第1話
文字数 1,620文字
私がその噂を聞いたのはこの街に転勤してきて3か月ほど経った頃。コロナ禍の影響で在宅勤務が増え、これまでは外食ですませていたがこのごろ自炊を始め、近所の大型スーパーを利用することも多くなった。そのスーパーでのこと。
「あたしさー、こないだパイナップルおじさんに会ったんだけどー」
パン売り場で朝食用の食パンを手に取ろうとした際、近くにいた女子高生らしき子たちの会話が聞こえてきた。
「えっ、ウソ。パイナップルおじさんってホントにいるの? 彼氏も見たって言ってたけど、あたしアイツの冗談かと思ってた」
「いるいる。超いる。ここでよく買い物してる。あんたもそのうち会うかもよ」
パイナップルおじさん……?
いったい何者だろう。なにを以て彼はパイナップルおじさんと呼ばれているのか。毎日パイナップルを山のように買いだめしているのか。それとも髪の毛をツンツンに立てて黄色の上下に身を包み、あたかもパイナップルのような風貌をしているのだろうか。
気になる。
それからというもの、私はこのスーパーを訪れるたび、パイナップルおじさんとおぼしき人物をひそかに目で探すようになった。
あの黄色いスウェットを着た男性か。
それとも緑色のモヒカン頭の青年か。
買い物カゴにパインの缶詰を二、三個入れてる老人か。
なんとなく脳内のイメージをかする人物は見かけた。
しかし、いずれも「パイナップルおじさんだ」と形容するには至らなかった。
どうしても決め手が足りない気がするのだ。
なにが決め手なのか、自分でも分からないが。
噂を聞いてから、はや一か月が過ぎた。
パイナップルおじさんはあくまでも都市伝説のひとつで、ほんとうは実在しないのではないか。
そう思いはじめていた、とある日曜日の午後のこと。
私は例のスーパーに夕飯の買い出しに行った。買った商品を袋詰め台に置きエコバッグに詰めていたときのことだ。
「ちょっとあなた」
突然誰かに声をかけられた。
私のとなりに60代くらいの男性が立っていた。整えられた白髪頭、落ち着いたグレーのジャケット、黒のスラックス。いっけん物静かな雰囲気の人物だが、その手に持っている物に私は目を見張った。
パイナップルだ。
まさか、この男性が……?
私の心臓が高鳴った。
男性が口を開く。
「あなた、このパイナップルを持っていてくれませんか」
私が? どうして……頭の中に疑問がうずまいたが、気づけば私は男性の言うことに従っていた。まるで催眠術にでもかけられたかのようにすんなりとパイナップルを受け取ったのだ。
すると、
「あっ、ごめんなさい」
「え?」
「そうやって縦に抱えるんじゃなくて、はを私のほうに向けてくれませんか。こう、まっすぐに」
どうやら持ち方にもルールがあるらしい。
言われたとおり、パイナップルの葉を真っ直ぐ男性のほうに向けると、男性は満足そうに小さくうなずいた。
そして次の瞬間、男性は葉を片手でつかむと、そのまま一気に時計回りにねじった。
「あっ!」
それは一瞬のできごとだった。取れたのだ。
葉が。一枚も残らずごっそりと。
男性は取った葉を袋詰め台下のゴミ箱に捨てると、
「ありがとうございます。私はね、いつもパイナップルはこうやって持って帰ってるんですよ。買い物袋に入らないから。たびたびいろんな人に手伝ってもらってるんですよ」
と、私に一礼した。
「そういうことでしたか……」
フッと全身から力がぬけ、笑いがこみあげてきた。パイナップルおじさんとはいったいどんな奇抜な人物かとこれまであれこれ想像を膨らませていた自分が恥ずかしい。
パイナップルおじさんとはパイナップルを思わせる個性的なファッションの人物でも、買い物カゴいっぱいにパイナップルを買うような人物でもなかった。ただ、パイナップルを持って帰るのに葉が邪魔なだけだったのだ。
去りゆく男性の後ろ姿を見ながら私はしみじみ思った。
「なぜ、カットパインを買わないのか」
と。
「あたしさー、こないだパイナップルおじさんに会ったんだけどー」
パン売り場で朝食用の食パンを手に取ろうとした際、近くにいた女子高生らしき子たちの会話が聞こえてきた。
「えっ、ウソ。パイナップルおじさんってホントにいるの? 彼氏も見たって言ってたけど、あたしアイツの冗談かと思ってた」
「いるいる。超いる。ここでよく買い物してる。あんたもそのうち会うかもよ」
パイナップルおじさん……?
