとよっさんを見てると、何やらよっさんがブツブツと喋っているんですな。何をしゃべってるんだかはわからない。
 誰かと話をしているような、念仏を唱えているような。
 ついつい耳を澄まして聴いてしまう。なかなか聞き取れないからだんだんだんだん近寄っていく。するとどうやら、うちのジジイババアが毎朝やってるお経みたいなもんを唱えているようだ。何を言ってるかはさっぱりわからない。
 でも所々「お蝶、すまねえ」とか「腕一本」とか、ガキでも分かる言葉が出てくる。
 じいーっと盗み聞きに集中していると突然よっさんが立ち上がり「キエーイ!!」という奇声を発したと思ったら、どさっとその場にぶっ倒れてしまった。ガキどもは「キャー!!」と叫んで一目散に河原から逃げてきた。

 それから六日間、よっさんは寝込んでしまった。
 世話に行った村のおばちゃんや、様子を見に行った村のおっちゃん達も、よっさんが何やらよく分からない事をブツブツ言っているのを聞いたそうで。
 あと「お蝶」。お蝶という名前はみんな聞いたそうでした。

 よっさんが到着して、ぶっ倒れた日から七日目のことでした。 
村のガキどもにしょうちゃんてのがいて、私が一番気が合うやつだったんですが、このしょうちゃんと私は、村の神社の裏から山林にすこーし入っていったところに、今風に言えば、秘密基地みたいのを持っていまして。基地ったって木の枝と葉っぱで作った誠にチャチぃものですが。
 その日、二人で基地に行き、よっさんはは一体なぜあんなになってしまったんだろう、またこれから一体どうするんだろうみたいなことを一生懸命に話しておりました。しょうちゃんも私もよっさんが大好きだったので、それは夢中になって話し込んでいたんですな。気がつくといつの間にかしとしと雨が降っている。
 まあ、しばらく待ってれば止むだろう。止んだら帰ろうなんて言って、また色々と話し込んでいました。すると、雨がどんどん激しくなってくる。あっという間に土砂降りになってしまった。
 こりゃあ帰ったほうがいいなってんで、まず私が基地を出る。すごい雨の音だ。出た瞬間にもうびしょ濡れになってしまう。続いてしょうちゃんが出てくる。「すげえ雨だなあ」と言おうとすると、足元にしょうちゃんがゴロンと転がる。「どうしたしょうちゃん」としゃがもうとした瞬間、横っ面にすごい衝撃を受けまして、そのまま視界が真っ暗になってしまいました。

