第1話

文字数 1,179文字

「──ねぇ、どこに向かってんすか?」 
「いいから黙って漕げ」

 返ってくる言葉はにべもない。俺は不承不承ながらもボートを漕ぐ。当の兄貴は腰を下ろして海の彼方を見つめるのみだ。いいご身分だなと心中で毒づく。

「ねぇ、このドラム缶って何が入ってんすか?」
「質問ばかりだな」

 周囲からは断続的に波の音がするのみ。おまけに深夜ときたら、そりゃあ、無理にでも話したくなるだろう。一泊置いてから兄貴は言葉を続ける。

「何が入ってるかって? それが分からないほど馬鹿じゃねえだろ」
「……」

 ボートの中央には大きなドラム缶が堂々と鎮座している。運んできたのは他でもない俺だ。力には自信がある方だが、流石に骨が折れた。なんせ六十キロはある。

「本当に、これが終わったら。組、抜けられるんすよね」
「そう何度も言ってるだろ」

 不良やって、退学になって。それからゴロツキやって、ヤクザになって。なんやかんやあって、組抜けたくなって。そしたら今こうなってる。

 この業界に足を踏み入れる以上は手を汚す覚悟もあった。流石に”コレ”をやるのは初めてだが、まぁ仕方がない。小指には代えられない。

「静かっすねぇ」
「黙って漕げ」

 何度目かも分からない会話をする。俺は流石に口を噤むが、どうにも気まずくなって、所在なさげに視線を揺らした。

 月夜が水面に反射している。上手い具合に雲が晴れているようで、星の光は遮られることなく爛々と輝いていた。
 しかし、生憎と星に感動できるほど感性豊かではないし、星座について語れるほどの学もない。肩を抱き寄せられる美人な女でもいれば話は別だが、隣に座るのはスキンヘッドの極道だ。

「よし、もういいぞ」

 兄貴はやっと腰を上げる。

「到着っすか?」
「おう。最後の確認だ、お前その中見てみろ」
「……え?」

 その中っていうのはドラム缶の中ってことで……ドラム缶の中ってことはアレが入ってて……。鈍い頭でそこまでわかった俺は狼狽する。

「嫌っすよ」
「あ? さっき気になってただろ」
「いや、まぁ、そうすけど……」
 
 あくまで兄貴の口から中身を教えて欲しかっただけで、自分から見たかった訳ではない。前にお喋りな方の兄貴から聞いた話によると、海にそれを沈める時はガスが出て浮かないように腹を掻っ捌くとか……とにかく物騒な事を聞いたことがある。  
 そんな惨状、当然見たくもない訳だが。

「最後の仕事と思ってやれや」
「……わかりましたよ」

 恐る恐るといった感じでドラム缶に近付く。首を引いて、薄目にして、そうっと開けた。

 しかし、思ってるような物は入ってなかった。拍子抜けした俺は間の抜けた声が出す。

「あれ、何も入ってないっすよ?」

 底の方には布袋のようなものがある。持ち上げようとすると相当な重量を持っていることが分かった。中身は砂のようなもの……

「ああ。これから入る」

 夜の海に乾いた音が響く。
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