第1話

文字数 5,202文字

 友人の辻井は40代。久しぶりに会ったら何だか少し元気が無い。どうかしたのかと聞いてみたら、こんな話を聞かせてくれた。

 数年前からなんだけど、俺の働いてる工場で建て替えの話が出てたんだわ。老朽化が進んでるから建て直しする事になってね。まあ、この御時世でそんな事出来るんだから、会社の業績はまずまずなんだろう。有り難いことだよ。

 工場棟は4棟あって、東西南北の名前が付けられて、それぞれに違う製品のラインが組まれているんだけど、その中の北棟に入ってるラインは、年に数回しか動かさない。と言うのも、動かす時は24時間操業で1ヶ月くらい回して製品を作り、それを倉庫にストックして置いて、受注があると出荷する。そして在庫が少なくなったら、またラインを24時間操業で稼働させ大量に作り置きするということを繰り返していたからなんだ。そこのラインは機械の構造上、朝立ち上げては夕方落とすということを毎日繰り返すより、機械を止めずに一気に大量生産した方が効率が良かったんだな。

 その北棟に幽霊が出ると言い出したのは、山野と言う男なのよ。山野は30代で以前は自衛隊で働いていたらしくて、筋肉の付いた体格の良い奴で、最初は派遣社員だったんだが、真面目に働いて正社員になったばかりの奴だった。

「辻井さん、北棟に女の幽霊が出るんすよ」
 
突然、山野が言ってきたんだ。

「お、おい、止めろよ。俺はこう見えてもビビリなんだぜ」

「でも、俺も見ましたから。足が悪いみたいに、ヒョコッ、ヒョコッて歩くんですよ」

「マジか、おい。勘弁してくれよ。掃除に入れなくなるだろうがあ」

 ラインは休止してても、週に1回は見廻りも兼ねて掃除に入る決まりで、それは北棟も同じだった。山野が女の幽霊を見たのも、その掃除の時だって言うんだよ。
 確かにね、北棟は人の出入りも少ないし、なんか他の棟より暗いのよ。あまり陽が入らないせいなのか、蛍光灯が古いせいなのか分からないけどね。俺も北棟で掃除する事あったけど、なんとなくね、1人では居たくない場所ではあったね。だから幽霊が出るなんて噂が立つのも、分からなくもないなとは思った。

 そんな噂を聞いた数日後、北棟のラインを動かす事になったから準備をしろとの指示を受けた。
 こっちは仕事だから、オバケの1匹くらいで仕事しないわけには行かないよな。いつも通り製造計画を立て、人員を決めて準備を進め、2週間後にはラインを動かせるようにした。それで、もうその頃には、山野から聞いた幽霊の話など忘れかけてた。その程度の話だったということよ。

 北棟のラインは、製造工程に手間は掛かるが、原材料はそれ程必要としないものだった。日中に1回材料を補充すれば、だいたい24時間は保つし、勿論完全にオートメーション化されてるし、連続操業でも、それ程の人員は必要としなかった。だいたい指示役の正社員とバイトと派遣が数名居れば回せる感じだったんだ。それで夜勤は、正社員2名と夜勤OKの派遣社員4〜5人でシフトを組んだ。夜勤中は、それぞれ交代で仮眠を取るんで、正社員は必ず2人は必要だったんだよ。
 ところがラインが動き出して直ぐに、夜勤のシフトに入っていた正社員の1人が、インフルエンザに罹ってしまったのよ。そうなるとまず1週間は出勤出来ないじゃん。もうしょうがないからシフト組み直しよ。それでちょっと気にはなったけど、山野を北棟ラインの夜勤に入れる事にしたのよ。そうしないと、とても回らなかったからね。

「北棟の夜勤ですか?」

 シフト変更を山野に告げたら、露骨に嫌な顔をされた。ああ、幽霊が気になるのかなとは思ったけど、敢えてそこには触れずに、
「お前がやってくれないとシフトが回せないんだよ」と言って、有無を言わせずやって貰うことにしたんだ。
 山野の夜勤は1週間だけで、その後は病欠の社員が戻ってくるから、昼間の勤務に戻すつもりだった。ところが病欠の社員が戻って来たら、今度はまた夜勤対応の別の正社員が1人、階段からコケて足を骨折して入院してしまったんだよ。えっ、と思ったよ。なんなのそれって、ちょっとは思った。立て続けに変だよなってね。だけど客観的に見て、インフルエンザと骨折には何の因果関係も無いからね。単なる偶然と捉えるしかないよな。それで結局、夜勤から外そうと思っていた山野を外せなくなって仕舞ったんだ。
 もしかして山野から不満の一言でも出るかなと思ったけど、幸い何も言わず、淡々と仕事をこなしている様子だった。幽霊の噂も、山野自身から聞いたあれ以来、他からは聞かないし、結局は気のせいかなんかだったんだろうって思ったんだ。