 どのくらいたったか全くわかりませんでしたが、次に気がつくと、頭が猛烈に痛い。痛っと頭を抱えようとすると両手が動かない。どうやら後ろ手に縛られている。なんだ?と思いだんだん意識がハッキリしてくると、誰かに担がれてるんですな。目を開けて周りを見ようとするんですが、よく見えない。なんかの布で頭をすっぽり覆われてる。細かい縫い目から光が入ってくるのが見える。本能的に、気づかないふりをしていた方が良いだろうとは思ったんですが、こんな風に担がれてるから頭に血が上ってて、心臓が鼓動を打つ度に頭がヅキヅキ痛んでたまらない。我慢できないから、こう、「目が覚めたぞー」と「う、う~ん」みたいな声を出してみる。でも私を担いで歩いている奴は何も反応してくれない。で、ふと気付いたんです。あ、私を担いで歩いてんのは多分よっさんだ。そう思ったら少し安心したんですな。でも状況は怖くて仕方ないし、よっさんも頭がいかれちまってるかもしれないんで声はやはりかけられない。
ヅキヅキ痛む頭で色々と考えてみる。何となく思い出せるのは、私の足元にしょうちゃんがゴロンと転がったところ・・・。
 あれ? ・・・しょうちゃんはどうした?そう思った瞬間、よっさんが立ち止まった。
 そこいらに無造作に放られる。そん時によっさんの向こう側の肩からも何かがおろされるのがわかった。しょうちゃんか…?確かめたいが、何をされるかわからないから下手に動けない。引き続き死んだふりをしている。
 ブツブツとよく分からない言葉が不意に聞こえる。で、分かりました。あ、やっぱりよっさんだ。間違いない。
 すると隣に放られてるのはしょうちゃんのはずだなと思う。ああ、そうか俺達はよっさんに攫われたんだ。で?一体どこに連れて行かれるんだろう…。そう考えると痛む頭に不安がべったり広がってくる。
 ・・・でもなんかおかしい。なんか違和感があるんですな。俺のすぐそばに俺の担がれていた逆側の肩から放られた、しょうちゃん?しょうちゃん・・・.。
 なんというんでしょう。確かにすぐそばに何かはあるんですが、それがヒトのような気がしないんですね。
 無機物と有機物の違いと言いましょうか。ヒトというよりはモノが転がってるんですな、感覚としては。
 子供の頭であれこれと考えてみるんですが、なんだか考えがまとまらない。軽いパニック状態ですな。
 そうこうしているうちに、よっさんがどこかに歩いて行ってしまった。お!これはしめたものだ。足音が聞こえなくなるまでジーっと待つ。
 何にも聞こえなくなるのを待って、急いで後ろに縛られている手で隣に触ってみる。微かに触れたので思い切って握ってみた。
 あーっ!!思わず声を上げてしまいました。それは間違いなくしょうちゃんの手でした。同じように後ろ手に縛られている。でも俺の知ってるしょうちゃんとは全く違う。ひどく冷たくなってるんですな。
 もう、いっぱつでしょうちゃんが死んだとわかる訳です。しかも思わず上げてしまった声を聞いてよっさんが戻ってくるんではないか。戻ってきて、俺も同じように殺されてしまうんではないか。そう思うともう怖くて怖くて、思わず逃げ出そうと何とか立ち上がってやたらに走り出すんですが、布で頭を覆われていて何にも見えなからすぐ木にぶつかって転んでしまう。二、三度走って、木にぶつかって転んでを繰り返してふと考えた。
 今俺は一体どこにいるんだろう。逃げるってもどっちに行ったらいいんだろう。山の怖さってのは十分分かってますから。こうなると、例え気狂いでもよっさん以外に頼れるものがないんですな。
 最悪の思いでした。イカれちまってるものに頼らざるをえない。ねえ。手洗い専用って書いてある汚い公衆便所の水道の水を飲むみたいなもんです。でも九つのガキには他に道がない。
 仕方なく、今は変わり果てたしょうちゃんの隣に戻って静かに寝てる。すると、しょうちゃんがいなくなってしまったという現実が嫌という程身にしみてくるんですな。しょうちゃんなのにしょうちゃんじゃない。
 しばらくすると、よっさんが帰ってきた。相変わらずブツブツワケのわからないことをつぶやいている。「よし、どこかの里に着いたら逃げ出そう。それまでの辛抱だ。」
 すると、よっさんがふと黙りこくる。しょうちゃんを物色しているようだ。しょうちゃんが死んでいるのに今気づいたようで。低く唸ると、俺を担いで歩き出した。
 おい、しょうちゃんは?しょうちゃんを置いていくのか?こんなところに置かれていったらしょうちゃんはどうなるんだ?
 この時ばかりはつい声が出そうになったものですが、自分が同じ目にあうかもしれないという怖さが勝ると、我慢するしかなかった訳で。
 無情なもんでございます。・・・やはり最後は自分が可愛いんですな。後々この一件にひどく苦しめられることになるのですが。良心の呵責ってのは、辛いですな本当に。

