柏原唯

文字数 5,376文字

 ママと彼氏の言い争いを尻目に突如として発生した流星群は、布団を被ってベランダで震えていたあたしの瞳を釘付けにした。今まで星だの宇宙だのにこれっぽっちも興味がなかったのに、あたしはもう星の虜だ。
 シャワーのように夜空に流れ星が降り注ぐあの光景は、紛れもなくあたしの生きてきた中で最高の瞬間だった。どれだけ最低な人生だとしても、今この場に立ち会えたらそれでいい。あたしは本気でそう思った。
 
「ねー唯ぃ。今日家に遊びに行っていーい?」
 放課後に窓の外を見て黄昏ていると、神谷千佳とその取り巻きが薄ら笑いを浮かべて近寄ってくる。
「…」
「あ、そっかぁ。ごめんごめぇぇん。あんたの家、股の緩いママとヒモ男が居るから無理なんだっけぇ」
 教室のどこかでくすくすと笑う声が聞こえる。
 あたしが思い切り睨みつけると、千佳達は慌てて教室から出て行った。
「なにあれ、感じ悪っ」
 後ろの席の森早苗があたしに小声で耳打ちしてくる。
「へーきへーき。いつものことだし」
 それに、言ってることは事実だしね。
 新学期になって、クラス替えで千佳と一緒のクラスなのがわかった時は教師達に殺意すら覚えたけど、代わりに早苗という親友に出会えたからよしとしよう。
 千佳のやってることは側から見ればイジメの部類に入るんだろうけど、あたしからみれば正直可愛いものだ。毎日毎日取り巻きたちとあの手この手であたしを貶めようとしてくるけど、精一杯の嫌味も結局あたしのひと睨みに押し負ける始末。あんなの、常識の通じない大人に比べたらどうってことはないのだ。
「それよりさぁ、さなは見た?あの流星群」
 あたしは椅子を倒して首を反ったまま早苗に話しかけた。逆さまから見ても、早苗は変わらず美しい。
「え、あれ真夜中だよ。見てない見てない。唯は起きてたの?」
「あー、ちょっと寝れなくてさー」
 私の家庭は複雑だ。母子家庭だし、ママは夜の仕事やってるし、ママの彼氏はよく変わるし、おまけにどの彼氏ともいっつも喧嘩してるし。
「で、どうだったの?」
「めっっっちゃ綺麗だった。やばい」
「えぇ~いいなぁ。私も見たかったぁ」
 ナチュラルに男を虜にする物憂げな瞳と白い肌。小顔でショートボブがよく似合う。おまけに身長も高くてスタイルもいいときたもんだ。全てがあたしと正反対。
「あー今日も早苗は尊いねぇ」
「もー何それ」
 他愛のない日常は、あたしにとってはそれだけで幸せなんだよ。

「ただいまー」
 早苗はバトミントン部であたしは帰宅部。というか少しでも学費を稼ぐために毎日アルバイトだ。早苗の家は自転車で15分くらいのところだけど、お互い忙しくて学校以外で遊んだりすることはほとんどなかった。
「お、唯ちゃんおかえりぃ」
「あーども…」
 デブで不細工でチンチクリンのこの男がママの今カレの五味大介だ。ソファに寝転んで、スナック菓子を頬張りながら当たり前のようにスマホゲームに勤しんでいる。この時間に家にいるのは珍しいけど、どちらにしても仕事なんてしていない。
「パチンコじゃねーのかよ…」
「ん、何か言った?」
「いえー」
 家の中は五味大介が捨てた弁当やビールの空き缶が散乱し酷い有様だった。捨てても捨ててもすぐに散らかして、虫が集るのもお構いなし。そんな五味大介をあたしは敬意を込めてゴミと呼んでいる。勿論心の中で。
「ねえねえ、唯ちゃんあの話考えてくれた?」
 剃り込みの入った金髪に色付きのサングラスを光らせ、ごついアクセサリーと金ピカの時計をじゃらつかせながら息を切らせてゴミがあたしに近寄ってくる。
 昔何かのテレビ番組で、心が貧しい人間ほど派手に着飾って他人にそれをひけらかしたがると言っていたが、ゴミはその筆頭だと思う。
「え、あー、やっぱりちょっと遠慮しときます」
 以前からキャバクラかなんかの仕事を斡旋されているけど、あたしは適当にあしらっていた。
「そっかぁ、唯ちゃん若いし、お母さんに似て可愛いから人気出ると思うけどなあ」
 そういってゴミはさりげなくあたしの肩に手を置いた。
 男はみんなそうだ。派手な化粧で誤魔化してるけど、あたしは全然可愛くない。鼻も低いし目も腫れぼったい。ママに似て背も低い。だからゴミの視線はあたしの顔なんかじゃなくて全て体に注がれている。
 胸、太もも、股、お尻。下品な薄ら笑いを浮かべ、あたしの価値を値踏みするかのように。
「ま、よーく考えといてよ。唯ちゃんならいつでも歓迎だからさぁ」
 ゴミは肩に置いた手を不快な手つきであたしの背中に這わせると、最後にお尻を一揉みしてから定位置のソファに戻って再び寝っ転がる。
 ゴミのまだマシなところは、暴力を振るったり度を超えたセクハラをしてこないところだ。服を破られてレイプされかけたり、酒飲んで暴れて前歯を折られたり、歴代の彼氏は甲乙つけ難いほど散々な人間ばかりだった。
 ママは極度の依存体質で彼氏がいないと不安定になってあたしにあたるけど、男運がないし見境もないから結局彼氏が居ても喧嘩してるところしか見たことがない。
 あたしをここまで育ててくれたことには感謝しかないけど、それが元で精神不安定になられちゃ堪らない。オーバードーズやリスカで救急車を呼ぶのも、彼氏と揉めて警察が介入するのも日常茶飯事だった。
 あたしは崩れた化粧や髪を軽くセットし直すと、ゴミを残してアルバイト先のコンビニに向かう。アルバイト先はどこでも良かったけど、家から通いやすいのが決め手になった。
「お、一番星みっけ」
 10月にもなると陽が落ちるのが早く、まだ17時だというのに薄暗い空にはもう星が光っていた。
「また降ってくれないかなぁ」
 流星群を目にしたあの瞬間だけは心の中のもやもやしたものが全部吹っ飛んで、純粋に星だけを見ていられた気がする。地球が終わってもいいから毎日流星が降り注いでくれないかなと本気で思う。

