人間を嫌うのは何故か

文字数 1,254文字

何故努力する?何故本気になる?それで何になる?自己満足か?褒められたいだけか?保身?生存?防衛か?
そんなことしてなんになる。

愚問か?そう思うだろうな。頑張る人間からすりゃあ、俺が言ってるのはただの面倒臭がり屋の戯言に過ぎないと感じるだろう。でもそうじゃない。

そうじゃないとは、限らないかもな。

貴方達は本当に凄いですよ。そうやって泥と血にまみれて、汗と涙と糞を垂れ流し、でもそれでもと志に従う。
その安い志に、どれほど価値がある?
志望校合格だ、全国出場だ、甲子園だのと、輝かしい目標を掲げてみても、結局はそれを欲しているのは自身の選択だ。

考えてみたことがあるか?自分自身の価値を。どれだけ勉強していようが、どれだけ運動ができようが、どんな偉い役につこうが、路地裏でゴミと見分けがつかなくなろうが、みーんな皮を剥いだら肉の塊だ。

世界なんて意味が無いものだと思う。
死ぬのが怖いから生きているだけだ。
生きていても疲れるだけ、意味が無いと気付くだけだ。

あぁ、こうやって意味もなく死んでいくんだろうな。

無意味とばかり嘆いていると、じゃあ意味のある世界とはなんだという疑問が生まれる。そんな世界は存在しない。何もかもが無意味だからだ。

人はしばしば、行動に迫られた時、そこに意味を見出そうとする。だが何故意味が欲しいのだろうか。もし仮に、その労働の対価として意味を欲するなら、それは間違っているのではないか。何故対価を求めるか。それは自分が損をしないためだとしよう。では、何故意味がある行動に損害が伴わないと断言できるのか。
それとも、意味があるのなら多少の損害を許容できるということだろうか。
納得し、「仕方ない」と言って腰を上げるのは何故だろう。
どちらにせよ、意味のある行動など存在しない。表面的に見れば、意味を見出すことはできるかもしれない。
しかし結局は意味というものの存在は消える。意味という概念が世界に存在してしまったのは、言語の誕生と同時だった。そして、意味は様々なものに様々な方向性でくっついていくこととなった。

この時点で既に矛盾が生じる。意味は、行動や存在の価値を現し、それを生んだ。そして意味という概念自体が、その存在価値を表すようになったのだ。
では価値は何によって決まるか。ご存知の通り、それは人によって異なる。価値観の違いというやつのことだ。が、時に社会では、その価値観を統一的に扱ってしまうことが多々ある。人によって異なるものを統一するのだから、統一された後に残ったものに、どれだけの人が価値を感じるのだろうか。そんなことが繰り返されれば、価値のない世界になってしまうのも無理はない。私にとってでなく、全ての人間にとって言えることだ。

社会が存在してしまった時点で、人間が存在してしまった時点で、おそらく価値とも呼ばれる"意味"というやつは、存在を消してしまった。言語と同時に誕生したかのように思われた概念は、とうの昔に消え去っていた。

これが矛盾の正体であり、今日の怠惰の正体である。

人間よ、消えてなくなれ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み