第2話「美のリスク。」

文字数 5,269文字

「私はブスだから、彼氏もお客も来ないのよ! それでも必死に貯めたお金があるわ。さあ、売れるホステスになれるようにしてちょうだい!」
 確かにお世辞にも美人には見えない、いや普通以下の容姿を持ったふくよかな女性がわたしの前で泣いていた。正直、服も似合っていない。
「あの……。ここはカウンセリングルームではないですし、それにもちろん、わたしはカウンセラーでもないですから……」
 わたしはどうしたものかな、と頭を掻いた。
「手っ取り早く売れるホステスになる方法をお教えいたしましょうか?」
 バックヤードからアヤが出てきた。スマートな身体によくに似合うブラウス、ベスト、そして今日は珍しくタイトなスカート。すらりとのびる足は冬だからかブラックの八〇デニールぐらいのタイツを履いていた。靴はなんと真っ赤なハイヒール! なんとなくメイクもいつもより派手に見える。
 長い椿黒のポニーテールを軽く触ると、アヤはポケットから名刺入れを取り出し、
「あたくしはこういうものです」
 と頭を下げ、名刺を渡した。
 名刺を受け取ったホステスの女性は、
「あら、あなたがここの店主さんだったの。地味で芋のこの子がそうだと思ってたわ」
 「地味で芋」という言葉にわたしの心に氷の刃が突き刺さる。確かに垢抜けてはいないけど、とりあえず日々化粧の勉強はしているし、あなたよりは化粧が上手なのに! と憤りを覚える。
 ま、客相手に切れても仕方がないし、わたしはアヤに席を譲る。
「それで、店主さん。どういう風な才能を売ってくれるの? 金ならいくらでも、とはいかないけど、ある程度は余裕あるわ。お願い!」
 女性は頭を下げ、両手を合わせる。
「承知いたしましたわ。こちらでございます。この能力はホステスにはうってつけかと」
 アヤはもったいぶって、手に持っていたファイルを丁寧に開いた。
 そのファイルにはでかでかと、
「美しさは最高!」
 とセンスのないポップ体で書かれていた。どこが美を謳うパンフレットなの? と目を疑う。それどころではない。自他共に認めるブスにそんなこと言っていいのかしら? 気まずくないのかしら? 客を怒らせないのがアヤの主義のはず。無神経さに驚きを隠せない。
 しかし、女性の反応はわたしの予想とは真逆だった。
「そうよ。美しさは最高なのよ! あなたのようにね! そりゃ、美女だったら簡単に売れるわよ」
 女性はますます大声で泣く。
 わたしは参ったな……と溜息をつく。
「ええ。ですから、美しさはある種最強の能力です。遺伝や先天性もありますから。ですから、非常にお高いのですが、その能力を、今回格安で仕入れることが出来ましてね。如何ですか? キャッシュでなら、この価格で」
 アヤは告げた値段は、高級外車が二台買える金額だった。
 ホステスの女は生唾を飲み込むと、
「わかったわ。それぐらいなら支払える。だから、わたしに美を売って! 美容整形を考えてたお金も含めて支払うわ。とりあえず、これ。前金ね」
 その決意とどさりと置かれたお金を見たアヤは、妖艶に微笑むと、
「わかりました。ではこちらへ」
 いつもの通り、カーテンの向こうでは絶叫が聞こえた。ここで働き始めて、早四ヶ月。未だにこの声には慣れない。でも、いい加減慣れないとメンタルに来る気がする。
 そう思っていると、絶叫はやんだ。
 カーテンを開け現れたのは、さっきとは全然違う美女――それも一言で言い表せないぐらい絶世の美女だった。さっきの一重と違って、大きなぱっちりした目だった。頬は赤く色づいて、スタイルはいわゆるグラマラスな、あえて古くさい言い方をすれば、ボンキューボーンという身体になっていた。
「これが今のあなたの姿ですわ」
 アヤはどこからともなく、姿見を持ってきていた。自身の姿を見たホステスの女は、目を大きく見開き、
「これが私……? わあ、素敵じゃない! 整形手術しなくてもこんな風になれるのね! 確かに美は才能だったのだわ!」
 女性は大人げなく羽飛び回る。
「では、あとのお金は一週間以内に持ってきてくださいませ」
 アヤはさっきとは打って変わって、真顔で事務的に言った。女性はそれに気にすることもなく、
「わかったわ。ちゃんと持ってくるわ」
