第1話

文字数 11,786文字

 ハイヒール。遠い昔の地球ではファッションの一つとして栄えていた代物。踵を高く上げ、カツカツと音を立て歩くさまは世の憧れでもあった。
 その時代から何百年と経った今。ハイヒールは限られた者たちにのみ与えられている。人々は彼らをハイヒーラーと呼んだ。



 惑星サード。地球の資源を喰い尽くした人間は、この三つ目の惑星へと降り立ち、新たな惑星でその生を繋ぐことにした。
 人間は、成長する生き物だ。そして、ありとあらゆる生命体は新しい環境に順応するために新しい力を手に入れる。結果として人間はかつて少数のみが手にしていた超能力を多くの人間が手にすることに至った。

 しかし、幸か不幸か。人間は穏やかな衰退の一途を辿る。もう数世代の代替わりと共に、人間は消滅するのだ。
 超能力による大予言。そして、人間が叡智をもってして創り上げた人工知能。これから予想されるであろう、惑星の軌道とそれに伴う環境の変化。その全てが惑星サードの人間は滅びると予測された。
 惑星サードから遠くの星に行くことも出来るだろう。だが、辿り着く頃まで我々は生きているだろうか?未だ新たな生活のできる惑星が見つかっていない今、そんな未来に命を懸けられるだろうか。
 我々が出した答えは、限りある生を、終わりの見えた生を、精一杯生きるということだった。

 精一杯生きる。それを肯定的に捉え、変わらぬ日々を過ごすものが居る一方で、否定的に、加えて自暴自棄に他者へ危害を加えるものが現れた。
 我々は、そんな危害から人々を守る為に『ハイヒール』を立ち上げた。人が、その生を全うできるように。『ハイヒール』はそんな人のために戦うのだ。