 で、よっさんは俺を担いである村に着きました。
 なんだか、甘い匂いがしてくる。でも同時に、息を吸う度なんともいえない匂いがこう、微かに鼻の奥にこびりつくんですな。でどこか遠くでお経みたいなものを読んでるような声が聞こえる。こりゃあ一体どこだ、と。
 よっさんは色んな人と挨拶をしてます。男もいれば女もいる。で、ある家の中に入りました。よっさんは俺を雑にそこらに放るとどっかに行っちまった。私はとりあえず何だか安心したんですかな、そのまま眠っちまった。
 目が覚めると私は粗末な小屋の中で藁の上に寝っ転がってました。顔に被ってた布は外されて手も自由になってる。少しボーッとしてると外から誰かが入ってきた。女の人・・・まあ、面倒みてもらったお香代さんなんですが、・・・うん、少しこう、違ってたんですな。胸の辺りと尻の周りが異様にでかい。子供の印象だとそんなもんで、シルエットで言うと、馬鹿でかい昆虫が立ってる感じですか。頭部と胸部と腹部。まあ、腹部の先っぽは割れて両足になってるんですが。着てるもんも、丈の短い、こう、緩いワンピースみたいな。で驚いちまったのが顔なんですな。目がバカでかいんです。んでビンディ見たいのが眉間にある。口は少ぉし出っ張ってて、犬歯が嫌に目立つ。でも、当たり前ですが、普通に動いてる様は人間です。普通に髪を結って手も五本の指がある。ジッと見てるとお香代さんが私に気づいた。笑いました。微笑みかけてくれました。・・・なんとも魅力的なんですなこれが。村のね、少し歳が上の優しい娘達も大好きでしたが、全然違う何かなんですな、これが。近くに来て、よく来たねっつって頭撫でてくれたんですがね、もう匂いがねえ、堪らなかったですねえ。忘れられません。あま〜い、なんかどっかへ連れてかれちまいそうな・・・で近くで見るとその顔がまた、可愛いんですなあ。いっぺんで好きになっちまった。そうすると飯を持ってきてくれた。飯は何だかよく分からないもんだったんだが甘い汁の中に肉団子見たいのが入ってて。とにかく腹が減ってたから夢中で食べました。でまた寝ちまった。
 次に目が覚めると夜でした。蝋燭が一本、頼りない火を灯してる。村についた時、お経を読んでるような声が聞こえたってさっき言いましたが、それがなんというか、激しくなってて、怒号のように響いて来るんですな。お香代さんがいなかったから外に出てみた。出て見ると村の様子がわかる。まあ、自分の村から出たのが初めてだったんでそん時は驚きましたが、今思えばよくある山村で高い山に囲まれてました。自然とその声のする方へ足が向いて、行って見ると村の外れの方で、少し山の方に歩いて行くとどんどん声がでかくなって来る。恐る恐る近づくとでっかい洞穴みたいのがあってどうやら声はそこから聞こえて来るんですな。何か怖くて足が動かない。したら後ろから声をかけられた。振り向くとお香代さんが探しに来てた。まだ入っちゃダメだと言われて帰りました。

 まあ、言ってしまうと・・・うーん。その、蜂がうまく人間社会と混ざったところだったんですな・・・
 女王蜂に当たるのが髪御さんと言って、その洞穴の奥の方に祀られてるんですが、まあこれほど美しい女性というのを私はこれまで見たことがありません。雌と言うより、やはり女性なんですな。2メートルくらいあったかな。うん、身長が。他のその、村で暮らしてる女の人達よりかなり大柄で。黒くて長ーい美しい髪をしていて、自分の体より長く伸びてて艶々と輝いてるんですな。大きな乳と大きな尻をして。蜂っていやあ昆虫で固いのを想像すると思うんですが、うまいことに肌と肉は人間のそれが残ってる。何度も種をつけさせてもらいましたが、もう、その気持ち良さはただの人間の女性の時とは比べものになりませんでした。洞穴ん中で蝋燭の光でしか見えないんだけど、肌は少し黄色っぽくて、身体中うっすら産毛が生えてる。それが蝋燭の明かりで金色に光ってる。この肌触りがもう、気が狂いそうになるんで。気持ち良くて。全身から甘ーい匂いがしてて、あれより良い匂いをかいだ事は無いですな。乳と尻は柔らかくて、ひたすら揉みしだいてたくなる。んであの髪が身体に触るとそれだけで射精してしまいそうになるんですな。髪御さんは髪と一緒に俺らをこう抱きしめてくれて・・・で何よりすげえのは性器の具合の良さなんですな。髪御さんに種付するのは大体5月か6月くらいからなんですが、毎年毎年髪御さんのアソコが忘れられなくて日本中から男が集まって来る訳ですよ。アソコの形は人間のとおんなじですが。ただ、蜜のようなもんでずーっと湿ってる。2、3回動かしたらすぐ出ちまう。我慢できない。形はおんなじでも中に入ったらただの人間とは比べものになんない。男だったら心底狂っちまう。狂っちまった男達が、殖房頭莟唱辞というお経見たいのをを一日中洞穴ん中で唱えてる訳です。よっさんがブツブツ言ってたのはこれで。そう・・・男達には3つグループがあって、俺みたいに子供の頃から交尾用に育てられる連中と、大人んなってからあの村に迷い込んで来る連中と、あと明らかに蜂の血が強く出てる連中が居て。デカいんだやっぱりそいつら、身体が。で、そのデカいやつらが一番上の階級で、その年の一番最初、まあ繁殖期と言うのかな。最初の三日、髪御さんと交わり続ける訳。朝から晩まで。始まるのが分かると、こっちももう身体が反応しちまって、家に居ても収まりがつかなくなる。そうするとお香代さんがちょっと手伝ってくれる。んで、その次、2番目に俺達。一応エリートみたいなもんで、着るもんも決まってて10人くらいで颯爽と洞穴に入ってく訳です。俺達もまる3日、代わる代わる髪御さんと交わり続ける。若いからね、こっちも果てがない。あこれは決まりがあってね、大体16か17くらいで役目が終わる。うん、歳が。その後は、まあ、格下げじゃあ無いけど、その一般の、迷い込んで来た大人の連中に混ざる訳。で一番下のそいつらはエリートの俺達が終わってからでないと髪御さんと交尾できない。うちらは終わると家に帰るけど、連中はそのまま洞穴ん中にずっといて、体力が持たなくなるとそのまま死んじまう。まあ、気狂いだよ、あいつらただの、見た目は。その死んじまった連中の処理と・・・まあ、普段の食糧の調達から何から何までその、お香代さん達があの村を動かしてたんだな。蜂で言えば働き蜂の人達。うん。俺らはなんつうか、都合の悪いことは一切知らされないで・・・
 で、よっさんの話に戻るけど、どうやらよっさんはある時、あの村に迷い込んじまったんだな。で働き蜂の人と恋仲になっちまった。その相手が「お蝶」さん。繁殖期が終わって村を出る時、よっさんはお蝶さんを連れてこうとしたらしいんだ。それはご法度でね。見つかって、お蝶さんはその場で殺されて、よっさんは腕一本と、子供を連れて来る事で落し前をつけたと。その子供が俺なんだけども。・・・だから、俺のグループの連中はみんなどこかから拐われてきてたんだろうね。でも、髪御さんじゃなくてお蝶さんを選んだってのが。ねえ・・・そう考えると、やっぱりよっさんは気狂いになり切ってなかったのかなあ。まあ、わかんねえけど。結局俺はそこに4年居て。不思議に思われるかもしれないですが、その間、生まれた村とか家族、友達が恋しくなった事は一度もなかったんですな。あの村全体に漂う匂いというのか、あれ嗅ぐだけで少しボーっとしちゃうんで。今考えると、何かこう、一種薬物的な作用があったのかなと。・・・俺のような子供のうちで、誰一人逃げ出した奴はいなかったし、考えもしなかったんじゃ無いかと思います。
 