 女性の笑みに同性であるはずのわたしも美しさにノックアウトになりそうだった。
 ★
 一週間後。女性はちゃんと残りの料金を持ってきてくれた。
 わたしはその大量の札束の枚数と格闘している横で、
「美は最高だわ。指名はじゃんじゃんくるし、この調子だとナンバーワンになれるのも、時間の問題よ。ありがとう、店長さん。本当にうれしいわ」
 と、女性はアヤに微笑む。
 アヤも負けず劣らず、素敵な笑顔で、
「それは良かったですわ。お役に立ててなによりです」
 と軽くではあったが軽く頭を下げる。
「おわったー! きっちり金額はありました!」
 わたしは思い切り背伸びをする。
「かごめさん。お金を数えるの、慣れているのですか? 思ったより早かったですわね」
「前の仕事は経理だからね。簿記も一級持ってるわ」
「へえ、それは意外でした。それなのに、クビってよっぽどでしたのね」
 うるさい、才能なしって言い切ったくせに! と反論したかったけど、一応お客さんの前。わたしは反論せず、愛想笑いでごまかす。
「まあ、無事にお金が支払えて良かったわ。じゃあね」
 美女となったホステスは手を振って、店を出た。
 ★
 その午後、わたしはコンビニで遅めの昼ご飯を買ってきて、食べようとバックヤードのソファに座った。
 ソファの前の小さなテーブルに置いてある茶菓子の横に、茶色いリングノートにしては大きく、かといってスケッチブックにしては薄いノートが置いてあった。
なんだろうと興味本位でそのノートを開いてみた。
 そこには人物らしき雑なスケッチが描かれていた。一枚に何人も描かれてあって、懸命に練習しているのは分かるが、下手なのは下手だ。
「ちょっと? 何、人のクロッキーノートを勝手に見ているんですか?」
 アヤが顔を引きつらせながら、わたしの手のノートをひったくった。
「あら。アヤさんもそんな顔をするのね」
「からかわないでください。人の努力をなんだと思っているんですか」
 アヤの真剣な顔に、ますますからかいがいがあると思って、
「ね、アヤさんて、もしかして、絵描きとかになりたかったクチ? 才能質屋なんだから、自分で仕入れれば良いじゃないの」
 と、いつもの仕返しをした。
「それ以上、絵については何も話さないでくださいませ! いい加減にしないと、あたくしはあなたに何かをしてしまいそうですわ!」
 いつもの冷たい感じと打って変わって、かなり怖い表情になっていた。あ、からかいすぎたかしら、と冷や汗をかく。
「わかったわ」
 わたしは静かに頷いた。

 この週の土曜日の夜十時過ぎ。私はバルにいた。
 何故かわたしが働いているお店の店主、銀龍アヤと一緒に、ビールを飲んでいる。
 わたしも飲めるほうなんだけど、アヤはそれに輪をかけてザルで大虎の女らしく、一時間で、大ジョッキ三杯を飲み干していた。
「アヤさん、いくら明日は休みとはいえ、それ以上は身体に悪いんじゃ?」
 とりあえず、言ってみるけど、
「これは飲んだうちに入りません。それに本当に飲む目的だけなら、もっと羽目を外しております」
 真顔のアヤは地方の日本酒を注文していた。
「ちゃんぽんするんだ……」
 わたしはチビッとバーボンのハイボールを飲んだ。
 ドアが開き、冷たい風が入ってきた。店員さんのいらっしゃいませーという元気な声が聞こえてくる。
何気なく振り返ると、その客は絶世の美女になったいつかのホステスだった。隣には壮年の男性。服装だけで金持ちそうに見える。ややがたいが良いし人相もそんなに良くないので、わたしは近寄りがたいと思うけど。
 親しげに笑う二人に、わたしはモテてよかったわね、と溜息をつく。
「おや、嫉妬ですか?」
 アヤがわたしに嫌みな笑みを見せる。
「違うわよ」
 速攻で否定する。
「ですわよね。これはこの前のクロッキーノートの復讐ですわ」
 アヤはそう言うと、もう二合の日本酒を飲みきっていたようで、おかわりを言っていた。
「かごめさんも飲んで良いんですよ。あたくしのおごりですから。部下との割り勘はあたくしのポリシーに反するので」
「結構飲んでいるわ。お気遣いありがとう」
 わたしはハイボールを飲み干し、
「んじゃ、ブラッディマリーとかレゲエパンチあったら、欲しいわね」