ハイヒール創設者


 パタン、とハルネ=カトーは本を閉じた。ハイヒール創設者の自伝本。それはハイヒールと言う会社ができるまでの話と共に、これまでの人類の歩みについても触れられている。ちょっとした過去の話と共にハイヒールについて知ることが出来るこの本は、随分と減ってしまった人間の間でかなり売れ行きが良く、大ベストセラーとなっているものだ。
 ハルネは街中を縫うように走り抜けていく電車の中から外を見る。遠くにかつての母、地球が薄く光っているのが見えた。
『次は~、セントラルシティ~、セントラルシティです』
 音声が到着駅のアナウンスをしている。ハルネは本をリュックの中にしまうと、ドアが開くと同時にホームへと飛び出した。お気に入りのパンプスで、憧れのビルに向かって走り出す。ピッと生体認証で開いたゲートを駆け抜けた時、ドンっと人にぶつかる。
「わっ、すみません!」
 ハルネが慌ててぶつかった人物に謝罪する。
「いや、こっちも見てなかったから。ごめん」
 少し低めの声と共に同い年くらいの男の子がこちらを見ていた。その手には見覚えのある紙が。
「あ、もしかして、その紙……」
 尋ねかけたところで彼をよく見れば、その足元はヒールを履いている。ハイヒールに憧れる者の多くが、ヒールを履くのだ。
「もしかして?」
「そのもしかして!私、ハルネ=カトー。今日からハイヒールのインターンに参加するんだ」
 ハルネの言葉を聞いた男の子は緊張が解けたのか、少し頬を緩めた。
「よろしくハルネ。俺はトマ=チンジュ。同じく今日からインターン参加だ」
 手を差し伸べられてハルネは握手を交わす。案外気さくな子のようで、一緒にビルまで向かおうと誘われる。
「いや、実は俺、この辺りに来るのが初めてで」
 もっと遠くのシティ出身なんだ、とトマが言う。
「ハルネさえよければ、一緒に行ってくれると助かるというか」
「もちろん。これから同期になるわけだし。一緒に行こう!」
 二人で並んで歩きながらハイヒールのビルへと向かう。ハイヒールでは、入社希望者全員に対してインターン制度を受けることを義務付けており、これからそれに参加することになっているのだ。
 自身が持つ超能力を活用して、治安を守る部隊に入ることになる為、まずはその適正を見られるのだ。それと同時に、本当に自分がハイヒールとして働きたいか、ということを考える期間でもあるという。
 道を間違えそうになりながらも、二人は無事にハイヒールの本社ビルへと辿り着いた。エントランスにある受付ロボに名前と用件を伝える。ロボットがピコピコと光りながら照会をし、奥のゲートを指差された。
[五階までお進みください]
 音声で伝えられ、それに従いゲートへ向かうとカタンと開き、自動でエレベーターが呼び出された。ポーンと言う音共にエレベーターへと乗り込んだ。
 扉が開き、五階へと降りると、長身の人が笑顔を浮かべながら立っている。
「ようこそ~!我らがハイヒールへ。可愛いヒヨコちゃんたち」
 ベリーショートヘアで、横髪を少し遊ばせているその人はニコニコと笑いながら、こっちへ~と部屋へと案内してくれる。その足元はもちろんハイヒールだ。
「ささ、そこに座って頂戴。私の名前はピエール=ムロツシよ。少し準備をするから待ってて」
 氏は部屋の真ん中に置かれた、たった二つの椅子を指差した。そこへハルネとトマは大人しく座る。先程までしゃべっていたトマも緊張しているのだろう、二人して忙しなく周りを見回してしまう。
「あれ?」
 ふとハルネは妙なことに気が付いた。声を上げたハルネに、何やら作業をしていたピエールが声を掛けてくれる。
「どうかしたかしら?」
「あ、いえ。私たちだけですか?」
 ハイヒールには毎年多くの希望者が集まる。たった二人だけ、と言うのは滅多にないはず。なのに、椅子も用意されていないところを見ると自分たちだけしかこの部屋には来ないようだった。
「ああ。順に説明するわね」
 ピエールはバインダー手に、目の前に用意した椅子へと腰掛けた。
「さて、どこから説明しようかしら。ああ、その前に。改めてようこそ、ハイヒールへ。そして、まずは試験への合格、おめでとう」
「「ありがとうございます」」
「いいわね。しっかり挨拶ができることは大切よ。今日からあなたたちにはインターン生として頑張ってもらうわ。それは案内も出しているから、わかっているわよね?」
 ピエールは視線をトマが手にしていた紙へと注ぎながら言う。それにハルネとトマはしっかりと頷いた。
「あなたたち二人は、いわば同期、ってことね。他にも同期はいるけれど、インターンのペアは二人で組んでもらうことにしているの」
「それで、俺たちしかここに居ないんですか?」
 トマの質問にハルネもうんうんと頷く。先程から気になっていたことだ。
「そういうこと!そのうち他の同期と一緒に動くこともあるでしょうから、楽しみにしていると良いわ♪」
 ピエールはペンを構えると、にやりと笑う。一瞬にして空気が変わり、思わずハルネは佇まいを正す。
「じゃあ、何度も聞かれただろうけれど、教えてもらえるかしら?あなたたちがここに来た理由を」
 氏が言うようにここに来るたびに何度も聞かれたその質問。そして、ハルネの回答はいつも同じだった。
「「タカコさんに憧れたからです」」
 ハルネは驚きの感情と共に隣に座るトマを見た。彼もまた目を大きくしてハルネを見ている。
「アハハハハハっ!まあ、そうよねぇ。タカコに憧れちゃうわよねぇ」
 ピエールが大きく笑いながら頷く。「事前に聞いてはいたけど、本当に揃いも揃って、って感じね」と。
「トマもそうなんだ……」
「ああ。……やっぱりタカコさんに憧れるよな」
 ニカっと笑うトマにハルネは嬉しくなる。タカコさん、タカコ=ヤナギは誰もが知るハイヒールのスター。颯爽と歩くその姿は皆が憧れる存在だ。彼女のようにかっこいい人でありたい。そんな風な生き方をしたい。ハルネにとって彼女はそういう憧れの存在だった。
「このヒール、あの人に憧れて買ったんだ。ちょっとでも足を慣らしておきたくてさ」
 トマがスッと足元を見せてくれる。やはりそういう意味でヒールを履いていたんだな、とハルネは頷く。
「はい、おしゃべりは終わりよ?」
「あ、す、すみませんっ」
 慌ててハルネとトマは頭を下げる。今はインターンの説明を受けている最中だ。自由時間ではない。
「ま、同士とお話したい気持ちはわかるけどね~。今は我慢よ」
 そう言うとピエールは何やらメモを取ると、再びハルネたちに質問を投げかけた。
「タカコに憧れているというのはよく分かったわ。じゃあ、それを抜きにして、考えてみて頂戴。あなたたちがハイヒールを履く理由を」
 あるかしら?と言われてハルネは言葉に詰まる。ハイヒールの仕事を分かっていないわけではない。でも、ここに入りたいと思ったのは、タカコに憧れてのことで、ここで何かを成し遂げたいことがあるのか、と言われると正直ハルネには分からなかった。
 ちらっとハルネはトマを見た。彼は何と回答するのだろう。ハルネと違ってちゃんとした理由があるのかもしれない。
(二人でインターンということは、最終的には二人のうち一人だけを残すサバイバルなのかな……)
 せっかく憧れの場所まで辿り着いたのに、ここで落とされるのかもしれないという不安にハルネは一気に駆られる。
「俺は……」
 トマが考えながら口を開く。彼が何と発言するのか、ハルネはじっと待つ。
「正直、よくわからない、と言うのが本音です。でも、彼女のように、カッコイイ自分で居たい。まっすぐに自分の残りの生を生きたい。その為に、ここで学ぶために来ました」
 ああ、負けた、とハルネは純粋にそう感じた。よくわからない、それはハルネもトマも同じだ。だが、その上で答えとして言葉にできるかどうかに差があるのだ。自分の考えを言葉にするには、自分がどう考えているか深く理解していなければならない。それがハルネとトマの差だった。
「なるほどねぇ~。じゃあ、ハルネちゃんは?」
「あ、えっと……」
 どういうべきかハルネにはわからなかった。だから、素直にその旨をピエールに伝える。
「すみません。わかりません」
「まったく?なんとなーくの内容でもいいわよ?」
 ピエールは優しく問いかけてくれる。きっと氏はハルネの気持ちなどお見通しなのだろう。
「……タカコさんに憧れてここまで来たのは本当です。でも、じゃあ、ハイヒールに入ってどうしたいか、と問われると難しいというか……。タカコさんのように、皆さんの安心を守れるような、そんな人になれれば、とは思ってはいます」
 この気持ちに嘘はない。だが、その気持ちだけで戦えるのか、と問われたら、ハルネは何も答えられない。
「……。そう。二人の気持ちはよく分かったわ」
 バインダーを膝の上において、ピエールはハルネとトマを見た。
「安心して。この回答だけであなたたちを判断したりしないわ。でもインターンはハイヒールにとってあなたたちがどうか、あなたたちにとってハイヒールがどうか、それを考える期間。だから、この質問がされた意味とインターンのその先を意識してインターンに挑んで頂戴」
「「はい」」
「いい返事ね!さて、じゃあ、これから案内をするけど……」
 ピエールはちらりとハルネとトマの足元を見た。
「その前に靴ね」
 そう言って、どこかへ行くと、靴を二つ持って戻って来る。「これに履き替えて頂戴」と渡されたそれは、ただの運動靴。てっきりハイヒールを渡されるのかと思っていたハルネたちはぴしっと固まる。
「ハイヒールを渡されると思ったかしら?」
 フフッとピエールが笑う。
「それはまた今度よ。ひとまず歩きやすいように、運動靴を使って欲しいの」
 ささ、履き替えて、と有無を言わさぬ形で促され、二人は運動靴へと履き替える。当たり前だが、ハルネが履いていたパンプスよりも足が自由で動きやすい。
「じゃあ、まずはこのビルから案内するわ」
 ついでに各部署へ挨拶もしておきましょ、というピエールにハルネたちは付いて行った。



