第10話 学界きっての変人

文字数 4,476文字

 港を離れ、揃ってモールドリン博士の家に行くことになった3人。博士の家も郊外にあるので、このまま魔導無輪ですぐに着けるそうだ。ただ既に遅い時間なので、近くの店で適当に夕飯をとってから、シェリエの案内を頼りに向かうことにする。
 ユニフリーツの郊外は住宅がほとんどで、砂漠に面しているということもあり、夜はのどかな雰囲気だ。街灯で照らされた路地を、3人はゆったりと進んでいく。
「いいな、この辺り」
「わたしもそう思う。ユニフリーツは大都市なだけあって便利だけど、騒がしくもあるからね。この郊外の落ち着いた空気はとても好き」
 デルタのつぶやきに、シェリエが返す。それから、彼女は前方を指さして言った。
「着いたわ、あそこが博士の家」
 見えてきたのは、ごく普通の一軒家。他の家より比較的大きめではあるが、とても著名な博士の研究所のようには思えない。
「え、あれがそうなのか? オレもっとすげぇの想像してたな」
「あなたの想像がどんなだったかは知らないけれど、とりあえず今日は何もないみたいでよか――」
 すると突然、その家から「ボオォォン!」という爆音とともに大量の黒煙が巻き上がった。いきなりの出来事に、アギとデルタは思わず仰天する。
「えぇっ、なんか爆発したぞ!? 大丈夫なのか!?」
「はぁ…………前言撤回。まったく、夜は近所迷惑だからやめてよねってあれほど言ったのに……」
 シェリエは特に慌てる様子もなく、いつものことといった感じで大きくため息をついていた。事情はわからないが、アギとデルタはとりあえず彼女の後についていく。
 玄関前に着くと、彼女は鍵を取り出して扉を開けた。それと同時に、家の中から大量の煙があふれ出てくる。
「けほっけほっ、はかせー? シェリエです、ただいま戻りましたー」
「ああ、おかえりーシェリエ。今きれいにするから少し待っていてくれ」
 家の中から、男性の声が聞こえてきた。3人はそのまま玄関で待つことにする。煙がひどかったので、デルタが風を操作して外へとかき出していた。
「あら、ありがとう」
「お安い御用。それよりいったい何の煙だこれ」
「わたしも聞きたいくらいだわ。いつも何かの実験をしてはこうして爆発を起こしてる。ほんとに近所迷惑だから何とかしてほしいのだけど」
 するとそこへ、入って右側、地下へ続いていると思われる階段からある生物が上がってきた。現れた黄色いゲル状のそれは、標準よりもかなり小さいサイズに思える。
「スライムだ! なんで家の中に?」
「ああ、安心して。このコたちは無害だから」
「このコたち……?」
 見ると、カラフルなスライムたちがさらに何匹も階段を登ってきていた。それらは呆然と立ち尽くすアギとデルタに見向きもせず、左のドア下に付けられた小窓から中へ入っていく。
 それからしばらくして、そのドアを開けて1人の男性が出てきた。背はかなり高く、メガネをかけている。だが先の爆発のせいか、着ている白衣はすすまみれなうえ、髪もボサボサだ。
「ごめんシェリエ……って、もしかしてお友達かい? ちょっと待ってね、今お茶とお菓子を用意するよ。あっ、夕食は済ませたのかい?」
「ええさっき。そんなことより、早く2人をあげてもらえないかしら」
「ああごめんごめん。リビングはもう片付いたから、3人とも中でゆったりしていてくれ」
 そう言うと、男性はすぐさま中へと戻っていく。シェリエが備えられていたスリッパに履き替えたので、アギとデルタも挨拶をしてからそれに倣い、家にあがった。

