第1話

文字数 997文字

 私が初めて聖書を開いたのは20年程前になります。結婚して長女が3歳になった頃、離れて暮らす母から癌になったと電話がきました。肺癌のステージ4余命は半年、あまりにも突然の宣告に私は絶望しました。そんな時ふと結婚式の時偶然チャペルでお会いした牧師先生の事を思い出しました。先生はとても穏やかな方で、不思議な温かさと威厳を持っておられました。(あの方なら私の苦しみを救ってくださるのではないか?)直感的に私は教会の門をくぐっていました。
 礼拝では聖書を読みます。遠く離れた国や人々の事で興味が持てないかも?と思ったのですが、聖書に出てくる人は皆、私と同じように苦しみ悩み、過ちを犯します。12使徒ですら命の危険が迫ればイエス様を裏切ります。今まで聖書は偉い人の難しい話が書いてある教育書だと思っていたので、様々な市井の人々の思いや暮らしぶりが分かり読むことが少し楽になりました。
 私の大好きな聖句はマタイの福音書7章7節です。(求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。)イエス様からの強いメッセージだと思います。神様に頼るなんて自己満足、行動しなければ意味がないと思っていました。しかし病気や人の寿命はどう頑張ってもお手上げです。私は母にセカンドオピニオンを勧めました。最新の設備がある癌専門の病院が出来た事もあり、母を呼び寄せ一緒に暮らすことにしました。検査の結果、肺癌ではなく10年前に罹った乳癌の再発であることがわかりました。乳癌ならまだ治療方は残されています。その事がわかった日は本当に母と二人でハレルヤという気分でした。牧師先生や教会の皆さんにも祈って頂いて奇跡がおきたのです。求めて求めて、叩いて叩いて、それは叶えられたのです。その後母は完治は出来ませんでしたが、6年間生き延びて次女が産まれた事を喜んでくれました。
 長女も22歳になり次女は14歳、母亡き後産まれた長男も12歳になり、家族で賑やかに暮らしています。私は洗礼を受けクリスチャンになりました。あの頃の自分は本気で祈れていたかな?迷う時はいつも聖書を開きます。人間は2000年前も、もっと前の創世記の頃も、今と変わらず迷子の羊のようにちっぽけで弱い存在です。試練があっても、叩き続け、求め続けたいです。愚かだと言われても、必ずそれは聞かれると信じています。
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