「つ、疲れた……」
「本当にな……」
 談話室のソファにハルネとトマは座り込んだ。広い談話室に置かれたソファは座り心地が良い上に、上品なワインレッドのカバーは家に置かれているソファとは全く違う。
「あー、明日って何時だったっけ……?」
 トマが動けん、とぼやきながらハルネに尋ねてくる。ハルネはメモを見ながら「八時集合だね」と返事した。
 ハイヒールの本社ビルは思っていたよりも広く、大きかった。ハルネたちの知っているハイヒーラーだけではない。彼らを支える人々もまたハイヒールの一員として働いているのだ。
「にしても大きいよね……この寮」
 ハルネは談話室を見渡す。壁際には寒い時期に使うのだろう、暖炉もあり、奥にはキッチンもある。
『ここがあなたたちの寮よ~!同期みんなで仲良く使ってね♪』
 ピエールに案内された寮は一言で言えば豪華だった。大きな本館(図書館や、シアタールーム、ジムなどがある)と数部屋が連なる各号館。一人一人の部屋も大きく、各自備え付きの洗面台と小さめの冷蔵庫が用意されている。
 そしてなんといってもその外装及び内装がすごい。遠い昔の屋敷を再現したものらしく、そこに置いてある一つ一つが重要文化財なのでは?と錯覚してしまう。ピエール曰く、そういうデザインにしているだけで、中は最新の家電だったりするらしい。
 グゥ~……。二人のお腹が盛大に鳴り、思わず顔を見合わせて笑う。
「ご、ご飯食べようか」
「ははっ、そうだな」
 ハルネとトマは夕食にすることにした。


