第1話

文字数 1,993文字

 かれこれ1時間半、バスに揺られている。いや、正確には揺られていない。バスがほとんど動かないからだ。バンコクの渋滞は激しいと聞いていたが、これほどだとは。
 バスの中では20名を超える乗客が、ただ前を向いて座っている。たまに伸びをする彼らの背中は、渋滞での鬱憤を晴らす叫びだ。 
 ああ。プラスチックの椅子が硬くてケツが壊れそうだ。『ケツを治してくれる店』があったら、すぐに駆け込みたい。そんなことを考えながら、椅子からケツを浮かせ小休憩を与えた。
 窓からはずっと同じトゥクトゥクが見え、バスと同じペースで進んでいる。はじめはテンションの高かった乗客も、今やぐったりして動かない。たまに彼らと目があい、気まずくなって目を逸らすのはお互い様。出会ったときは手を振ってくれたのに、もうどこにもその笑顔はない。バスとは違ってクーラーもないので、体力は奪われ、衰弱している。

 ああ、進まない。「動いた!」と思ったら数メートル進んで、また止まる。何度もなんども同じことを繰り返すバス。何かの罰ゲームだろうか。それとも道の先にカルガモの親子でもいて、道路を横断しているのか?
 歩いた方が早いな……。
 二十分ほど前からそう考えている。そのままバスに座り続けても時間の無駄だからだ。
 アプリで確認すると、駅まで距離はあるものの、直線だということがわかった。通り魔のようなスコールは心配だが、致し方ない。

 私は運転手に頼んでバスを降りた。そして汗を拭いながら、ひたすら車列の横を歩いた。渋滞は相変わらず慢性的で、乗っていたバスに抜かれる事はなかった。

 四十分ほど経過した。私はそこで思わぬ光景を目にした。
 なんとゾウの親子が道を横断していたのである。親ゾウも子ゾウもたくさんいて、群れを形成していた。信じられなかった。さすがタイだ。初めて見る光景に思わずうっとりする。バスを降りて大正解だった。私は首から下げたカメラで何度もシャッターを切った。

 ん? 待てよ。

 私はあることに気がついた。
 ゾウの列が長い。そして進んでいない。なんと、ゾウもゾウで渋滞していたのである。
 彼らはなぜ動けないのだろう。ゾウなりの事情があるのだろうか。
 私は進路を変更した。好奇心が疲れに勝ったのだ。そしてひたすら、ゾウの横を歩く。やっぱり旅はこうでなくちゃ。アプリさえあれば元の位置に戻れるんだから、ひとまず冒険に身を委ねよう。

 しばらく歩くと、地面はアスファルトから土に変わった。道なき道をひたすら進む。そしてまた四十分が経過したころ、ゾウ渋滞の原因がわかった。

 ヘビの親子が道を横断していたのだ。行き先を変更して大正解だ。こんな珍しいものに巡り会えるなんて。見慣れない光景に思わずうっとりする。

 ん? 待てよ。

 ヘビの列が長い。そして進んでいない。
 ヘビもヘビで渋滞していたのか。彼らはなぜ動けないのだろう。ヘビなりの事情があるのだろうか。
 右向け右。私は進路を変更した。そして夢中でヘビの横を歩く。

 そして四十分が経過し、やっとヘビ渋滞の原因がわかった。

 サルの親子が道を横断していたのだ。見慣れない光景に思わずうっとりする。私は何度もシャッターを切った。

 ん?
 
 サルの列が長い。そして進んでいない。まさかサルまで……。
 右向け右。私は進路を変更し、ひたすらサルの横を歩く。
 
 そして四十分が経過し、サル渋滞の原因がわかった。

 クジャクの群れが道を横断していたのだ。私は写真を撮ったあと、再び進路を変更し、ひたすらクジャクの横を歩いた。

 そこからおよそ3時間。私はリス・虎・マレーグマ・プレーリードック・タランチュラの群れに沿って歩いた。途中で降ってきたスコールも気にならなかった。

 そして次の渋滞に驚いた。

 何とホモ・サピエンスの群れが道を横断していたのである。もちろん進路を変更し、ひたすらホモ・サピエンスの横を歩く。

 しかし進んでも進んでも、ホモ・サピエンス渋滞の終わりに辿り着かない。

 なぜだ……。

 2時間が経過したころ、さすがに体力が限界に近づいた。もうこれ以上歩けない。日も暮れて来た。私は近くのホモ・サピエンスに並んでいる理由を聞いてみた。しかし言葉が通じない。彼はただ笑っている。

 全然進んでいないのに!
 こんな状況下でも笑ってられるのか!

 私はその笑顔に勇気をもらい、フラフラになりながらも、再びホモ・サピエンスの横を歩いた。そして日が暮れてきたころ、やっとホモ・サピエンス渋滞の先頭が見えた。そこには月に照らされた一軒の小屋があった。

 全ての渋滞の原因はここだったのか。

「何の小屋ですか?」

 私は並んでいるホモ・サピエンスに尋ねて回った。すると日本語のわかるホモ・サピエンスが寄ってきて答えた。

「ケツを治してくれる店だよ」

 私は、その場で横になった。目が覚めたら、来た道を引き返さないといけない。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み