「ありがとうございましたぁ」
 夜のお弁当ラッシュを抜けるとコンビニ内は途端に静けさに包まれる。チャンスとばかりに商品の棚卸しをしていると、ふとスポーツ新聞に目がいった。この前見た流星群の話題が写真付きで一面を飾っている。
「お、唯ちゃんは見たの?流星群」
「見ましたよー。綺麗でした」
「そっか、いいねぇ。うちの子にも見せたかったな」
 店長の曽我部恵一は誰にでも気さくに話しかける優しい人で、本当の父親が居たらこんな感じかなといつも思っている。あたしのパパはママの妊娠がわかった途端に蒸発したらしいから、本当のがどんなものかはわからないんだけど。
「ねぇ唯ちゃん」
「何ですか店長」
「唯ちゃんって将来の夢とかある?」
「将来の夢かぁ。…まあ特にないですね。急にどしたんですか」
 高2にもなると担任からも事あるごとに進路を決めろとせっつかれるけど、あたしはいつも特になしで押し通している。別に勉強は嫌いじゃないけど、進学なんて選択肢はあたしに存在しない。かといって何になりたいかも正直よくわからない。
 確かなのは、少なくともママのようにだけはならないように生きていきたいということだけ。貯金もできてるし、高校を卒業したら少なくとも家からは出るつもりだった。
「特にないなら卒業したらうちにおいでよ。唯ちゃん真面目だし手際もいいからさ」
「あーまじですか。考えときます」
「ちょっと、そこは感謝するとこでしょ~」
「あはっ、すいません」
 学校にもアルバイト先にも、今はあたしの居場所がある。だからまあ、なるようになるさ。

 帰宅途中も首が痛くなるほど空を見上げていたけど、流星群どころか雲が厚くて星すら見えなかった。相変わらずゴミは定位置に寝転んでスマホで動画を眺めていて、あたしはシャワーを浴びるのを諦めて早々に部屋に篭ることにする。
 明日の宿題を終わらせて適当にSNSを覗いているうちに疲れ切ったママが帰宅して、そこから毎日恒例の言い争いが始まった。
「働いてないのに勝手に私のお金使わないでよ!」
「なんだとぉ?おめえみたいなブスと一緒にいてやってるだけで有難く思よっ!」
 人間は醜い。ママもゴミも千佳も。誰かをを口汚く罵って一体何になるんだろう。
 狭いこのアパートじゃ戸を閉めても耳を塞いだって諍いの声は聞こえてくる。
 だからあたしは今日もベランダで星を眺めるんだ。
 夜空に輝く沢山の星たちも、何億光年もかけて地球に光を届けている間に死んでしまうなんて、なんだか儚いよね。あたしが今目にしている星々は、こんなに綺麗なのに本当はもうどこにもいないんだから。
「はっくしゅんっ。ぶぶぶぶぶ」
 あー寒い。もう秋も終わりに近づいている。北海道の秋は芯から冷えるから嫌いだ。体が冷えると心も落ち着かないから。そろそろベランダに代わる避難場所を確保しておかないとな。
 絶えず悪寒がして頭がぼーっとする。熱っぽいから風邪を引いたのかもしれない。
「つべこべ言わずに金だしゃいいんだよてめぇはっ!」
「はぁ、最悪」
 喧嘩の声は今夜も止みそうにない。