 夕食を食べ終え、共有のバスルームで風呂を済ませたハルネは自室へと戻っていた。部屋には備え付けの大きなベッドとクローゼットがあり、自分が送っておいたスーツケースと数個の段ボールがぽつんと置かれたままだった。
 一日かけて寮だけでなく、本社ビル、各部署と案内され、その後トマと夕飯をとったため、荷解きが終わっていない。
 寮は本社ビルのすぐ近くにあり、歩いて数分の距離。しかも、本館の三階とビルの三階が透明なパイプトンネルで繋がっている為、雨に濡れることもなく自由に行き来が可能だ。
『こう、下に人が居ると思うと怖いな』
 パイプトンネルの下を見ながらトマはそう言っていたが、人間が作り上げた自然の世界と照明、そして遠くに見える空を思うと、夜の景色など特に面白いのではないかとハルネは思っている。
『ま、確かに綺麗だけど、そのうち見なれちゃうわよ』
 と言うのがピエールの談だ。それは、寮に住めば幾度となく通るから、ということもあるが、忙しない日々の中でその景色に気を留めなくなってしまうらしい。なんだかそれは勿体ない、とハルネは思いつつも、きっと氏の言うようになっていくのだろうな、とも思う。
 荷物を箱やスーツケースから取り出し、適当に床に置いていく。スーツケースはクローゼットの下へと仕舞い、お気に入りのローテーブルをベッドの傍へと置いた。
「残りはまた明日でいっか」
 ハルネはリュックの中から小さなケースを取り出す。それをカパッと開くと花の形をした耳栓が現れた。耳栓をいつものようにハルネは装着する。
 ハルネの能力はサウンド。人よりも耳が良く、一般的な人間が聞き取ることのできない音や遠くの音まで聞くことが出来る。そして、その聞こえすぎる耳のおかげで、自身が発する音の周波を調整することも可能になった。なので、コップを共振で割ることなどお茶の子さいさいである。だが、日常生活において、人間が聞く必要のない音まで四六時中聞こえてくるのはかなり苦しい。だから、せめて寝るときは耳栓をして全体の音を小さく聞こえるようにしているのだ。
(ブレスレットも効かないわけじゃないけど……)
 左手に付けられたブレスレットを見る。惑星サードでこのブレスレットを付けている人は少なくない。トマも付けていたし、地元の友達も皆付けていた。これは、人間がより快適に、互いに危害を加えないようにする為に、一定数値以上の能力を持っている者は着用を義務付けられている。だが、このブレスレットは能力を無効化する機能はなく、ハルネで言えば、通常よりも聞こえてくる音の範囲が小さくなるだけ、音域の範囲が狭められるだけの話だ。
「それでもないよりはマシだしね……」
 音が遮断されるわけではないが、快適な眠りにはつくことが出来る。小さくなった音の世界の中でハルネはゆっくりと眠りに落ちていった。


