第8話 異国で底辺男が中国の女性と結婚という話-中国起業物語(外伝)

文字数 3,834文字

日本語学校で月給1500元という、当時の中国の人でもかなり底辺な部類に入る生活をしていた僕だったが、すごいことに既に結婚していた。今回は、至極個人的な話になるが、その後の起業の際に背中を押してくれたのは妻なので、そのなれそめから触れておきたいと思う。しばしお付き合いを願いたい。

中国人女性との結婚

 相手は大体想像がつくと思うが、中国の女性だ。しかも1歳年上の姉さん女房だ。彼女はもともと航空会社に勤めていたキャビンアテンダント(CA)だったのだが、日本留学のために職を辞していた。

 僕が中国に留学している間、彼女は逆に日本に留学するという遠距離恋愛なども経て、一応実を結んで結婚に至ったわけだが、彼女の周りでは当時相当の反対があったようだ。当時は僕の鈍感さと中国語能力の低さのなせるワザか、そうした空気に一切気づかず、面の皮の厚いのもいいところだったのだが。

 彼女の家族、親戚、友人、知り合いは、彼女が僕と結婚することを決めたとき、頭がおかしくなったと思ったらしい。確かに、日本人と言えば当時はそれなりに裕福で、駐在員の生活ぶりも現地の中国の人とは天地の差があったわけだから、普通に考えたら日本人と結婚するといえば、ちょっとしたものだったはずだった。

 だが、よりによって僕である。

 付き合っていたころから、僕は彼女に誘われてよく食事会に参加していた。だが、中国語能力も低い上に、言語能力に輪をかけてコミュニケーション能力が低かったので、食事会に参加しても一言も話さずに黙々とご飯を食べているだけで、かなり感じの悪い日本人に映っていたようだ。

 僕だって、せっかくお呼ばれしたのだから、できるだけ会話に参加して、冗談の1つも披露したいと心から思っていた。

 だが、何せ会話のスピードが速いし、皆押しが強いので、言葉を差し挟むタイミングも分からない。そのうえ、上海では上海語が普通なので、北京語しかできない僕は何が話されているのかも分からず、会話に入ることもできなくて、せいぜい「おいしいです」くらいしか言うことができなかった。

 そうした国籍や性格の問題を抜きにしても、周りが納得も理解もできなかったのは、CAという華々しい仕事をしていた彼女が、なぜこの貧乏日本人と一緒になるのを決めたのかということだった。

「おまえは絶対に騙されている」と本気で彼女に忠告してくれる友人もいたそうだし、彼女のこれまでお付き合いしてきた男性と比較すると、明らかにワンランクどころか、5ランクくらい落ちる僕と結婚すると宣言した彼女をみれば、周りの人間は、彼女が壊れたと思っても至極当然の判断だろう。

 逆に僕のほうは、彼女と結婚することを誰にも言っていなかったし、両親すら直前まで僕が結婚することを知らなかったので、特に大きな波風は立たなかった。社会経験、人間性、性格の良さ、経済力、どの点をとっても彼女は僕より優れていたから、伝統的な結婚観に照らし合わせてみれば、ほぼ僕が彼女に嫁いだようなものだと思う。

出会いは飛行機の上で

 彼女とは、飛行機の上で知り合った、というとドラマのようでかっこいいけど、それほどドラマチックな展開ではなかった。

 そのとき僕は、たまたま実家に戻る大阪行きの飛行機に乗っていた。そこに、たまたま彼女も客室乗務員として乗っていた。彼女は普段、ファーストクラスかビジネスクラスを担当するのだが、その日は同僚が病気で欠員が出たので、エコノミークラスを担当していたらしい。

 中国系の航空会社にありがちな、がんがんに冷房が効いている機内で凍えて遭難しそうになっていた僕は、何人かの客室乗務員に「毛布をもらえませんか?」と一生懸命伝えていたのだが、これがまったく通じなかった。英語はまったくできないし、下手くそな中国語では聴き取ってもらえず、最後にはイヤホンが出てくる始末。恥ずかしがり屋で内向的な僕は、まったく必要ないイヤホンを片手に笑顔で「謝謝(ありがとう)」と答えるしかなかった。

 そのとき、近づいてきて「何か欲しいですか?」と日本語で声をかけてきたのが彼女だった。サービス用語として「何か欲しいですか?」という日本語は多少問題があるかもしれないが、凍えて唇がやや紫色になりつつあった僕にとっては神の声であり、ようやく必要な毛布を手に入れた僕は彼女に何度もお礼を言った。

 彼女は、日本語を勉強しており、将来は日本に留学したいと思っていることなどを僕に説明した、僕のほうも上海の日本語教室で教師をしていること、新しい日本学校を立ち上げるつもりでいることなどを、50%くらい膨らませて話した。