 次の日の体調は最悪だった。頭は痛いわ鼻血は出るわで。
「あー頭いたぁ」
「え、風邪引いたの?大丈夫?」
 早苗が不安そうにあたしの顔を覗き込む。柔軟剤かシャンプーのいい匂いがして、あたしの疲れは一瞬にして吹き飛んだ。
「まあ寝れば治るしょ」
「唯は体鬼強だもね」
 劣悪な環境に常に身を置かれてるせいか、ある時を境に全然体調を崩さなくなっていた。
「唯さ、放課後ちょっとだけ時間ある?」
 早苗がもじもじしながらそう切り出した。
「あーバイト前なら少し。どしたの?」
「内緒、とにかく来てね。裏の花壇のとこ」
「もち」
 早苗からの突然の誘いはあたしの胸を踊らせた。
 はっきり言ってあたしは友達がいない。生徒指導ぎりぎりの見た目に千佳が流す悪い噂も相まって、あたしに寄ってくるのは勘違いした男子だけ。
 でも、早苗は違う。あたしの内面をちゃんと見てくれてる。千佳は早苗にも色々吹き込んでるみたいだけど、それでも変わらず一緒にいてくれる天使みたいな存在だ。今日は流星群を見たあの日のように忘れられない一日になるかもしれない。

 授業時間が体感の何倍にも引き延ばされながらようやく訪れた放課後。早苗との待ち合わせ場所に向かうと、用具室の影からいきなり現れた千佳に背中を突き飛ばされてあたしは堪らず尻餅をついた。
「いたっ。何すんのっ」
 千佳とその取り巻き達がいつにもまして嫌な笑顔で立っている。
「ごっめぇぇん。ドッキリでしたぁ」
「は?何、どーいうこと?」
「だーかーらー、早苗ちゃんは最初からうちらの友達で、あんたを騙すために近づいたんです~」
 千佳の後ろから早苗が申し訳なさそうに顔を出した。
「…嘘でしょ」
 あたしの目の前が真っ暗になり、現実を受け入れることができないでいる。
「唯ごめん…」
「うわ、その顔うけるわぁ。時々物とかなくなったでしょ?あれも全部早苗がやってるから」
 早苗は優しくて、あたしの内面をちゃんと見てくれて、他の人とは違くて。
「ごめん。本当にごめん…」
「あたし、早苗だけは味方だって…」
 じゃあ今までの時間はなんだったの?全部演技だったってこと?早苗がいてくれたからあたしは…。
「あっは、その顔マジ最高!待った甲斐あったわ~」
 結局あたしもママに似て人を見る目がなかったってことか。
「勝手に親友なんて言って、馬鹿みたいじゃんあたし」
 今まで押さえつけていた色々な感情が堰を切ったように溢れ出し、ごちゃ混ぜになって脳がどろどろに溶けていく。
「唯が悪いんだよ。千佳に反抗なんてするから…」
 目の前の景色がレンズを通したように歪んでいき、まだ夕方なのにあたしは無数の星に包まれた。
「あーっ。なんかもうどーでもいいや」
 頭が燃えるように熱くなり、鼻血が吹き出してあたしの星に彩りを与える。
「うわ汚っ。鼻血?」
「汚れたら金取るからな!」
「ねえ、なんか様子おかしくない?」
 宇宙が収縮し、あたしは引き伸ばされてみんながどんどんあたしから離れていく。早苗も、千佳も、金魚のフンも、あたしの周りを取り巻く輪になって踊っている。
「え、いや、ちょっ、ちょっと待って、え、私の体どーなってるの」
「待って待って、何これ何これっ」
「こわいこわいこわいこわい!」
「唯!ねえ唯聞いて!ごめん、私本当はあなたのこと」
「あー、何言ってるかわからん」
 音も光も全てが一瞬にして遠ざかり、何億光年も先にいる早苗はあたしが観測した時にはきっともうとっくに死んじゃってるんだよね。儚いよねぇ、人も星も。あ、これ真理だ。
「いやああああああああ」
「千佳の頭があぁぁぁ」
「ゆ…ゆぃっががががっ」
 とてもとてもいい気持ち。まるであたしが星の一部になったみたい。
「あ、流れ星」
 一際綺麗な火球が5つも降って、赤い流星群が私の頭上いっぱいに広がった。
 早く早く。今度はちゃんと消える前に願い事しなきゃ。
 そうだな…ママと彼氏が喧嘩しないように。でもそれなら再婚して優しいパパが来てくれた方がいいな。でもママだと難しいかなぁ。それなら早苗ともっと遊んでみたかったな。あ、もういないんだっけ。
「やっぱり普通に生きたいよ、ママ」
 あたしの世界が反転し、辺りは夜に成り変わる。
もう誰の声も聞こえない。あたしは銀河に包まれてゆっくりと眠りに落ちていった。
 
 


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