「はい、おはよう~!」
 朝の八時とは思えないテンションの高さでピエールがやって来た。
「おはようございます」
「おはよう……ございます……」
「あらあら、トマちゃんはまだ眠そうねぇ?あまりゆっくり眠れなかったかしら?」
 確かにトマは眠そうな顔をしている。挨拶もどこか間延びしたような感じだ。
「いえ、頑張ります……」
 あまり答えになっていない様子からまだ意識も覚醒していない様だ。
「無理だけはしないでね~?じゃあ、今日は早速私と一緒に出掛けるわよ!」
 準備はできているわよね?と言われ、ハルネとトマは頷く。今日は現場研修ということでピエールについて回ると昨日説明があった。服装も支給された動きやすいジャージに着替えている。
「やっぱり、こっちのジャージの方が可愛いわよね~!去年までほんっとうにダッサイジャージだったのよ~」
 ピエールがハルネとトマの格好を確認しながら一人頷く。この、ハイヒールの制服と同じカーキ色をメインにデザインされたジャージは体を動かしやすく、且つオシャレである。
「制服を支給しても良かったんだけど、それだと引率しているのが他のメンバーからわからないのよ。だから、インターン中はジャージで活動してもらうわ」
 そのうちこの制服も着れるわよ、とウィンクと共にピエールは自分が着る制服を示して見せた。誰もが知っているハイヒールの制服はやはりかっこいい。自分もその服に腕を通せるだろうか。ハルネは不安と期待を胸に「はい」と返事をした。
「いい返事ね!その気持ち、そうね、初心は常に心に持っていて。あなたがハイヒールだろうとそうでなかろうと、大事なことよ」
 ピエールは嬉しそうに笑う。この人はいつも笑顔を絶やさないのだろう。ハルネの不安を軽くしてくれる。
「行く前に一つすることがあるわ」
「なんですか?」
 トマが首を傾げる。
「ええ。……ブレスレットを外してもらうわ」
「「え」」
 ハルネとトマの声が揃う。これは、原則として着用が義務付けられているものだ。余程ではない限り、外すことはできない。
「フフッ、その余程がハイヒールでは許されるのよ。個々の能力を最大限に使うことを業務としているのに、その制約は邪魔でしかないもの」
 ほら、外して、と言われ、トマはすんなりと外すと氏に手渡した。ハルネもブレスレットを外す。
「大丈夫よ。何があっても私があなたたちを助けるから」
 受け取った二つのブレスレットを氏は自分の胸ポケットへとしっかりと仕舞う。
「さて、行きましょうか」
 玄関へと向かうピエールに続いてハルネとトマは慌てて付いて行く。
「本館から行かないんですか?」
 トマが不思議そうにピエールに尋ねた。
「ええ。もう外出届は出してあるから、本社には寄らなくて平気よ」


