第1話

文字数 5,634文字

 唯一の血縁である、姉が倒れた。
 両親が早くに他界し、残された私と姉の二人で慎ましく生きていたのだが、その姉が過労によって倒れた。
 姉は町の飲食店で毎日のように働いていたので過労は当然のことだった。その過労が病を招いたのか、姉はどんどん衰弱していった。花を売っていた私は診療代と薬代を稼ごうと今まで以上に必死で働いた。
 なんとか医者に診てもらうことはできたが、医者は姉を診察するなり暗い顔で首を振った。

「この病は治らないだろう。今までも同じ患者はいたが、痛みを和らげる事しかできない。治す薬はない」
「ど、どうして……」
「運が悪かったと思うしかない。疲労で弱りきった身体に重い病が入り込んだんだ」

 安くない診察代を払ったにも拘わらず、医者は治すことができなかった。薬もないという。
 寝たきりになった姉の看病をし、花を売るため外に出て、帰るとまた姉の看病をする。
 痛みを和らげる薬を買うことが精一杯だった。
 それ以上は何もしてやれず、長い間ただただ自分の無力さに泣いていた。
 そんなある日のこと、近所の話好きなおばちゃんが「凄いことを聞いたのよ」と、花を売り切れず俯いている私に駆け寄った。

「ほら、霊が出るって噂の山道があるでしょう。あの道を登っていくと、宝石店があるんですって」
「宝石?」
「そうよ、でもただの宝石じゃないの。願いを叶えてくれる宝石らしいわ」
「そんなものがあるんですか?」
「あたしも聞いた話だから本当かどうかは分からないけど、あんたのお姉ちゃんの病気も治してくれるんじゃない?」

 そんな夢のような話があるだろうか。
 願いを叶えてくれる宝石店。その話を聞いて、心が揺れたのは確かだった。藁にもすがりたい、信ぴょう性のない宝石の話にでもすがりたい。
 しかし、姉の薬を買うのがやっとである。宝石なんて買える程の銭はない。でも、それでも、話だけでも聞いてみよう。
 目を覚まさない姉の様子を見て、その宝石店に行くことを決めた。
 午後からは花を売らなければならないので、早朝に宝石店を目指し出かけた。
 町を抜け、霊が出ると噂の薄暗い山道を歩き、周囲を見渡して宝石店を探す。
 ニ十分程歩いた頃、山の中に小屋のような建物が目に入った。近寄ってみると、「宝石店ハンナ」と書かれている。ここだ。
 OPENと札が下げられている扉を開けて中へ入ると、視界には眩しい程の輝きを放ったものが入り込む。とても綺麗だ。私がどんなに頑張ってもこんなものは買えない。豚に真珠だ。

「いらっしゃい」

 鈴が鳴るような声がした。振り返ると、小さな女の子がこちらを見上げている。
 店主の子どもだろうか。
 きょろきょろと店主を探すが、子ども以外に人はいない。

「えっと、お店の人はいるかな?」
「わたしがお店の人よ」
「……あなたが?」
「えぇ。今日はどんな宝石をお探し?」

 長いツインテールを靡かせて微笑む少女に、怪しげな視線を送ってしまう。
 この小さな子がお店の人なのか。
 そんな思惑に気付いたのか、目を細めて両手を腰に当てて口を開いた。

「宝石彫刻師のハンナよ」
「彫刻?」
「そうよ、悪い?」

 宝石店ハンナ。なるほど、目の前の少女がハンナ。

「あの、ここの宝石は願いを叶えてくれるって聞いたのだけど、本当なの?」
「そうよ、本当」

 にこ、というよりは、にやっと笑った。
 ハンナは私の周りを歩き、上から下まで眺める。

「な、何?」
「ううん。なんだか花の匂いがするから」
「あぁ、普段は花を売っているの」
「そう。それで、お花屋さんはどんな願いを叶えに来たの?」
「……姉が倒れたの。治らないって医者に言われて、でもここの宝石は願いを叶えてくれると聞いたから、もしかしたら姉の病気を治してくれるかもしれないと思って来たの」
「ふうん」

 目の前にはずらりと並ぶ綺麗な宝石。そして、にやりと笑うハンナ。
 居心地が悪い。

「願いが叶うかどうかはあなた次第よ」

 そう言うと、ハンナはガラスケースの前に立ち、中から一つ取り出した。
 カツカツと少女に似合わない高いヒールを鳴らして歩く。
 取り出したそれを差し出され、反射で受け取った。
 桃色がかった白いそれは、宝石に詳しくない私でも知っている。
 パールだ。
 一粒のパールがネックレスとなっている。光沢があり、素人の私でも高価そうだということが分かる。
 しかし、パールなんて買える余裕はない。
 並んでいる宝石にはすべて値札がない。金額が分からないが、庶民がお目にかかることはない高級品だろう。私が何年働けば払えるのか。
 掌に乗せたパールを眺めた後、ハンナに差し出す。

