依頼3~素性

文字数 2,005文字

「兼松所長、お宅の新入りの、え~、遠藤一正。彼の事なんだけどね」

 暁の事務所に珍しく来客が現れた。とは言っても依頼人では無くて、どうやら本日有給休暇の遠藤一正についての相談客のようだ。



「遠藤が、アイツが何か……?」



「お茶をどうぞ!」

 事務員の蝦夷ミチルが、珍しく気を利かせて来客と兼松所長にお茶を用意して差し出した。とは言え、たった一人の女性事務員にとって、これくらい当たり前の事なのだが……



「遠藤一正は、国立の東京秀和大学を首席で卒業して、直ぐに就職はせずに大学院へ進みました。とにかく頭の切れる男で、決してイケメンとは言えないながらも周囲の女性陣には、爆モテだったらしいです」

「須賀 徹」というこの来客は、ミチルが入れてくれたプーアル茶を一気に飲み干した。

「あ~っ、不味いっ!!」

 須賀は、そう言ってもう一杯欲しかったのか?ミチルに飲み干した空のコップを差し出した。

「それで、須賀さん。うちの遠藤……っていうか爆モテって……」

「爆発的にモテていた。という事ですよ!」

「ええ、それは分かります。それよりも、今日の用件は?」

 ミチルは、もう一杯さっきよりも熱めのプーアル茶を須賀に差し出した。

「ありがとうございます。さっきのお茶は、かなりぬるかったですね?」

「はい、その方が今日の様な暑い日は、飲みやすいと思いまして……」

 ミチルは、気持ちの悪い笑顔でそう答えてみせた。

「いささか石田三成っぽいですが……お心遣いありがとうございます」

 須賀は、二杯目のお茶をさっきよりは、ゆっくりと味わうように少しずつ飲み始めた。

「遠藤が大学院を退学した原因をご存知でしょうか?」

 須賀は、噴き出る汗をハンカチではなく、鞄の中から取り出したフェイスタオルで丁寧に拭きながら、兼松所長に質問を投げかけた。

「確か、メニエール病かなんかにかかって……ストレスが酷かったらしい話は聞いております」

 ここで、兼松所長も一杯目のプーアル茶を飲み干した。というよりもあまりにもこの須賀という来客が話しづらいので間が持たず、お茶を飲んで間を図っている、そんな様子だった。



「奴は、前科持ちですよ」

 須賀は、汗のかき方が尋常では無かった。

「へっ!前科もち?罪状は?」

 兼松所長は、いきなり飛んできた剛速球を受けずにそのまま投げ返した。

「う~ん、まあ分かり易く言うとテロリスト。に近いかな?」

 須賀も、冷房が壊れて効かなくなっているこの事務所にせめて扇風機くらい置けばいいのにと思いながら、今度は鞄の中から扇子を取り出して、自ら扇ぎ始めた。

「テロリスト!?まさか?」

 兼松所長は、あのすっ呆けのキャラの遠藤一正が、かつてテロリストの前科持ちとは、にわかには信じ難かった。

「昔の学生運動みたいなもんですわ……遠藤はメンバーの中心人物で、その飛びぬけた頭脳で周りからの信頼も厚かったようです」

「……う~ん、話の核心が全く見えてこんですわ……それで今日は、何を言いたくてうちに来られたのですか?」

 兼松所長は、要点を得ない須賀の話にいささか辟易していた。

「ただし、これ以上は個人情報になりますし、今現在この探偵事務所で彼が真面目に働いているのなら、私からはこの話は終わりにします。だけど、アイツは恐ろしい奴ですよ。例えていうなら猫の皮を被った羊。そんな感じです」

「どんな感じだよ!?暑っ苦しいから、もう帰ってくれ!!」

 兼松所長は遂にキレてしまって、この須賀という無礼な来客を事務所から追い払ってキッチンから塩を一掴みして入り口に振りまいた。



「所長~!よくわかんないけど遠藤さん、怖い人なんかじゃないですよね?」

 ミチルは、仕事をしている振りをしてスマホのゲームで遊びながら二人の話をしっかりと聞いていた。

「よう分からん!気にするな!」

 兼松所長は、自分の席に戻ると引き出しからクリアファイルを取り出して、遠藤一正の履歴書をしばらくの間眺めていた。

「猫の皮を被った羊……?意味分かんねえんだけど……?」



 知られざる遠藤一正の素性とは?その事実をしっかりと認識するには、まだまだ時間が必要だった。履歴書のような紙切れ一枚二枚ではなく、己の目でしっかりと遠藤一正の正体を見極めてやる。兼松所長は、そう心に誓って履歴書を再び引き出しの中にしまった。



 有給休暇中の遠藤一正は、アパートの一室でTシャツとトランクスだけの格好で夕方まで眠っていた。部屋には、特に怪しいものは見渡らず、強いて言えば等身大のラブドールが壁にぶら下げてある事くらいか?しかし、このラブドールこそが事の真相を一番よく知っている存在である事は、この時点では遠藤一正本人しか知らない秘密だった。

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