第1話

文字数 1,978文字

 「Y県H市のS山に88号トンネルが作られた。これだけ聞けば、ニュースにもならない誰にも関心を払われず、ただトンネルらしく使われ、いずれ打捨てられる。そんなある種可哀想などこにでも存在する現代のトンネルを想像するだろう。現代のトンネルにはピッケルも人柱も必要ない。だから、都市伝説にも昇格できない。つまりトンネル、それ自体には暗闇と一点の光という感覚を狂わせる要因が含まれているとしても物質的な視点で見れば不審な点はない。どんなに霊的なトンネルであっても見かけ上は出口と入り口があり、入り口は出口でもある。けれど、俺たちの街に出来た88号トンネルは真反対の性質を持っているのだ。」
 相崎は一息に演説を終えると細工屋に一枚の写真と三枚のコピー紙を突き付けた。金曜の昼休みの教室。勉強をするには幼く校庭で遊ぶの気恥ずかしい中学生たちは教室で騒ぐ。そんな中学生にとって身近な山にトンネルが作られるということはそれだけで刺激的だった。問題は計画だけが歩き、工事の様子が全く明らかにならなかったことだ。もう一つ大人が本気にしていなかったことだ。それもそのはず、S山にトンネルを作る合理的な理由は何一つなかったのだから。少し離れたところに国道が通り、山にもしっかりと道が纏わりついていた。交通において不便なところは何もなく新たに線路を通す計画があったわけでもない。そんなところにトンネルは必要ない。トンネルを作るためだけのトンネルづくり。意味のない労働。労働のための労働。その答えを相崎がコピーしてきた設計図を片手にオカルト仲間の細工屋に堂々発表する。
「見てみろよ。山を一周ぐるっと囲んでるんだ。そして、出口がなければ入り口もない。しかも、いかれた芸術家の妄想じゃなくて国の計画なんだ。それに実在する。」
 写真に写った崩れた山肌の下に丸いコンクリートがのぞいていた。俺が撮ってきたんだ、台風の後にな、得意そうな相崎に細工屋はぶっきらぼうに答えた。
「それは、トンネルじゃない。トンネルは何かを通すためのものだ。」
 トンネル以外の名称を探して言葉を切った細工屋に対しておっ被せるように相崎が言葉をつなげた。
「その通り。だからこれはカモフラージュだ。俺は実験施設だと思ってる。粒子を加速させるには円形が適しているし、88はHHを表すナンバーだろ。ほら暗号だよ。」
「新手のミステリーサークルかもしれない。」
 制服のすそで眼鏡のレンズを拭いて細工屋が続けた。相崎と細工屋は身近なオカルトスポットに飢えていたのだ。幸い明日は土曜日だ。
 懐中電灯片手に相崎と細工屋は写真に写った山肌のコンクリートを見下ろしていた。二人とも置手紙を残してこっそり家を抜け出した。この冒険は家族に伝えたら言葉通りの山に行くだけの陳腐なものになってしまうと感じたのだ。そんなわけで、分厚いコンクリートを叩いてみる。一介の中学生には空気穴が必要だと推測することは出来ても、コンクリートの壁を破ることも山肌を掘り返すこともできなかった。それでもこの謎に触れることで何か非日常に触れることを期待した。そんな気休めの一撃。だから「誰かいるのか!」その返事に二人の少年は顔を見合わせた。そして、互いの間抜けな顔に噴出した。トンネルからのの声は困惑したように続ける。
「助けてくれ。出口がないんだ。入り口も見つからない。」
「そりゃそうだ。そのトンネルは円形なんだ。二次元の解決法じゃどうにもならない。」
 得意げに相崎が答えた。
「どうやって入ったんですか?入ったなら出られるはずです。」
 誠実そうに細工屋は応えた。相崎は調子のいいやつだと敬語は摩擦をゼロにすると信仰している細工屋をちらりと見て、友人が自分と同様に興奮した面持ちなことを確認し安堵した。
「どうやって入ったのか思い出せないんだ。とにかく大人を呼んでくれ。ここはトンネルでナトリウムランプの光に満ちていて。陽光も月光も一欠けらも差し込まない。僕にはこのトンネルを説明する言葉が存在しない。」
「そこはトンネルでトンネルのためのトンネルです。」
「だから、入り口がなければ出口もない。そういうことか?」
「トンネルのためのトンネル。ここには僕一人。僕のためのトンネル。」
 ぶつぶつ呟き声は遠ざかる。僕はトンネル。その言葉を最後に声は聞こえなくなった。
 二人の少年は朝の木漏れ日で正気に戻った。トンネルからの声はあれ以来一度も聞こえてこない。真剣な表情でS山を一周した。足場の悪い獣道でも一周三十分弱だった。一晩で何週できるのだろう。そんな簡単な算数の問題もなぜ、獣道がきれいに山を一周するように存在していたのかという国語の問題も解く気が起きなかった。それ以来二人はS山のトンネルの話はしていない。それでも今、88号トンネルには肝試しの若者がひっそりと足を運んでいる。
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