第1話

文字数 2,958文字

 俺には好きなひとがいる。

「ねえ、椿基、聞いてる?」
 隣の机でスマホを触りながら、幼馴染の葵は言う。
「もう夏だからさ。サンダルとかあげたいけど、好きな服装とかわかんないし。椿基が菊田くんと仲良いから、相談してるんじゃん。」
 そう言いながら、葵はスマホでアパレルショップの通販サイトとにらめっこをしている。ちらりと画面を見ると、そこにはバイトもせず部活三昧の俺には、理解できない金額のものが並んでいた。
「まだ付き合って3か月とかだろ?そんな高いもの送ったら、後々苦しくなるぞ」
「いーの、こういうのは最初が肝心でしょ。たく、これだから彼女いない歴17年は。さっさと補修の課題終わらせなさいよ、プレゼント買いに行けないでしょ。」
 とあきれたように肩をすくめている。それは関係ないだろ、と俺は思いながらも補修の課題を進める。
 教室の窓から入る生暖かい風がベージュのカーテンを揺らし、差し込む太陽は床をジリジリと照らしている。
「椿基といい、菊田くんといい、よくこんな暑い中でボールの追いかけっこできるよね」
 サッカーのことをボールの追いかけっこと表現するのか。あっけにとられる俺をよそに、葵は下敷きで扇ぎながら、グラウンドに目を向ける。そう話す葵の顔は少し赤く染まっている。それは暑さのせいか、それともグラウンドで走る菊田のせいか———。



「ありがとう、椿基のおかげでいいプレゼント買えたわ。今日は私のおごりだからね。」
 補修の課題に加えて暑い中の買い物にも付き合い、疲れ果てた俺は運ばれたバニラアイス付のコーヒーゼリーを口に運ぶ。ゼリーのほろ苦さを甘いアイスが包み込み、口の中でちょうどいい甘さになる。
「椿基はさ、彼女とか作んないの?椿基は優しいし、サッカーもうまいし、モテるでしょ?勉強はちょっと、あれだけど。」
「勉強がちょっとあれで悪かったな」
 俺がそう言うと、葵は笑いながら甘そうなチョコレートパフェを頬張る。
「まあでもさ、私は本当に椿基は女の子にモテると思うよ。実際ちょっと人気あるしね。」
 菊田くんほどじゃないけどね、とわざわざ言わなくていい一言もつけてくる。
「まあ、でも、好きなひとに振り向いてもらえなければ意味ないからな。」
「ええ!?好きな子いたの!?」
 あまりに驚いた葵は勢いよく顔を上げ、パフェの手を止める。
「ええ、だれだれ?同じクラスの子?それとも、別のクラスの子?」
「絶対言わない、お前口軽いもん」
「頑固な椿基が言わないといったなら言わないね、じゃあもう聞きません。」
 あっけなく引き下がる葵。付き合いが長いだけあって、この距離感は心地よい。
「でも好きなんだったら、気持ちだけでも伝えたらいいのに。」
 そう簡単に言えるかよ、と出そうになった言葉を俺はぐっと飲み込む。飲み込んだものと一緒に、俺の胸に重い何かがのしかかる。その感情に気づかないふりをするかのように、バニラアイスがなくなったコーヒーゼリーを次々と口に運んだ。



「椿基、ちゃんと補修の課題終わらせた?」
 部活の休憩時間に菊田が声をかけてくる。
「お前いないと練習つまんないし、後輩にも示しつかないから頼むよ」
 と肩を組みながら楽しそうに話してくる。ただでさえ暑いのになぜ距離を近くするんだ。
「キャプテンは後輩の面倒も見ないとだもんな」
「そうだよ、だからサポート頼むよ。椿基がいるなら、俺がどんだけヘマしても大丈夫だからな。勉強はちょっと苦手だけど」
「勉強のくだり、葵にも言われたよ。」
「え、葵ちゃんも?なんかうれしいな。」
 と頬を赤く染める。これは暑さだけのせいじゃないのだろう。
「今日部活終わりに誕生日デートに誘われてさ。これってプレゼントとか期待してもいいと思う?」
 と誰が近くにいるわけでもないのに耳元で言う菊田。やっぱり距離が近い。
「いいんじゃない?なんかいろいろ悩んでたよ。さっ、そろそろ休憩終わりだな」
 さっさと話を切り上げて走り出す。俺は自分の胸の鼓動が早くなっているのを自覚していた。入り混じった気持ちをかき消すように、俺は練習に打ち込んだ。