いったい何者だろう。なにを以て彼はパイナップルおじさんと呼ばれているのか。毎日パイナップルを山のように買いだめしているのか。それとも髪の毛をツンツンに立てて黄色の上下に身を包み、あたかもパイナップルのような風貌をしているのだろうか。
気になる。
それからというもの、私はこのスーパーを訪れるたび、パイナップルおじさんとおぼしき人物をひそかに目で探すようになった。
あの黄色いスウェットを着た男性か。
それとも緑色のモヒカン頭の青年か。
買い物カゴにパインの缶詰を二、三個入れてる老人か。
なんとなく脳内のイメージをかする人物は見かけた。
しかし、いずれも「パイナップルおじさんだ」と形容するには至らなかった。
どうしても決め手が足りない気がするのだ。
なにが決め手なのか、自分でも分からないが。
噂を聞いてから、はや一か月が過ぎた。
パイナップルおじさんはあくまでも都市伝説のひとつで、ほんとうは実在しないのではないか。
そう思いはじめていた、とある日曜日の午後のこと。
私は例のスーパーに夕飯の買い出しに行った。買った商品を袋詰め台に置きエコバッグに詰めていたときのことだ。
「ちょっとあなた」
突然誰かに声をかけられた。
私のとなりに60代くらいの男性が立っていた。整えられた白髪頭、落ち着いたグレーのジャケット、黒のスラックス。いっけん物静かな雰囲気の人物だが、その手に持っている物に私は目を見張った。
パイナップルだ。
まさか、この男性が……?
私の心臓が高鳴った。
男性が口を開く。
「あなた、このパイナップルを持っていてくれませんか」
私が? どうして……頭の中に疑問がうずまいたが、気づけば私は男性の言うことに従っていた。まるで催眠術にでもかけられたかのようにすんなりとパイナップルを受け取ったのだ。
すると、
「あっ、ごめんなさい」
「え?」
「そうやって縦に抱えるんじゃなくて、はを私のほうに向けてくれませんか。こう、まっすぐに」
どうやら持ち方にもルールがあるらしい。
言われたとおり、パイナップルの葉を真っ直ぐ男性のほうに向けると、男性は満足そうに小さくうなずいた。
そして次の瞬間、男性は葉を片手でつかむと、そのまま一気に時計回りにねじった。
「あっ!」
それは一瞬のできごとだった。取れたのだ。
葉が。一枚も残らずごっそりと。
男性は取った葉を袋詰め台下のゴミ箱に捨てると、
「ありがとうございます。私はね、いつもパイナップルはこうやって持って帰ってるんですよ。買い物袋に入らないから。たびたびいろんな人に手伝ってもらってるんですよ」
と、私に一礼した。
「そういうことでしたか……」
フッと全身から力がぬけ、笑いがこみあげてきた。パイナップルおじさんとはいったいどんな奇抜な人物かとこれまであれこれ想像を膨らませていた自分が恥ずかしい。
パイナップルおじさんとはパイナップルを思わせる個性的なファッションの人物でも、買い物カゴいっぱいにパイナップルを買うような人物でもなかった。ただ、パイナップルを持って帰るのに葉が邪魔なだけだったのだ。
去りゆく男性の後ろ姿を見ながら私はしみじみ思った。
「なぜ、カットパインを買わないのか」
と。