第1話

文字数 1,995文字

1.ドンカンとカメラ
「ドンカン、どっちへいくんや」
 ドカンのようなずんぐりむっくりの体が子どもたちの囲みの中を走り回っている。
「ざんねーん」「こっちや」
 盗られた帽子をキャッチボールでまわされいいようにあしらわれている。
「ほら、どっち見とるんや。」
 低くて大きな尻は絶好の的とばかりに蹴られ転倒する。
「ほんま鈍くさいやっちゃな。」

「こらあ、おまえらまたヒロシをいじめとんのか。」
 少女の声が場を切り裂く。
「なんや、またカメラか。」
「なんややあらへんわ。それにカメラはやめろいうたやろ。」
「いっつもドンカンをでっかい目で監視カメラみたいに見張っとる『亀井蘭子《かめいらんこ》』。そんなんカメラにきまっとるやろ。」
 目を三角にする蘭子にガキ大将があいだにはいる。
「上品なお嬢さんにカメラは失礼やわ。」
 まわりはきょとんとする。
「レディにふさわしく英国式に『カメイラ』とお呼びしろよ。」
「ワタナベくん、めっちゃ発音ええやん。さすがワタナベ医院の御曹司やわ。」
「ほんまや、『かめいらんこ』なら『カメイラ』やわ。」
ぱこんっ
 「あんたらええ加減にしいや。」
 相槌をいれた子の頭をはたくや帽子を取り返し、ヒロシの手をひいていじめの輪の中からひっぱりだす。そして「カメイラ」の大合唱を無視して駆けていった。

2.ユートピアのはなし
「ヒロシも一発くらい殴り返したらええんやで。」
「そんなのできないよ。」
 鈍寛《にびひろし》は小学六年で東京から関西へ転校してきた。その名前と体型からドンカンと呼ばれている。

「やっぱり標準語があかんのかな。」
「仕方ないじゃないか。むしろ関西弁は馴れ馴れしくて困るよ。」
「なんやヒロシ知らんのか、関西弁はユートピアの言葉なんやで。」
「ユートピア?」
「『言《ゆ》うときや』って『ユートピア』みたいやろ。」
 あいまいにうなずくヒロシ。
「言葉にしたらいろんなことが変わるねん。言うだけやない、よう見たり、聞いたりしたらいろんなことが変わんねん。」
 深い眼差しで聞き入るヒロシ。
「そしたら楽しなって毎日がユートピアになるんやで。」
「蘭子ちゃん、すごい!」
「って、じいちゃんが教えてくれてん」
 頬が染まった蘭子に構わずヒロシはかみしめるようにつぶやく。
「言葉で世界はかわる……。」

3.鈍氏の歴史
「あ、じいちゃんただいま。」
 散歩中の祖父に蘭子が挨拶する。
「おかえり蘭子。」
「はじめまして、鈍寛《にびひろし》です」
「おお、きみがヒロシ君か。いつも蘭子と仲良くしてくれてありがとう」
 蘭子はヒロシの反応をうかがう、やっぱり鈍感や。
「ヒロシにユートピアの話を教えたったんや。じいちゃんは苗字の先生でめっちゃあたまええんやで。」
 突如ヒロシの目が輝く。
「苗字の!ニビはおかしな苗字じゃありませんか。」
「どんな字を書くんだい。おお、鈍か。いい苗字だね。」
 褒め言葉に驚くヒロシにおじいさんはやさしく説明してくれた。

 もとは戦国時代に剣術で名を馳せた仁尾《にび》氏。江戸時代に町人となり、剣術の怪我を癒やすためにつちかった薬草の知識を活かし染め物屋を営む。風合いのよい濃い灰色、鈍色《にびいろ》が評判となり、さらに「鈍」は「不動の心」に通じると城下で愛用されたことから鈍《にび》の名を下賜される。

「めっちゃすごいやん。」
 蘭子はしばし考え込む。
「よし、お侍の子孫はワタナベと決闘や!」
「それは無理だよ。」
「無理やない。ええかヒロシ、おまえは鈍感や。」
「なんだよ蘭子ちゃんまで。」
「ええからよう聞いときや。」
「鈍感なら怖いことにも鈍感や。怖くない、怖くない。ヒロシは鈍感やから怖くない。そしたらあとはユートピア作戦や。」

4.対決、蘭の初恋
「ワタナベ、ヒロシと決闘せえ。」
「なんでヒロシと決闘せなあかんのや。」
「あ、そうか。ケンカ売ったらキャンキャン逃げたっていいふらしたるわ。」
「人が下手にでとったらえらそうに。ええぞ、やったるわ。」
「蘭子ちゃん、そんなに怒らせないで。」
「作戦とおりや。ええかユートピア作戦やで。」
「なにコソコソしとんねん。ヒロシはよ前にでろや。」
 おずおず前にでるヒロシの頭の中に蘭子の言葉がこだまする。
「鈍感だ。怖くない。怖くない。」
 視野がすっとひろがる。
「相手をよお見ときや」
 凄い形相で迫る姿がよく見える。
「今や!ヘソをよお見るんや!」 
 勢いよく突撃してきたワタナベにヒロシの頭が直撃する。
 ぐおっぼ。
 うめき声をあげてワタナベが後ろに吹き飛ぶ。
「どうや、みたか、必殺の鈍器頭突きや。」
 なんとか立ち上がるワタナベの顔は涙でボロボロだ。
「ぢぎじょう、おぼえでやがれ。」
 涙声の捨て台詞で逃げ去っていった。

「やったなヒロシ、作戦大成功や!」
「蘭子ちゃん、ありがとう!」
 昂揚した笑顔で蘭子をみつめる。最高の笑顔を大きな瞳のまばたきで心のフィルムに焼きつけた蘭子だった。
(おわり)

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