 すると彼女は「私も日本語を勉強したいので、もし上海に戻ったら連絡をもらえませんか?」という予想しなかった答えを返してきた。後に聞いたところだと、特に深い意味はなく、純粋に日本語上達のために、日本人の友人が欲しかっただけらしいのだが、そのときはお互いに電話番号を交換して、彼女は仕事に戻り、僕は再び大嫌いな飛行機の上で嫌な揺れを我慢しながら眠りについた。

“日本語”がつないだ関係

 CAさんに声をかけられた上に「また会ってもらえませんか」という人生で1回あるかないかの展開に、普通ならすっかり舞い上がってしまうところだが、そのときの僕はまた無駄に冷静に「これは絶対に何か裏があるに違いない。こんな貧乏日本人にCAさんが近づいて来るなどありえない。ここには何か陰謀が感じられる」などと勝手に思い込んでいた。

 その後、上海に戻ってからも、彼女からの電話に出なかったり、お誘いを断ったり、約束の時間に現れなかったりという暴挙に出ていた。結婚した今では、こんなことをしたら間違いなく死刑であろうが、このどう考えても住む世界が違いすぎて、当時の僕には壮大なドッキリにしか思えなかったのだ。

 その後も彼女からの連絡をのらりくらりと交わし続けた僕であったが、ある日、彼女の友達の女性から電話がかかってきた。

 その女性いわく「あなたは何か勘違いをしている。彼女は別に悪い人ではないし、ぜひあなたとお友達になりたいと思っているだけなので、一度くらいは会ってあげてもらえないか」とのこと。ことここに至って、今までの対応があまりに非礼であったことに遅ればせながら気づいた僕は、平謝りで彼女と会うことを約束した。

 約束の当日、これまでさんざん逃げたり、断ったりしてきたこともあり、緊張でがちがちだった僕は、靴下の色が左右で違っているのを待ち合わせ場所で気づいたほどだが、時すでに遅しで彼女がとうとうやってきた。内心は、はらわたが煮えくり返っていたかもしれないが、彼女は笑顔で「こんにちは」と挨拶をした。その後は、僕がこれまで上海で行ったことがないようなお洒落なカフェでお茶をしながらお互いの話をした。

 そのとき彼女は僕に「いろいろと怖い思いをさせてしまってごめんなさい。外国に1人で住んでいたら、確かにいろいろ考えてしまいますよね」と逆に気遣いの言葉をかけてくれた。もともと非常に単純な人間の僕は、この言葉ですっかり打ち解けて、これまでの自分の中国での体験や経験、今は日本語学校の先生をしていることなどを下手くそな中国語で説明した。

 彼女もCAを辞めて日本へ留学したいと考えていることなど、いろいろなことを僕に話してくれたが、もともと僕に連絡をしてきたのは相談事があったかららしい。彼女は当時、友達と大連で日本語学校を立ち上げようとしていたそうで、そのときに必要な日本語の先生を探していたらしい。それで日本語の先生をしている僕に白羽の矢が立ったのだ。

 世間というのはとても狭いもので、彼女の代わりに僕に電話をかけてきたあの女性というのが、僕が最初に就職していた日本語学校で僕の授業を受けていたらしい。下手くそな中国語で身振り手振りで日本語を教えるスタイルが面白いという話が、その女性を通じて彼女の耳にも入っていたらしい。

 つまりCAさんからのお誘いというは、何のことはない、給料を1500元しかくれない張さん(仮名)と同じく日本語学校設立の相談だったのである。日本語の先生を始めてからわずか1年程度の僕は、日本語学校設立のスカウトに2度もあったことになる。

 こうして現在の奥さんとのつきあいは、日本語が縁で始まった。

 彼女との日本語学校設立という話は、僕が既に張さん(仮名)と日本語学校を立ち上げていることと、現在のところ大連まで行くつもりは無いというので立ち消えになったが、僕と彼女のお付き合いは、その後も続くことになった。

 しばらくお友達としてのお付き合いが続いたが、健全なグループ交際なども経て、最終的には正式に恋愛関係のお付き合いとなった。中国の女性との恋愛というのも初めてだったし、だからといって日本の女性との恋愛経験もそれほど豊富でなかった僕なので、日本人と中国人であったとしてもそれほどのギャップもなく付き合うことができた。

 彼女が割とせっかちな性格なのに対して、僕は生来から鈍感なのんびり屋であったので、たまに喧嘩したとしてもそれほど深刻なことになることは少なかった。喧嘩するときは彼女は中国語で僕は日本語になるのだが、当時はお互いに表面的な言葉しか理解できなかったこともあり、決定的に傷つけるようなことにならなかった。それは今にして思えば良かった気もするし、この関係は今も続いていたりする。

(続く)
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