「山野さん、なんか最近変ですよ」

 そう言ってきたのは、夜勤専属で働いてる派遣社員の吉岡って男でね。もう1年位働いてくれてる奴。山野が公休で、俺が北棟ラインの夜勤に入った時に言ってきたのよ。

「なんかブツブツ独り言呟くことが多くなってて、変な雰囲気なんすよねぇ」

 機械の陰などの人気の無い所で、何やらブツブツ言ってたりしてると言うんだよ。

「飯もちゃんと食ってないんじゃないかなあ。なんか山野さん、痩せてきましたよねぇ」

「言われてみれば、確かに……」

 俺も思い当たらない事もなかった。しかしその時は、夜勤続きで疲れが溜まってるんかなあくらいにしか思わなかった。
 それでその後すぐ、山野に会ったんで声を掛けたんだ。

「最近どうよ。なんか疲れてないか?」

「そんな事ないですよ!」

 山野はビックリするくらい元気な声で返してきたんだけど、落ち窪んだ目と、痩けた頬で、眼光だけギラつかせて言うもんだから、かえって異様に感じたよ。それで以前、山野が言ってた、女の幽霊の事を思い出した。

「そう言えば、女の幽霊は、今も見るか?」

「はあ?女の幽霊?何の話ですか?」

「えっ、お前が前に言ってたじゃん。北棟に女の幽霊が出るって」

「ええっ、俺そんな事言いましたっけ?つうか辻井さん、幽霊なんて信じてるんですか?」

 山野の奴、自分で言ったことなのに、北棟の幽霊の事、すっかり忘れてたんだよ。何だか俺、狐につままれた気分になったわ。でもまあ、幽霊なんて居ないにこしたことないからね。山野がそう言うなら、それで良いだろうと思った。それに北棟ラインの24時間操業も、あと1週間で終わるってところまで来てたから、山野本人は元気だって言ってるわけだし、俺は様子見で良いだろうと判断して、それ以上は何も言わなかったのよ。だけど山野がいよいよ可笑しくなったのは、その後なんだ。

 北棟ラインの製造が休止に入ってすぐ、本社から工場棟の建て替え計画の発表があった。数年前から噂は聞いていたので、社員は誰も驚かなかったんだけど、どういうわけか山野だけが動揺を見せたんだ。

「それって、もう決定なんすか?」

「まあ、そうだろうよ。本社からの発表だからな」

「どうしよう……。ヤバいなあ……」

 そんな感じの事をブツブツ言ってた。
 更に山野が、北棟の建て替えを中止にして貰えないか、それが無理なら、せめて建て替えを1番最初では無く、最後にして貰えないかと、工場長にまで訴えに行ったと聞いて、俺は奴が正常じゃないと確信を持ったんだよ。だってサラリーマンなら分かるよな。本社の決定を覆す事なんて、余程の事がない限り無理に決まってるんだから……。

「少し休んでみたらどうだ?」

 俺は山野を呼び付けて、休暇を取るようにすすめてみたんだ。以前の山野は、服の上からでも分かるくらい筋肉質だったのに、その時にはもう、ワンサイズ大きめの作業着を着ているみたいに皺が寄っていて、急激に痩せたことがひと目で分かる状態だった。頬も痩け、目も落ち窪んで、だけど眼光だけが鋭く俺を睨みつけていた。