 街中をピエールに続いて歩いていく。道中、人に挨拶をされることもあるが、特に何事もなくパトロールが進む。
「パトロールは毎日するんですか?」
 トマがピエールに質問した。周りを見れば、警察官も同じようにパトロールをしている。「ええ、たまに、だけどね。警察がいつもパトロールをしているけれど、何かあった時にすぐに駆け付けられるように、って言うのは大事なのよ」
 そう言うとピエールはくるっと振り返った。
「では、早速実践をしましょうか。トマちゃんはクラッシャー、ハルネちゃんはサウンド、で合っているわよね?」
 二人は頷く。
「ハルネちゃん、その耳で周りの音を聞き取ってくれないかしら?最大範囲で」
「さ、最大範囲で、ですか……?」
 小さい時にブレスレットを付けて以降、全力で能力を使用したことはほとんどない。能力だけでなく科学も発達したこの時代では、能力を使用しなくても問題ない事が多いからだ。だから、使い方や能力について多少なりと教えられる事はあっても、全力で使用することはほとんどない。寧ろ、トラブル防止として禁止されている時もある。
 ハルネはゆっくりと自分の耳へと意識を向ける。耳殻が音を集め、鼓膜が震えるのが感覚として伝わってくる。人々の話し声、乗り物が動く音、建物が軋む音、物体がぶつかる音……。その中から「ひったくり!!」という声が聞こえてきた。
「聞こえましたっ!あっちの方向で、ひったくりが発生したみたいです!」
「走るわよ!」
 カンッとピエールはハイヒールを鳴らすと颯爽と道路を駆け抜けていく。その後ろを氏に置いて行かれないように、必死にハルネとトマは追いかける。
(確かに、今の私たちじゃ、ハイヒールで走るなんて無理……!)
 カッカッカッっとテンポよく走っていくピエールは、やはりかっこいい。
「さ、さすが、ハイヒーラー……!」
 隣を走るトマも少し辛そうにしている。ハルネは呼吸をするのに必死で、とりあえず首だけ縦に振っておいた。
「いたわ、あれね!」
 ピエールのハイヒールが宙に舞ったかと思うと、ひったくり犯に向かって足が下ろされる。その瞬間にひったくり犯は仲間と思しき人間にカバンを放り投げた。仲間は用意していたバイクに乗って逃走を図る。
「乗られると厄介ね……!」
「俺が行きます!」
 トマがバイクに向かって走っていく。ブオンブオンとバイクがエンジンをふかしているところへ、トマが手をかざす。キュインとバイクに歪みが生じたかと思うと、バキっ!という大きな音共にバイク全体がねじ切れた。そして、嫌な煙が漂い始める。
「しまった……!」
 トマが足を止めた隙を見て、バイクに乗ろうとしていた人物はバイクから降り、路地裏の方へ逃げようと駆け出した。と同時にバイクが盛大に爆発する。
(止めなきゃっ!)
 ハルネは口をパクパクとさせ、そして、盛大に叫んだ。今のハルネに出来るのは最大限大きな声をあげること。人が嫌だと感じる音を発すること。
「きゃぁぁぁああああああああああっ~~~~~~~!!!!!!」
 高音域の音が辺り一帯に響き渡る。その場に居た全員が耳を押さえて座り込んだ。兎にも角にも叫び続ける。一通り音を発しきった頃、音に顔を顰めたままのトマに服を引っ張られ、漸く周りの状況に気が付いた。
「ご、ごめんなさい……!」
 耳を抑えている人々を前にどうしようかともたついている間に、顔を顰めたピエールが路地裏へと入り、そこに蹲っていた犯人の仲間を引き釣り出した。
「はい、っと。とりあえず、これで終わりね」
 ピエールは耳を少し気にしながらも、ハルネとトマの元へとやって来ると、にこりと笑った。
「まずは、お疲れ様。それから、よくできました。そして、最後。二人とも力の使い方には練習が必要ね♪」
「「……はい」」
 もくもくと上がる煙と、耳を押さえたままの人々、それからあちらこちらからやって来る警察官。
「もうっ、気にしないで。って言っても難しいわよねぇ。でも、そうね、いきなり実践にしちゃった私にも非はあるし、それに怪我人は出ていないわ」
 反省は戻ってから一緒にしましょ、とピエールがハルネとトマの肩を叩く。パトカーの方から「ピエールさん!」と呼ぶ声がする。
「ちょっと行ってくるわ、ここで待ってて頂戴」
 ピエールは急ぎ足で警官の方へと行く。二言三言話をして、少し頭を下げて。今回の件について謝罪をしている。警官が「まあ、大事故にならなくて良かったですよ。でもね、大変だとは思いますが、できるだけ被害は出さないようにしてくださいよ」と注意をしている。それにハルネは居たたまれなくなってしまった。
「……お前は怪我はしてないか?」
 トマが心配そうにハルネの顔を覗き込んだ。そんな彼に「大丈夫」と返す。
「そうか、良かった。俺さ、正直自分の能力は戦うのに向いてるって思ってたんだ。だけど、今日、実践は違うってことが身に染みた」
「うん。そうだね。力のコントロールもそうだけど、咄嗟の判断とか、そういうのが……」
 ピタッとハルネは動きを止める。遠くで何か声がした気がしたからだ。
「ん?どうした、ハルネ」
 慌ててトマの口を手で塞ぐ。そして自身の耳に意識を集中させた。それはとても小さな音で、ここから距離がある場所からの音だとわかる。
“……嫌になったんです”
“なら……すれば……幸せに……”
“本当に……永遠に……”
“……『ゆりかご』……待って……幸せを……”
(なんだろう?ゆりかご?ゆりかごって、あの赤ちゃんを寝かせるやつだよね……?それが幸せって何か関係があるの……?)
 ハルネは首を傾げる。今し方聞こえた声はあまり意味のない会話だったのかもしれない。ただ、少しだけ引き寄せられるような、そんな声音だったような気がした。
「ハルネ?」
 トマがハルネの手を口元から外しながら尋ねてくる。どう説明したものかと彼を見上げたタイミングでピエールが戻ってきた。
「あら?どうかしたかしら?」
 ピエールがハルネとトマの様子を見てすかさず尋ねてきた。トマが「ハルネが何か聞いたみたいなんですけど」と伝えてしまう。
「何を聞いたのかしら?怒ったりしないからありのまま教えてくれると助かるわ」
「あ、でも、たいしたことないかもしれないですし……」
 ゆりかごの話が聞こえてきました、などと言ったところで、ハイヒールの仕事とは関係がないだろう。
「構わないわよ。気になることは何でも話しておくこと。これは情報共有の基本よ?それに、本当に大したことがないかどうかは、私を含む上司が話を聞いてから決めるわ」
 ね?と促され、ハルネはついさっき聞いたことをそのまま伝えた。
「ゆりかご?なんだ、それ?」
 トマがハルネに尋ねる。ハルネも「私もよく分からない」と首を振る。
「“ゆりかご”……ね。ちなみに他に気が付いた事はあるかしら?」
「そうですね……、あ、片方の男の人、だと思うんですが、声音が引き寄せられるというかそういう語り掛け方をしていたというか、そんな感じでした」
「そう。なるほど。……気になるわね」
 ピエールは何か考え込むように顎に手を当てる。そして、小型の懐中時計型の通信機で何やら会話をし始めた。ハルネとトマは彼の通話が終わるのをただじっと待つ。そして、彼はパチンと懐中時計の蓋を閉じた。
「今、パトロールの要請をお願いしたわ。こういうのって、たまにだけど誘拐に関与している場合もあるの。だから、念のため、ね」
「誘拐……」
 ハルネは考え込む。もしかしてあの時自分は駆けつけた方がよかったのではないかと。
「ああ、ごめんなさい、心配させたいわけじゃないのよ。大丈夫、そういう可能性もあるわ、っているだけの話で、今のあなたの話だけだと恐らく白よ。しいて言うなら、悪徳商法って言う事もあるでしょうけれど……。ま、それは私たちではなくて警察の仕事」
 だから大丈夫よ、とピエールはハルネとトマの肩を抱く。
「さ、一旦帰りましょ!お昼も食べたいわ。食堂のご飯は絶品よ~!」