 とメニュー表を覗き、注文した。
「結局、かごめさんもちゃんぽんするんじゃないですか」
 アヤは薄らと笑う。
 その刹那、乾いた破裂音がした。火薬の匂いが鼻につく。
「かごめさん! 伏せて!」
 アヤはわたしの頭を叩き、叩かれたわたしの身体は思い切りテーブルに当たり、そのまま倒れ込む。
「なにすんのよう!」
 顔を上げたわたしに、
「顔を上げないでくださいまし! 今乱射事件が起きているのですよ!」
「なんですって?」
 アヤの怒号にわたしは腰がすくむ。
 銃撃の音は止んだ。そして、
「てめえ! 俺からちょこまかと逃げやがって!」
 という、男の怒号が店内を響き渡った。よく見ると、ホステスの胸ぐらを掴んでいる。
「な……なんのこと?」
 ホステスは引きつった顔をする。
「俺から金を巻き上げたあげく、ドロンしたくせに! よくしゃあしゃあと言い切るなあ!」
 男は手に持っていた拳銃の口を女のおでこに当てる。女の顔色は青い。
「ちょっとお待ちくださいませ。お探しの女性はその方ではありませんわよ。お兄さん」
 横を見ると、アヤがいつもより三倍増しの笑顔で拳銃の男を話しかけている。
「アヤ! ちょっと! 狙われたらどうするの?」
 アヤの袖を引っ張り、制止するよう促そうとするが、わたしの焦りを気にする様子もなく、
「ですから、その拳銃を下ろしてくださいませ。あたくしはあなたの探し人の行方を知っているかもしれません」
 と言い切った。
「どういうことだ?」
 銃撃犯はわたしが思ったことと全く同じことを言った。
「まずは、その方は運転免許証を見たらどうです?」
 アヤは軽い調子で笑う。銃撃犯は、ホステスのカバンから乱暴に財布を取り出し、免許証を見た。
「嘘だろ、おい……」
 男は免許証の写真とホステスの顔を見比べる。
 そうこうしているうちに、サイレンが近付いてくる。
「ね、人間よく似た顔の人は三人いると言いますし、おとなしく警察に捕まってくださいませ」
 アヤの度胸にわたしは自分の胸が破裂しそうだった。

 一応、事件に巻き込まれたわたしたちは、ホステスと一緒に警察署にいた。取り調べはなんか怖いイメージだったけど、被害者の身分のわたしは酷い扱いを受けなかった。
 帰ろうと思って、アヤとともに警察署入り口のベンチにいくと、ホステスは大人げなく泣いていた。
「やはり曰く付きの顔はダメですね」
 泣いているホステスを横目にアヤは冷たく言い放つ。
「どういうこと?」
 わたしは訝しげに聞く。女性は泣くのを辞め、アヤの顔を見る。
「元の顔の持ち主は、結婚詐欺師だったそうですが、本当の愛に目覚めたらしく……。詐欺をする必要がなかったら、美貌なんてどうでもいい、と思って、売ったそうです。でもなかなか買い手が見つからなかったので、あたくしが買い取ったのです」
「ねえ、アヤ? 他にも能力質屋ってあるの?」
 わたしの質問を完璧無視したアヤは、
「何の汚れのない美なんて、とてもじゃないですが、あの値段では買えません。本当に曰く付きでなければ、あれほど格安になりませんよ」
 と、憎たらしいほどステキな笑顔で、ホステスを見る。
「どうします? その薄汚れた罪だらけでも美しい顔がいいか、純粋な自分の顔が良いか。よく考えてくださいませ」
 アヤは丁寧に頭を下げると、音を一切立てず、風のように外へ出た。
 ★
 後日談として、あのホステスは「美」を売った。
 またあの叫び声を聞くのはつらいけど、これでいいのかな、と胸をなで下ろす。
 ホステスが帰った後、アヤはボソリ、
「美というものは、自分の内なるものから起きるもので、自分なりの美を求めるのが真っ当だと思うんですよ」
 と呟いた。
「へえ、スケッチでも上手になって気がついたの?」
 わたしの皮肉に、アヤは、
「ええ。クロッキーは上手になりました。かごめさんを観察していると、どんな姿も書けそうな気がします」
 と静かに笑う。
「どういうこと? もしかして、あのスケッチのモデルはわたし?」
「スケッチではありません! クロッキーです!」
 アヤは顔を赤くして、ぴしゃりと言い切った。   
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