「私、これを買える程の銭は持っていないの」
「お代は不要よ」
「えっ?」

 差し出したパールを受け取ることはせず、ハンナの両腕は組まれている。
 代金が不要というのはどういうことだろう。そんなことをすれば店は潰れてしまう。少女がたった一人で店を切り盛りしているのなら、代金は当然受け取るべきだ。しかも霊が出るからと誰も通りたがらない道の先にある店だ。客は行きたがらないだろう。

「でも、こんな高そうなもの、タダで貰うことなんてできないよ」
「いいのよ。タダかどうかはわたしが決めることじゃない。その子が決めることよ」
「その子?」

 その子、と言ったハンナの視線はパールに注がれている。

「わたしはその子が望む形に作り上げたの。宝石彫刻師は宝石の声が聞こえないとやっていけないわ」
「そ、そう」
「パールのネックレスなんて紐にパールをくっつけるだけでしょ、って思った?」
「そんなことない!」

 ぶんぶんと首を振って否定する。
 くす、っと笑いハンナは胸を張る。

「塗料を塗ったり、乾かしたり、磨いたり、することは色々あるのよ」
「彫刻師って色々するのね」
「ここはわたし一人でやっているから、こうして接客もしているし、当然彫刻もする」

 こんな綺麗な宝石を扱うのだから、腕は確かなのだろう。
 幼いとはいえ、一流なのかもしれない。
 宝石を買う理由はないので、町にある宝石店に足を踏み入れたことはないけれど、ここの宝石店は群を抜いて凄いのだと思う。だってこんなに綺麗なものを身に付けている人なんて見たことがない。
 こんな小さな身体でこんなにも美しいものを作り上げるのだから、この少女は天才なのかもしれない。

「パールはね、昔は薬としても使われていたの。病を治すにはぴったりでしょう?」
「綺麗なだけじゃないんだ」

 これで、姉は治るかもしれない。

「ただ、わたしの宝石は人を選ぶの。妖刀を扱える人間が限られているように、わたしの宝石も扱える人間は限られているわ」

 恐らくここからが本題だ。
 願いが叶う宝石。しかも代金は不要と言う。こんなうまい話があるわけない。
 タダより高いものはない。
 以前、花を売りに出かけた時、腹の虫を鳴かせていると親切そうな男性が「お腹が空いているならこれを食べなさい」と言い、無償でパンを手渡してきた。空腹のあまり耐えられず、そのパンにかじりつこうとしたのだが、とある少年の手によって阻まれた。
 なんでも、パンに塗ってある毒で女を麻痺させ、身体が動かなくなったところを見計らって人身売買のために連れ去る。そんな手法で私は売り飛ばされる直前だった。
 その男性は少年に見破られて舌打ちをしながら逃げて行ったが、タダだからとなんでも食らいついてはいけない。取り返しのつかない時がくる。

「わたしの子たちはみんな我儘だから、人を選ぶの。その子があなたを気に入るとは限らない。あなたを気に入らなかったらあなたを葬るし、気に入ったらちょっとの怪我で済むかもね」
「このパールに嫌われたら死ぬってこと?」
「そう。どんな死に方をするかは分からないわ。わたしの子たちは我儘だから」
「嫌われたら、願い事は叶わないの?」
「そういうこと。気に入られたら小さな怪我と引き換えに願いが叶う。嫌われたら願い事は叶わないし、死に至る。気に入られる度合いは分からないから、全く怪我をしないかもしれないし、腕を一本失うかもしれないわね」

 話を聞いて、ぞっとした。
 つまり、このパールが私を気に入れば願い事を叶えてくれるし、無傷で済む。ただし、嫌われたなら願いが叶わないまま死んでしまう。ちょっと気に入った程度だと、怪我をしたり腕を失ったり、パールが私に抱く好感によって負傷の大きさが変わってくるのか。
 もしかしたら死ぬかもしれない。そう思うと途端にこのパールが重く感じる。

「その、死ぬ確率ってどれくらいなの?」
「宝石を買いに来る客は少ないし、買った後どうなったのかはわたしにも分からないわ」
「……死ぬかもしれないんだ」
「怖いなら、やめておく?別にいいわよ」

 もし私が死んだら、姉は一人になってしまう。看てくれる身内はいないし、寝たきりの状態でたった一人衰弱死してしまう。
 しかし、それでも、姉が治る可能性が少しでもあるならば、それに賭けたい。

「もしも持って帰るなら、それを首にかけてパールを両手で握りしめてゆっくり願い事をしなさい。そうすれば宝石はその声を聞いてくれるわ。聞いた後どうするかは宝石次第だけどね」
「も、貰います。私にこれをください」
「ふふ、まいど」