 なんで私がこうして、あそこを抜け出して今まで生きてこられたかというと。・・・丁度あの村に着いてから4年目の繁殖期が終わる頃、夜中に火事が起きた。お香代さんに起こされて急いで表に出て見ると、もう村中火の海でね。みんな家から出て来ててそりゃあ大変な騒ぎになってた。一応俺たちは村から少し離れたところに避難させてもらったんだけどね、心配でしょうがないから、ブラブラ見に行っちまう。そしたらよっさんが来た。驚いたね。生きてるか死んでるかももうそん時は分かってなかったから。、え!生きてたのよっさん!てなもんで。そしたらよっさんがいきなり俺に土下座して、すまねえって。いうが早いか俺に目隠しして・・・ 覚えてるのはここまでなんですな。次に気がついたのは生まれた村の近くの山ん中で。目隠しを外して周りを見たら少し離れたところによっさんが死んでて。もうウジが沸き始めてたから・・・果たして自分が一体どのくらいの間気を失ってたか分かんなかったんですが・・・ うん、やっぱりよっさんは少ぅし人間が残って他たのかも分かりませんな。・・・川の音がするから行って見ると、村の近くの川で。

 帰って来たら帰って来たで村の方も大変でね。とても何があったか話せませんでしたね。ただでさえ、本当に俺かどうか信じてもらえてねえようでしたから。9才から4年も経てば身体も全然違う。何だかよそよそしくてね、みんな。2、3年居たけど、なんだか居づらくて、村出て、東京にたどり着いたらこれがもう驚きましたよ。当時の自分にとっては、蜂の村よりもっと衝撃でした。若かったから暮らせたんでしょうな。歳とってたらとても居らんなかったと思います。あんまり違いすぎて。私の居た村とは。何もかんも。上手いこと日雇いで使ってくれる親方に拾ってもらって・・・。

・・・40過ぎた位ですかね・・・その頃から、うーん・・・思い出すんですな・・・しょうちゃんの事を。正直、人に聞かれなきゃ村のことなんて何も思い出さないですけどね。しょうちゃんをねえ。思い出すんですな。これがねえ、辛くてね・・・戦争の時・・・はい、太平洋戦争、もう終われるなあと思ったんですがね。生き延びて。夢にも出てくんだよね。しょうちゃんが。笑顔でね。・・・呼ばれてると思うと尚更追いかけるの気が引けちゃって・・・ 夢ん中だと良いんだけどね、目え覚めると・・・あれが結局どこかわかんないんだけど、しょうちゃんは、あのままあそこに放っとかれて、それで・・・

                             取材担当 小林雄二  
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