文字数 2,328文字

糸。

小指に垂れ下がる赤い糸。

左手にあって右手にはない。

蝶々結びが可愛い 赤い糸。


三歳のときにはもうあった。

きっと赤ちゃんの頃からあるのだろう。

ずっと一緒の赤い糸。


どうやら、わたし以外には見えていない。

お母さんも、お父さんも気づいていない。

ねぇ、知ってる?

二人の糸は繋がっているんだよ。






あるとき、糸がこんがらがっているのを見た。

お母さんもお父さんも怖い顔をしている。

窓の外はどしゃ降りだ。


わたしは絡まった糸を必死に解いた。

だけど、また直ぐにグチャグチャと戻ってしまう。

絡まって、引っ張って、また絡まって。









プツン。















わたしはお母さんとバイバイした。

お父さんはお家から出てこなかった。

二人の小指には、ちぎれた赤い糸が垂れ下がっている。


糸は簡単に結び直せない。







お父さんはジュースをたくさん飲むようになった。

毎日、朝も昼も夜も。

わたしも欲しいと言ったけど駄目だった。




お父さんはわたしと遊んでくれなくなった。








お母さん。














ある日、お父さんが女の人を連れてきた。

赤い糸が引き合っていた。

お父さんは楽しそうに笑っている。

わたしは嬉しかった。

お父さんの笑顔は久しぶりだった。


そのうち女の人がわたしのお家に住むようになった。

女の人はお姫様みたいにキレイで

優しくて、いっぱい遊んでくれた。

わたしのことを「可愛い」と

頭もたくさん撫でてくれる。


女の人の手料理はおいしかった。

ハンバーグもとてもおいしい。

お父さんはいつも幸せそうに食べている。

家は明るくなった。






だけど、お母さんはいない。













夏の日。

わたしに妹ができた。

頭はちょろっとしか毛がなくておもしろい。

女の人のお腹はすっかりしぼんでいた。

お父さんは、タオルにくるまれた赤ちゃんを抱いた。

「ありがとう。」

そういって泣いている。

赤ちゃんはずっとわんわん泣いていたけど、落ち着いたのか少し静かになった。

女の人は疲れたようにホッと
お父さんと赤ちゃんを眺めている。

お父さんと女の人の赤い糸は
より強く、丈夫そうに繋がった。


わたしも下から赤ちゃんを眺める。






ふと、わたしの頭にあることが過った。

わたしにしかわからないこと。

実はずっと気になっていたことが一つあるのだ。


わたしは、「糸は産まれたときからあるのか」が、実はずっと気になっている。



わたしが三歳の頃にはすでにあった。

どこかの乳母車に乗った赤ちゃんにもあった。



女の人から出てきた瞬間は怖くて見れなかったけど、産まれたばかりの赤ちゃんにはあるのだろうか。



わたしは、とても知りたくなった。





お父さんの胸に抱かれている赤ちゃん。

大切そうに抱かれている赤ちゃん。

女の人が幸せそうに眺めている赤ちゃん。

看護師さんからも祝福されている赤ちゃん。

タオルで小指が隠れている赤ちゃん。







わたしは高いところの物を取るとき、
いつもボールを投げて落としていた。

何でもグラリと揺れて、わたしの下にやってくるのだ。

わたしはそれを魔法のボールと名づけていた。

魔法のボールは軟らかい。






先週の夏祭りはとても楽しかった。

キラキラ花火がお空に大きく咲いていた。


パチパチ。キラキラ。


ラムネが弾けるみたいにたくさん咲いていた。



わたしは射的で魔法のコンパクトを獲った。

好きなアニメの魔法少女が使っているコンパクト。

どんな悪い敵もやっつけてしまう、そんな魔法少女が持っているコンパクト。


みんなすごいと褒めてくれた。






わたしは今、魔法のボールを持っていない。

だけど、素敵な魔法のコンパクトは肌見離さず持っていた。



ドクドクと心臓が鳴る。

力が湧いてくるような気がした。




射的で景品を狙うように、
わたしは赤ちゃんにコンパクトを投げつけた。









お父さんと女の人、そして妹の笑い声がする。

わたしは狭くて薄暗い部屋で、独りそれを聞いていた。

妹は特に悪いところもなく、すくすく育った。

だけど額には、わたしのつけたコンパクトの傷跡が残ったらしい。

それでも妹は女の人に似て、小さなお姫様みたいだ。


わたしはこっそり妹を見つめた。

妹はわたしがいることをきっと知らない。


もうしばらく、お父さんと話していない。













お母さんに会いたい。








寂しいよう。















お母さんとお父さんが一緒にいれば、わたしはこんな気持ちにはならなかった。



お母さんはいなくならなかったし、お父さんは無視しないし、女の人もいなかったし、妹もできなかった。


お母さんとお父さんだけがいれば、わたしは誰よりも幸せだった。

お母さんとお父さんの赤い糸が繋がっていれば、わたしは……。











「ハサミで糸を切ったのはあなたじゃない。」



鏡から誰かがいった。


わたしは、思わず笑ってしまう。




わたしの小指。

左手の小指。

赤い蝶々はどこかへ飛んでいってしまった。


もう、どこにもない。





蝶々結びは簡単にはできない。

そんなこと、あの日から知っていたのにね。

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