「なんか、今日あんまり練習乗り気じゃなかった?」
 花を選びながら、菊田が言う。誕生日デートのサプライズで逆に花を渡して驚かしたいが、どんな花が好きか分からないから一緒に来てくれと頼まれ、俺は菊田と駅前の花屋に来ていた。
「うーん、どうだろう。いつもと違うかった?」
「いやあ、なんとなくだけど。なんかあったら言えよ。」
 よく見てるなあ、こういうところを葵は好きになったんだろうなと感心する。
「どれがいいのかわかんねえな。葵ちゃんって好きな色とかあるの?」
「うーん、青とか、黄色とかだったかな。」
 花の好みなんて分かるわけないだろうと思いながらぼんやりと花を眺めていると、青い花を咲かせている不思議な模様の葉に目が留まる。
「なにそれ。コリウス?聞いたことないな。花はきれいだけど、葉っぱがちょっと不思議。」
 眺めていると菊田が話しかけてきた。青い花が小柄で美しい。きれいだなと、俺は素直に思った。
「だめだ、椿基」「それの花言葉は、叶わぬ恋ってある」
 そんなことも気にするのかと、椿基は思わず笑ってしまう。それほどの気持ちを葵に抱いているんだなと思いながら、そこを気にする菊田も、ちょっと可愛らしいと感じた。
 結局菊田はヒマワリを買った。漢字で書くと向日葵で、葵の字が入っているからだと。そんなことを思いつくなんて、何者だ、菊田。
「ありがとう、選ぶのに付き合ってくれて。」
 ヒマワリを片手に菊田は話す。高校生で花をプレゼントするなんて、俺なら少し気恥ずかしいが、菊田はそういうことをさらっとやってのけてしまう。
「お前が友達でよかったよ。他の奴なら、花を選ぶのを手伝ってもらうなんて、ちょっと恥ずかしいし。」
 照れたように笑いながら菊田は言う。そう、俺は菊田にとっての友達だ。それは紛れもない事実だが、その言葉はまるで、俺と菊田の間に見えない線引きをされたようにも感じた。

——好きなんだったら、気持ちだけでも伝えたらいいのに——

 菊田の隣を歩きながら、葵の言葉を思い出す。
 今は友達だから嬉しい言葉もかけてもらえる、一緒にいることも許される。でも、絶対に応えることのできない好意を向けられた人間は、どう思い、どう反応するのか。伝えるどころか、怖くて想像もできない。
 贅沢は言わない。この関係でいられるだけでいい。変わらないことが叶うなら、それも幸せの一つではないか。思いが結ばれ、関係が変わることだけが幸せなのだろうか。受け容れてもらえないから、打ち明けないことなんて誰にだってある。俺が幸せだと感じられればいいのだから、そこに他人の価値観が加わる必要はない。

 でも、もしも。

 もしも、菊田が俺に花を選ぶなら、どんな花を選んでくれるんだろう。

 待ち合わせに向かう菊田と別れ、俺は出発直前の電車に慌てて駆け込む。電車の中は冷房が効いている。長い距離を走ったわけではないが、早くなった鼓動と赤く染まった頬はなかなか戻らない。青い花を咲かせたコリウスも、葉はすこし赤かったな、とふと考える。
 窓の外の景色が動き出す。ヒマワリを片手に、葵のもとへ歩いている菊田の背中が遠くに見えた。

 俺には好きなひとがいる。

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