 爆発後のわりには思いのほか綺麗にされた居間へ通された3人は、低い長机の周りに置かれたソファに分かれて腰を下ろす。アギとデルタが並んで座り、シェリエはその右側、1人用のソファに腰掛けてスライムを抱いていた。頭を撫でられながら、スライムは彼女の膝の上でおとなしくしている。
 その後、服を着替えたモールドリン博士が、お盆に紅茶とクッキーを乗せてやってきた。
「いやいや申し訳ない。今日のはうまくいくと思ったんだけどなぁ」
「あんな大爆発起こしておいて何を言っているんですか……」
 シェリエは呆れた顔をしながら、置かれたカップに手を伸ばす。アギとデルタも、軽く会釈をして紅茶とお菓子を頂いた。
 そして博士は別の部屋から椅子を1つ持って戻ってくると、3人のちょうど向かい側のあたりにそれを置いて腰掛ける。
「2人ともはじめまして。僕はモールドリン。長年、魔成生物研究をやっていて、一応この北エヌスではそれなりに有名でもある。……って、もしかしてそれくらいはシェリエから聞いてたかな?」
「はじめまして、モールドリン博士。おれはデルタと言います。それでこっちが――」
「アギです! デルタと一緒に世界樹目指して旅してます」
 3人は博士にこれまでのいきさつについて説明した。それを聞きながら、彼は終始にこやかに微笑んでいる。
「そうかそうか、それは2人にはお世話になったね。シェリエもなかなか良い経験になったんじゃないかい?」
「そうね。ひとりじゃまず見れないものをいろいろとお目にかかれたわ。それで博士、リヴァイアサンのレポートなのだけど……」
「そうだったそうだった。どれどれ」
 博士はシェリエから何枚かの資料を受け取ると、そのままそれを読み漁り始めた。
「………………なるほど、やはり曖昧なものが多いが、紫系の可能性は充分ありそうだ」
「シェリエ、リヴァイアサンってなんだ?」
 アギが、おそらくデルタも疑問に思っているであろうことを口にする。
「あら、聞いたことない? 港町に住むあなたたちなら名前くらい知っていてもおかしくないと思ったのだけど」
「リヴァイアサンっていうのは、海を泳ぐ超巨大な魔成生物のことだよ。毎日海に出る漁師ですら、生涯に一度お目にかかれれば幸運というくらいレアなやつでね、彼女にはその目撃情報を集めてきてもらったんだ」
 なんでも、リヴァイアサンというモンスターは南エヌス地方、グレート地方、そしてヒノクニと呼ばれる小さな島国の3か所でしか目撃例がないらしく、かつそれぞれの地で証言が微妙に異なるのだそうだ。
「最初に発見されたグレート地方では『エメラルドのような色』という記述があるんだけど、なぜか南エヌスではそのような表現をする人がほとんどいないんだ。さらに、ヒノクニに至っては『オレンジだった』なんていう話すら挙がってる」
 この違いがそれぞれの個体差によるものなのか、それとも1匹のリヴァイアサンが広い海を回遊するうちに色を変えているだけなのか、情報が少なすぎる故に未だ判明していないのだという。
「へぇー、そんなやつがいんのか。オレも一度は見てみたいなぁ」
「リヴァイアサン自体が謎の多いモンスターだから、まず狙って見られるようなものではないわね」
 シェリエがそう言うと、スライムが彼女の腕を離れて床へ飛び降り、そのままピョンピョンと跳ねてどこかへ行ってしまった。
「えーと……さっきからずっと気になっていたんですが、なぜ家の中にスライムが?」
「あーそういえば説明してなかったね。実はあのコたちは僕が魔術で作ったものなんだよ」
「えぇっ、モンスターって作れるのか!?」
 アギとデルタは揃って驚愕の声を上げる。言うまでもなく、モンスターを人工的に作るなどという話はこれまでに聞いたことがない。
「この人、モンスターが好きすぎてついに自分で生み出しちゃったのよ。野生のものに比べてかなり小型だったでしょ? あれは博士に作れるのがあのサイズまでだからというわけ」
 聞けば、モンスターの体は理論上、魔術によって一から構築することが可能だという。全身がマナで構成されているため、該当する属性マナを本物と同じ結合によって組み合わせていけば、かなり近い形で再現できるのだとか。
 にわかに信じがたい話ではあるが、実物を見せられた以上、事実として認識せざるを得ない。
「いくら魔術師でもやっぱり驚くよね。シェリエですら初めて来た日は大騒ぎだったくらいだし」
「ちょっと博士、その話はもういいでしょ」
「ははは、ごめんごめん」
 シェリエが先日、『博士はかなり変人だ』というようなことを言っていたが、今日その意味を2人もよく理解できた気がした。

 その後、お互いに話を聞きすっかり博士とも打ち解けたアギとデルタは、厚意に預かり今夜はこの家に泊まっていくことにする。入浴を終えると、寝場所をかけて博士と部屋の譲り合いになったが、最終的に彼の部屋は2人で寝るには狭いという理由で博士が先に折れ、アギとデルタは居間を使わせてもらうことにした。
 その様子を見届け、シェリエが自室に戻ろうとしていたところ、博士が2人に問いかける。
「アギくんとデルタくんは、明日またすぐに世界樹へ向けて出発するのかい?」
「まあ、そうなりますかね」
 首肯するアギとデルタ。それを聞いて、博士は今度はシェリエの方を向いて言った。
「シェリエ、もちろんキミも行くんだろ?」
「えっ! なんでわたしが?」
「おや、違ったかい? いい機会だし、てっきりキミもついていくものかと」
 言われて一瞬、目を丸くしたシェリエだったが、それから口元に手を当てて何やら考え事をし始める。すると博士はさらに促すように付け加えた。
「世界樹は竜たちの巣窟なんだから、登頂すればキミの欲する情報もきっと手に入る。僕と違って挑めるだけの強さがあるんだし、このチャンスを逃すのはもったいないよ」
「でも、わたしは博士の助手です。あまりここを離れてばかりでは……」
「いやいや、むしろそれでいいんだよ。冒険なんて若いうちにしかできないからね。それに世界樹は僕も知らないことだらけだから、ついでにレポートを提出してほしいな、なんて」
 シェリエはまた複雑な表情で考え始める。そうしてしばらく悩んだ後、彼女は再び顔を上げた。
「そう、ね……。2人とも、その……もしよければわたしも一緒に行ってもいいかしら?」
 シェリエがぎこちなくアギとデルタに問う。2人は顔を見合わせると、途端に吹き出すようにして言った。
「いいに決まってるじゃん! 当たり前だろ。オレたちだけで登り切れるかわからないんだし、シェリエがいてくれれば百人力だぜ!」
 デルタもアギの言葉にうなずいている。それを見て、シェリエは少し恥ずかしそうな顔をしながら、2人に手を差し出した。
「ありがとう。じゃあ改めて、その……よろしくお願いします。結局、2人とはずっと一緒に行動することになったわね」
 アギとデルタがそれぞれ彼女と握手を交わす。これまでたまたま同行を続けてきただけの3人だったが、今日からは正式に同じ目標のもとで行動することになった。

 ユニフリーツ北西の都市部。
 この辺りは真夜中でも外を出歩く人が多く、通りは常に明るく照らされていた。一方で、そこから外れた路地裏は静かな闇に包みこまれている。
 そんな場所で、闇と同じ暗さのローブを纏った少女が1人、地面にうずくまって泣いていた。
「お兄ちゃん、どうして……? クロアこんなの寂しいよ……」
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