第1話

文字数 1,226文字

 ぼくはこの小説家(作曲家、詩人)が大好きで、長編短編エッセイ詩をすべて原書で持っている。
 とくにThe Sheltering Skyがお気に入りで、ハードカバーとペーパーバックあわせて4冊架蔵しているほどである。(75周年版はニコラス・ローグ「ジェラシー」でテレサ・ラッセルが読んでいた初版の表紙を再現している)
 The Sheltering Sky出版50周年と75周年のエディションには作者自身の序文がついていて――それは同一の文章だが――ベルトルッチの映画版について、さらっと言及がある。作者は監督の原作へのアプローチの仕方と、それに結果した映画を気に入らなかった。「(こうして文章で触れてしまったが、あの)映画については語らなければ語らないほどよい」と叙している。
 とりわけ映画が原作をあたかもオートフィクションのように扱っている点、不見識ということだ。
 映画につけられた音楽についてはまったく言及がない。
(冒頭にも書いたが、Bowlesは本来が作曲家である)

 ぼくはむしろ映画からはじまって原作、そして作者の全著作へとすすんだので、この作者の(わたしとしては)意外な反応にフッとわらってしまった。映画版は好きだが、作者はこうあらねばならない、とぼくはうれしくなった。(なにしろその序文こそが、ぼくにとってPaul Bowles初体験だったし、彼のことをなにも知らなかったのだから)
 これから初めて読む小説への期待が高まったし、その期待は裏切られなかった。
 Capoteの作品を読めば、英語を母国語にしないぼくにも、彼の文体が天才的であることが明らかに感じとれる。そしてBowlesの文体は、その特殊さがきわだっていて、英語を母国語にしないぼくをも、ぼくのような者をもありえない場所へと運んでくれるものなのだ。
 (これはまったくの余談に属するが、The Sheltering Skyは村上春樹が「ノルウェイの森」執筆中に、旅行者が本を置いていく宿泊所で読んだ本として「遠い太鼓」に出てくる。
 更に更に余談で、これは触れるほうが間違っているが、村上春樹のラジオ番組のアシスタントは映画The Sheltering Skyの作曲者の娘である歌手だ。この文章をぼくは泥酔して書いているので、この辺の余談は改稿の際に削除する)

 映画音楽のなかでも、ぼくはとりわけこの映画の音楽が好きである。
 作者は映画のラストシーンに出演しているのだが、作曲者は晩年、映画でのその作者の声を楽曲に取り入れて該テーマ曲をアレンジしている。
 作曲家がPaul Bowlesの声を何度も再生しながらそれをコンポーズする製作過程、そして演奏会でそれを披露している映像にぼくの胸は熱くなった。
 
 作曲家が死の直前まで「文學界」に連載したエッセイのタイトルは、Paul Bowlesの映画での言葉(それは小説The Sheltering Sky中にある文章だ)に由来している。
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