*********


「やっちゃったわ~……」
 ピエールはカフェオレを片手にテーブルに突っ伏す。テーブルには報告書と書かれた紙が置かれている。
「おうおう、なかなかやらかしたらしいじゃねえか?」
 カツカツと足音共に寄って来たその人物の声には笑いが込められている。それにピエールは顔を上げて、「んもうっ」と情けない声を溢す。彼女はニヤニヤと笑ってこちらを見ていた。
「私が悪いのよ。いきなり実践に連れ出したんだもの」
 ピエールは弁解する。彼らが悪いわけではない。まあ、弁償代であったり、報告書であったり、面倒なことはあるにはあるのだけれども。
「……ふーん?オマエにしちゃあ、珍しいな」
「あら、そうかしら?今の状況を思えば、みんなそうするんじゃない?」
 ピエールは彼女の顔を見た。彼女は「うーん?」と考えつつも、ピエールの言いたいことに納得したらしい。
「それで、こんな夜遅くに声を掛けてくるなんて珍しいじゃない。何かあったの?」
 ピエールが尋ねると彼女はひらりと一枚の紙を差し出した。
「決まったってよ、“力試し”の日程が」
「え!?」
「ちょうどオマエがパトロール言ってる最中に配られた。渡しといてくれって言われたからな。じゃ、確かに渡したぞ」
 そう言うと彼女は「せいぜい頑張れよ」と手を振り去って行く。
「えっ、ちょっと、いつもより早いじゃない!」
 ピエールは日程を確認して頭を抱える。そりゃあ、日付がずれる事はあるだろう、だが、こんなにも例年より前倒しになることなんて滅多にない。
「……なによ、私だけじゃないじゃない。どうせ誰かが進言したんでしょ、これ」
 今年の志望者はなかなかに骨がある奴がいると聞いている。インターンを早く終わらせ、ハイヒールに正式に入社させたいと思っている人間がピエール以外にも居るのだろう。
「まあ、もうすぐこの星も滅んじゃうしねぇ……。下手したら私が生きている間に終わりの予兆が来るかもしれないわね……」
 カフェオレの最後の一滴を飲み干し、ピエールは椅子から立ち上がった。
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