一話目 たぬきの日照り乞い(日和坊の話)

文字数 2,491文字



 まだ肌寒さを感じる春先の、薄ぼんやりとした雨の日。
 出掛ける気力も無く、執筆にもあまり身が入らず、よんどころなく机上の整理などしていると、ふと、一冊のノートに目が留まった。読みといた古書の内容を後で検索できるようにと、自分で作った覚書(おぼえがき)だ。一箇所(いっかしょ)、何か付箋(ふせん)のようなものが挟まっている。しおり代わりにでもしていたものだろうか。
 その箇所曰く。
『この話には、「自らを(たぬき)だと称する山の民が、客人に求められて語った物語の一部、その聞き書きである」、との注釈がついている。何故かところどころ江戸弁が混じっているところをみると、この「狸」は、江戸もとで働いていたことでもあるのかもしれない。
 つたない筆だが、挿絵(さしえ)が添えられていた。
 僧形(そうぎょう)の青年の姿をした彼のふところからは、確かに、ちいさな子だぬきが顔を出していた。』
 そういえば、そんな挿絵を見たような、見なかったような。そのお話の入った古書、手元にあるならばもう一度見たい。
 俄然やる気になった私は、散らかりすぎて小宇宙と化した書庫の中へと、さらなる探索の旅に出たのであった。



日和坊の話 

 俺か?
 俺は、この山に住んでる狸だよ。まあ、一応、一族の長老みたいなもんかなあ。化けられるのも、もう俺だけだしな。
 なんだ? 『日和坊(ひよりぼう)』のこと、聞きたいってかい?
 何年か前、この辺に出たやつな。
 ああ、あれ、俺だよ。本物は、常陸(ひたち)の国あたりにいるらしいぜ。
 ……俺の化けたやつの話でいいのか? 物好きだなあ。
 
 あれは、里に長雨が続いた時のことだ。
 人間も動物もなんたって(ひでり)が辛いが、長雨だってけっこう辛いもんさ。田畑がまずいことになるし、あの時は、山も大概まずかったな。地滑りやなんか、危ないところがかなりあった。
 まあでも、俺は狸だしな。日々ただ生きて、別にどうするわけでもなかった。
 だが、ある日、一族の一番ちいせえのが、俺んとこにやって来たのさ。
 てこてこつたない足で歩いてきて、俺のこと見上げて、
「龍のおじちゃん、何とかならないの?」
 ……なんて、可愛い声で言いやがるんだ。目なんかきらっきらさせちゃってよ。
 ああ、『龍のおじちゃん』ってのは……俺は一度、龍神様に化けて、雨乞いをしたことがあるからさ。まだ若いころだ。
 麓にさ、あるだろ、龍神様のお宮。あそこに掛かってる額の、凛々しい龍のお姿を拝借してな。高く高く空へ上って、雲を呼んだんだ。
 雨は、降ったよ。まあ、頃合いだったんだろ。俺が行かなくったって、どのみち降ったのさ。それでも俺は、ちょっとした伝説になっちまった。
 で、「なんとかならないの?」だよ。
 いやでもな、俺はさあ、もちろん神様じゃあないんだ。ただの年経た狸だよ。長雨なんてどうすりゃいいってんだ。
 何にも出来ねえよ。何したらいいのかもわからん。
 だけど、毎日来るんだよなあ。小っせえふかふかの毛玉が。「おじちゃん、また雨だねえ」なんて言いながらさ。
 そのうち一族のやつらもその気になりやがって、「形だけでもなにか……」なんて言い出し始めた。
 こうなったらもう仕方ねえってんで、一肌脱ぐことにしたんだけどよ。
 だからってなあ。しがない古だぬきのこの俺さ。今は何ができるって、婀娜(あだ)な年増や綺麗な兄ちゃんに化けて、ぼんやり生きてる人間どもをだまくらかしたり、からかったりするくれえで関の山だ。
 俺はさんざ考えて考えて……ある朝ふと思いついた。
 人間がよく(のき)にぶら下げてるアレ。てるてる坊主とか言ったかな? アレの元になった、神様だか妖怪様だかがいたじゃねえか、ってな。
 『日和坊』。「(はれ)(つかさど)る」ってあのお方に化けてみれば、こんな俺でも、ちっとはご利益を呼べるかもしれねえぜ? ……なんて考えたのよ。
 そんなわけで、雨の合間、ほんの少し晴れ間が出るかって時を見計らい、俺はせいぜい頑張って、でっかい日和坊の姿に化けてみることにしたのさ。
 いやあ、あれは面白かったな!
 山の上のさ、里からも見えるところの、南向きの岩肌の前にな、でっけえ襖絵(ふすまえ)みたいに張り付いて立ってたんだが、ちっとだけ顔を出したお天道さんが、ばかに丁度良く照らしてきてな。ぺかーっと全身光っちまって。
 何だか知らんが、山のみんながわらわら出てきて拝むんだよな。ありがたいありがたいって。狸連中なんか、俺が化けてるんだってわかってるはずなのに、涙流さんばかりに有難がって伏し拝みやがってよ……まったく、気のいい奴らだぜ。
 あとで聞いた話だと、里では人間たちも、手え合わせるやら酒供えるやら踊るやらで、大騒ぎしてたらしいな。
 そんでまあ。
 偶然なんだろうけど、そのあと、長雨も収まって、いい陽気になったんだよな。
 まあ、あれだ……良かったよ。本当にな。

 で、それから、ちいせえのは俺んとこへちょくちょくやって来るようになってなあ。
「ねえ龍のおじちゃん、また日和坊に化けて?」
 ……なんて、首をかしげて抜かしやがる。丸っこい耳をぴこぴこさせながらよ。
 でかい姿では目立つんで、普通の人間くらいの大きさで化けてやるんだけどさ。そうすっと、図々しくふところに潜り込んだりして来てな。
 いやあ、まあ……
 まんざらでも、ねえよなあ。こういうのも、さ。






 なるほど、満更でもなさそうだ。お終いの頁に描かれた挿絵を見て、私は思わず笑んでしまった。そして、この子だぬきの愛らしいこと。「龍のおじちゃん」を動かしただけのことはあるな。
 私は、午前中一杯をかけて探し出した本を隅々までゆっくりと味わい尽くし、結局片付かなかった机の上に、またそっと置いた。
 申し訳ないが、この古書自体には、あまり学術的な価値は無いだろうと思う。近代以降に、たぶん自費で作られた、名も無き郷土史家の聞き書き創作集のようなものだからだ。そう、本当に聞き書きかどうかも定かではない。
 それでもこうして何度も読み返し、手元で愛で続けたいと思わせるだけのものを、この本は持っている。
 学問の枠を外れた、物語の力。それを信じ、掬い上げ、残していくこともまた、私の仕事なのかもしれない。


   一話目 たぬきの日照り乞い・終
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