第1話

文字数 1,372文字

 毎年この季節になると思うんだ。おまえはどんな気持ちで部屋中の隙間をビニールテープで塞いだんだろうって。部屋の真ん中に七輪を置いて、酒で睡眠導入剤を流し込んで、意識を失うまでどれほどの時間があったんだろうって。
 おまえがそうやって自分から川を渡ったことを、俺は一ヶ月も知らないまんまでいたんだよ。

 おまえがくたばったあの年の連休は長かった。有給も駆使して、俺は十日間も仕事を休んだ。旅行に行った。韓国に行ったんだ。当時付き合ってた子が韓国映画が好きでね。映画ならなんでも好きっていう子だったけど、その頃は特に韓国映画にハマってた。バイオレンスとドラマティックのバランスがいい、とか嘯く子で。おまえには紹介したことなかったよな。「一緒に飯でも食おう」って言ったらおまえは絶対に嫌がらなかったって知ってるけど、でも俺がそうしたくなかった。なんでって、おまえは俺の友だちだから。どうせすぐに別れてしまう(実際おまえの訃報を聞いた直後に関係を整理した)相手と一緒に飯食ったってつまんないだろうし、俺はおまえの方が大事だったし。いつも。そう。いつもだ。知らなかっただろう。俺はおまえが大事だったよ。それなのにおまえはいつも控えめで、一歩引いたところでニコニコ笑ってて、大勢で遊ぶ──飲み会でも、バーベキューでも、海水浴でもなんでもいい──場所に誘うと「俺、空気読めなくてうまくできないかも」って毎回一旦は断ろうとするの、あれ本当になんでだったんだ? おまえのせいで空気が悪くなったことなんかないよ。一回もない。本当だよ。
 生きてるあいだに言えば良かった。おまえがいてくれて、俺は呼吸がしやすかった。おまえがいなくなって、今はこんなに息苦しい。

 三回忌だ。おまえのお母さんに会った。教えてもらった。知らなかった。おまえがひどいパワハラを受けてたって。会社で。新卒で入ったあの会社。結構な大企業だったな。亡くなったのは新卒で入社してすぐの五月の連休。一ヶ月のあいだにおまえの身に何が起きたんだ? もう分からない。お母さんは訴訟を諦めて、提示された

を受け取って田舎に引っ込むって言ってた。もう東京には出てこないって。おまえの職場の──元職場の連中にも、もう会いたくない、本当はお金だって要らないし、何より上っ面だけの「ご愁傷様」で傷付きたくないって。

 三回忌だよ。俺にできることを考えていた。ビニールテープと七輪と練炭を通販で買って、メンタルクリニックを点々として睡眠導入剤を大事に溜め込んでいたおまえのために俺にできること。

 三回忌だから、おまえはもうこの世に留まってはいないだろう。自殺者は天国にいけないっていうのはどの宗教の考え方だっけ? おまえみたいに優しいやつが入れない天国は天国じゃないから安心しろ。安心して見てろ。あの年おまえに渡せなかった旅行の土産。江南ターミナル駅の地下にあるショッピングモールで買ったシンプルなシルバーの指輪、一万ウォン。それを中指に嵌めて、これから単車を駆っておまえの元職場に行く。今から俺がやることに誰にも口出しはさせない。お母さんにだってもちろん関係ない、俺の連絡先は消してもらった。なあ。おまえを酷い目に遭わせた連中の顔も名前も頭に叩き込んである。おまえは俺の自己満足をそこで見てろ。笑って見ててくれ。

おしまい
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