「工場長も心配しててな。有給もだいぶ残っているし、1〜2週間ゆっくり休めよ」

「でも……、彼女が……」

「えっ、彼女?」

 俺はオウム返しに聞き返した。山野に彼女が居るなんて初耳だったし、それよりも今の会話に、彼女の存在は関係ないだろうって思ってな。

「か、彼女が淋しがるから……」

「???」

 俺は頭の中に?マークしか浮かばなかったが、今は取り敢えず、山野に話を合わせようと思い直した。

「山野って、彼女いたんだ?」

「はい、一応……。最近、知り合ったんです」

「へー、そうなんだあ。じゃあ尚更、休み取って、彼女とのんびりしたら良いんじゃないか?」

 そう言うと山野の表情がはじめて和らぎ、急に態度が変わって、翌日から休暇を取ることに同意したんだよ。

 ところがその直後、休んでいる筈の山野を北棟で見掛けたという噂を耳にした。北棟から出て来るところを見たとか、北棟の中で誰かと喋ってたとか……。ある者は、北棟の前で山野に声を掛けたけど、完全に無視されたとも言っててな。俺は何だか妙な胸騒ぎを感じたよ。電話でもしようかとも考えた。だけど折角休んでるところに、会社の人間から電話なんか掛かってきたら嫌だろう?俺は嫌だよ。だから敢えてほっといた。仕事熱心な奴が休日も仕事が気になって出勤するなんて話も聞いた事あるし、ちょっと様子を見ようと思ったんだよ。
 だけどそれが間違いだったんだ。

 休暇に入ってから1週間後、山野の奴、北棟の中で首を括って死んでたんだよ。
 いやあ、参ったよ。本気でショックだった。なんであの時、胸騒ぎを覚えたあの時に、俺は連絡しなかったんだろうって、すげえ、後悔したよ。

 それから何だかんだと大変だったが、結局死因は自殺と判断され、数日後には葬式が執り行われた。
 死因が死因だけに、家族の意向で、参列者は家族と親しい友人と職場からの数人だけとなった。それで俺も葬式には行ったのよ。
 葬儀中、俺はふと山野に彼女がいた事を思い出した。それで参列者をそれとなく眺め、山野の彼女らしい若い女性を探してみたんだが、どうもそれらしい人は見当たらないんだよ。まあ、婚約者とか、そういう関係ならまだしも、まだ付き合いの浅い間柄だと、もしかしたら家族もその存在を知らない可能性はあるからね。最悪、彼女は山野の死すら知らないかもしれないということも有り得るし、敢えて葬式に来なかったということも考えられる。だから彼女が参列してなくても、然程おかしい事ではないように思った。
 兎に角、山野の葬式は、しめやかに終った。
 
 それから数日後の夜勤の時、吉岡に声をかけられたんだ。夜勤専属の派遣の奴な。吉岡は山野と歳が同じで、以前は同じ派遣会社に登録していたという事もあり、そこそこ仲が良かったみたいで、話は自然と山野のこととなった。お互いに山野の異変に薄々気付いていながら、どうする事も出来なかった事に多少なりとも心を傷めていたからね。それで俺は気になっていた山野の彼女の事を吉岡に聞いてみたんだ。

「山野さんに彼女いたんですか?俺は聞いた事ないなあ」

「あ、吉岡は知らないのか。最近知り合ったって言ってたからな」

「でも、それなら、幸せだったと言うことじゃないすか。何で自殺なんかしたんですかね。その彼女に振られたんすかね?」

「うーん、どうなんだろうね。でも、俺が山野から彼女が出来たって聞いたのは、あいつが死ぬ1週間くらい前だよ。その直後に振られて、衝動的に自殺って事か?」

「そういう事なんですか?」

 吉岡はそう言うと、首を傾げて、そうなのかなあとか言って暫く考えてね。

「山野さんおかしくしくなったのって、北棟のラインが動き出してからだと思うんですよ」

「ああ、うん、そうかもな。その前までは普通だったもんな」

「そうなんですよ。それで俺、1つ気になってる事があって……。山野さんから、俺、北棟に幽霊が出るって話を聞いたことがあって……」

「あ、それ、俺も聞いたよ。吉岡も聞いてたんだ?」

「そうなんです。俺は霊感とか無いから、北棟の仕事中に何にも感じなかったけど、もしかして山野さんの方は、霊感があったのかどうかは分かんないけど、何かを感じ取ってて、それで、山野さんが言ってた北棟の幽霊に、俺の勝手な憶測だけど、もしかしてその幽霊に、山野さん、魅入られちゃったんじゃないかって、思って……」

 吉岡にそう言われた瞬間、俺、ゾワゾワッと鳥肌立ったんだよね。その一言で、山野が死ぬ前の奇行の説明が全部つくんじゃないかって思ったんだ。

 その後、別に俺も必死になって探したりしたわけじゃないんだけど、山野の彼女という女の存在は、結局今でも誰なのか分からないままなんだよ。
 もしかしてだけど、その彼女って、山野が言ってた北棟の女の幽霊の事だったんじゃないかって思ってさ。


 そこまで話して、辻井は大きく溜め息を吐いた。

 山野の自殺により、北棟の取り壊しは、当初の計画を変更して、4棟の内の4番目に行う事になったそうだ。奇しくも、山野の希望通りになったというわけである。

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