第1話

文字数 1,989文字

 一か月前、三月のこと。ソマリア沖に漂着したタール状の物体の写真は、すぐに世界の話題をかっさらった。宇宙船が宇宙ゴミと衝突した際の保護シールドの隙間に潜り込み、帰還の際に地球に入ってきた生命体らしい。その後脳がなくなった撮影者の遺体が発見され、WHOは生命体との関連を認定し、侵略的地球外生命体に呼称を変えた。日本では連れてきた宇宙船で宇宙旅行に行った人間にちなみ、”ZOZO”の愛称で知られている。と、向かいに住む友人が教えてくれた。
 ZOZOは人間の鼻や口から頭蓋へ侵入し、脳だけをキレイに食らいつくす。そうしてできた頭蓋のドームの中で、食べた脳を糧に自らのクローンをつくり増殖、後にできた人間の”殻”を残して再び外へ出る。手のひらほどの大きさで、ネットにあふれる目撃情報の多さにも関わらず、侵入を自覚した人も目撃した人もいまだ現れていない。見ている間は全く動かず、持ち上げても振り回してもなすがままだという。ヒルのように神経を麻痺させ無意識下に瞬時に侵入するのだろうと、酒を買った帰りに友人から聞いた。
 イタリアで殻が見つかった。ヨーロッパ人はよく接触するから勢力拡大もスムーズだろうと友人が言った。まだ中東に被害がないのはふれあいがないからだと。そうなのかもしれない。
 テレビで殻のありさまが報道されるようになったが、「これが脳のない遺体です」と映していた人が飛び起きて、実は眠っていた医師だったと放送事故になり、番組終わりでキャスターが謝罪した。しかし直後の番組で日本の箸は先端がギザギザで持ちやすいとかやっているのだから気楽なもんだ。褒め役の外タレはいなくなっていた。
 アメリカで殻が見つかった。政府は外出禁止令を出したが、街は規制に反対する人々で溢れた。薄暗い広場で黒人が倒れている姿も報道された。彼らには脳みそがあった。
 中国で殻が見つかった。ある中国人がZOZOを切断する動画を投稿した。ZOZO中身は羊羹のように黒一色で生死がわからない。キレッパシはそれぞれがピクッと動いた。この後にも火あぶりや薬品づけなどの殺処分チャレンジ動画が出てきたが、どれも成果はなかったようだ。後日、切断した人は遺体で見つかった。
 日本では各地で暴力沙汰がニュースになっているが、まだ問題ないようだ。剥製が出た国の順番を考えると、日本をまたいでいるので助かったと考えらえるし、こんな田舎は被害もあとの方だろう。被害にあっている国にも生き残りはいるだろうし、それになればいいだけのことだ。
 大阪府知事が煙が侵入防止に有効だから線香でもなんでも焚けと言い始めた。友人に有効かどうか聞いてみようと思ったが、最近姿を見ない。
 家の近くで街宣車が走っている。地元の病院で出た遺体に脳がなかったから、しばらく家から出ないでほしいとのことだ。オレは買っておいた紙煙草に火を点け、吐き出す煙で部屋を満たした。
 外は日本晴れと呼ぶにふさわしい、ぬけるような青空だ。庭から友人宅を覗いてみる。久しぶりに友人の姿があった。窓際の植木鉢に水をやっている。観葉植物は土色にしなびてこうべを垂れていたが、みるみる緑を取り戻して立ち上がった。なんとたくましい姿だろう。
 床にころがり、煙を吐く。体を包むような陽気が心地いい。街宣車の拡声器が遠くへ、キーンと音を残して去っていく。代わりに眠気がやってくる、少し眠ろう──。

 船の中、薄い二段ベッド。浅い眠りから覚め、喉にまでせりあがるような激しい鼓動とにじむような頭痛を感じる。苦痛で意識が戻ってくる。外は暗いのに目が覚めたのが気持ち悪い。まだ生きている。
 宇宙船の帰還時点でZOZOは大気圏で拡散し、ソマリアで存在が確認されたときには日本を含めた世界各国の人間の頭に入っていた。脳を食うタイミングは完全にやつらの気まぐれだったのだ。世界がそれを知る前に、ボートで日本を出られたのは幸運だった。
 ラジオから情報が聞こえる。ZOZOに海馬をかじられると、その場に紐づいた記憶が強烈によみがえるかも、という。夢見ごこちで死ねるかもしれないから、いつでも覚悟しておけということだろうか。
 ボートを旋回させ日本に向けてみる。闇のなかでまだ光が点々と、島の輪郭をあぶり出している。海上は風が激しく、身震いするほど冷える。腹が減っても食料は少ない。浮かんで揺れるボートの感触にも耐えられない。
 実家の向かいで煙草をふかしている男の姿が目に浮かんだ。なにを考えているか分からず、ZOZOについては話せば話すほど、自らを煙にまくようにどんどん不安になってしまったが、適当な話なら気分もまぎれるだろうか。
 私はボートを発進させた。島に近づくほどに点々とした光は大きさを増し、身を包んでいく。
 浜辺にボートを停め、地に降り立つ。大きく息を吸い込むと、目の前に陽の輝くビーチを見た。
 
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