 何かに入れてくれるわけでも、包んでくれるわけでもない。
 身に付けて帰れば、と助言を貰ったので早速ネックレスを首にかける。
 ころ、と肌の上をパールが滑る。

「ど、どうかな?」
「とても似合ってるわ」
「そ、そうかな。服も靴もぼろぼろだから、なんだかちぐはぐな感じがするけど」
「服とのバランスは仕方ないわ。あなたが裕福になったらバランスがとれるかもね」

 肌に冷たくパールが当たる。
 人差し指で、つんと触ってみる。

「私のこと気に入ってくれたかな、どうなんだろう」
「ふふ、どうかしらね」

 含みのある笑みを浮かべ、ハンナは手を振って送り出してくれた。
 冷たいパールに不安が大きくなる。
 それでも、姉のためだ。
 山道を下りて振り返るが、宝石店は見えない。
 夢のような話だったな、と思うが首に下げているパールが夢ではないことを主張する。


 その頃、ハンナは自分の子たちを眺めて不敵に笑っていた。

「久々のお客さんだったけれど、大丈夫かしら。あの子、わたしの子の中でも特に我儘な方だから、もしかすると…...。月の光を放つパールを、果たして扱えるのかしらね」

 先程渡したために一つ空いた場所に、新たなパールのネックレスを置く。
 昨日完成したものだ。タイミングがいい。

「ふむ、この子は比較的大人しいからこの子を渡せば良かったかな。まあ、いいか」

 もう店にはいない子を思ったが、いなくなった子を思っても仕方ないのですぐに掻き消した。


 家に帰った後、布団の中で微動だにせず眠っている姉の傍に行き、腰を下ろした。
 ハンナから受け取ったパールのネックレス。
 私が死んだ後のことを考えて、宝石店から直帰せず薬屋に寄った。薬屋の爺に「私が明日来なかったら、姉の薬を持って様子を見に家まで来てほしい」と頼んでおいた。
 怪訝そうにしていたが、真剣に何度も頼むと渋々了承してくれた。
 これでもし私が死んだとしても、姉の心配はない。どうにかしてくれるだろう。
 ハンナに言われたとおり、パールを両手で握りしめ、目を瞑る。
姉の病が治りますように―――
祈るようにゆっくりと願いをし、目を開ける。
何も起こらない。
姉の顔を見るが、病が治った様子はない。
騙されたのだろうか。
そんな思いが過った時、頬にちりっとした痛みが走った。そして腕、腹、太腿、脹脛、続々と感じる痛み。頬は紙で切った時のような痛みだったが、傷が身体の下部分へいくにつれて深い痛みが走る。
腹の傷は大きく、脇腹から脇腹まで真一文字の傷になり、血が服に滲む。思わずその場に蹲り、足首は千切れるのではという程の激痛。
起き上がることができず、はぁはぁと息を深く吐くことでどうにか痛みを逃そうとする。
姉の呼吸音が聞こえ、ほっとすると急に意識が遠のいた。

目が覚めると、姉の歪んだ顔が目の前にあった。
長い間開くことがなかった瞳からは大粒の涙をこぼしている。
久しぶりに見た、寝顔以外の姉。

「しっかりして! 何でこんな大怪我負ってるのよ!」

 よく見ると、姉の隣には医者がいる。
 姉を診てくれた医者だ。

「一応、手当はした。深い傷は縫ったから、大丈夫だとは思う。お前さんら姉妹は一体どうなってるんだ。一人は治らない病だったのに何故か治っているし、かと思えば一人はずたぼろで倒れているし。一度厄払いにでも行くといい」

 医者はため息を吐いた後、次の診察があるからと申し訳なさそうに出て行った。
 姉は医者を気にすることなく泣いている。
 私は布団に横たわり、姉は傍で座り込んでいる。
 少し前までは逆だったので、妙な感じだ。

「あんた、何してたのよ」
「へへ、なんでもないよ」
「嘘!」

 姉はまだ何かを言っているが、それよりも姉の傍に落ちている破片が気になった。
 あの光沢とあの色。あれは、私が身に付けたはずのパールではないか。
 見間違うはずもない、私のパール。
 何故割れているのだろう。願いが叶ったからだろうか。それとも誰かに踏まれたのだろうか。

「聞いてるの!? まったく、誰に似たんだか。もしかしていじめられたの? それとも通り魔?」
「ちょっとね」
「ちょっとね、じゃ分からないでしょ!」

 涙目になりながら必死に怒る姉を目にし、思わず笑ってしまう。
 二人だけの家族なんだ。
 姉とまた一緒に暮らせるならそれでいい。姉と一緒に笑えるなら、姉がいるなら、それでいい。宝石の話をすれば姉はもっと怒るだろう。危ないことをするな、と。だから内緒にしておこう。
 姉の病は奇跡的に治った。それでいいじゃないか。
 姉の愛ある涙を見てくすくす笑う私に「笑いごとじゃないの!」と声を上げる。

 宝石店ハンナを思い出し、心の中で感謝の言葉を述べた。

 姉を治してくれて、ありがとう。
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