私だけの速さで

文字数 1,972文字

「光莉は音大目指すって。」
「厳しいもんねー、あそこの親。音大かー。それでも、進路決まってるなら良いよねー。」
「そんなもんかな。じゃー、咲良は光莉みたいにコンクール1位取るのが当たり前って言
 われながらピアノ弾けるの?」
「絶対に無理。」
「じゃあ、進路どうするのよ。」
「決まってたら苦労しないでしょ。」
「そうだよねー…。」
 いつものファーストフード店。いつものフライドポテトとナゲット。
 いつもの窓際の席で咲良と話す。いつもと同じ、いつもの日常。
 人が出入りする度に聞こえる電子音を耳にしながら、明日も同じように咲良と話をして
過ごすのだろう。
 今日から光莉は一緒じゃないけれど。


 追試のテスト用紙が返却される。私たちの机に近づいてくる咲良が、天井を見上げて変
な声を上げた。
「あ゛ー、現文補習確定だー…。あんたは?」
「私は2つとも合格ー。」
「やってらんねー!光莉は追試無しだったもんね。すげー。」
「赤点取って追試とか言ったら、親からなんて言われてたか。」
「そっかー、そうだよねー。今日は終業式なんだから、この後くらい時間無いの?」
「ごめん…、今日、音大に行ってる先輩が来てくれることになっててさ…。」
「そうなんだ。頑張ってね!」
「ごめんね…。」
 咲良の声は普段と変わらない調子だったが、光莉が顔を曇らせて真剣に落ち込みそうに
なっていたので、私は光莉の肩を叩きながら、いつもよりも少しだけトーンを上げて
「いいってことよー!」
と声を掛けた。
 それを聞いた光莉は片手を顔の前に掲げ、両目を瞑って申し訳なさそうに小さく頭を下
げてから、靴箱の方を向いて小走りで駆けていった。
 小さくなっていく彼女の背筋がピンと伸びているような気がして、なんだか光莉が前よ
りも格好良く見えた。


「私たち、このままで良いのかな。」
「このままって?」
 咲良は、ポテトを口に咥えてスマホの画面を眺めながら答えた。
「このまま、適当に学校行って、適当にテスト受けて、適当にダベって、適当に遊んで。
 最初は光莉みたいに、高1で進路決まって、そのために青春使うのもったいねー、って、
 そう思ってたけど、なんだろ、光莉がすごくまぶしく見えて、自分の方が、人生無駄に
 してる気がしてさー。」
 私は、さっき見送った光莉の姿を思い出していた。
「私だって頑張ってるんだけどさ。学校にもちゃんと行って、勉強だって家でもちゃんと
 してるし、…二教科も赤点取っちゃったけど。でも、ちゃんとしてるつもりなんだけど、
 なんだか、光莉に差を付けられちゃった感じ。」
「でも、光莉は音大不合格だったら、将来はどうなるか分かんないじゃん。」
「光莉が音大ダメだったとして、それは失敗ってことなのかな?」
「そんなことはないでしょ。光莉、頑張ってるじゃん。頑張ってるのは絶対無駄じゃないっ
 て。」
「じゃー私たちは?咲良、今、何頑張ってる?」
「んー、何を頑張ってるかな。えーっと、頑張って生きてる!」
「私だって頑張って生きてるけどさ、なんか、光莉とは違う気がするんだよねー。」
「それはそうかもしれないけどさー…。」
 そう言いながら、咲良はもう1本、ポテトを口に運ぶ。
 しばらく、お互い何も言わずに、1本ずつ、ゆっくりとポテトを食べ続けた。

 私だって、もし光莉が音大に落ちても、目標に向かって頑張った光莉は尊いと思う。だ
から、もし音大に落ちても、光莉の3年間は、きっと無駄じゃない。
 じゃあ、私は?
 私、何も頑張ってないのかな。夢がないと、目標がないと、頑張ってないってことなの?
 レモンティーのカップに刺さったストローを咥えて、店の外に見える駅前のロータリー
を歩いている人達を眺める。
 足早に歩いていく男の人。友達4人で笑いながら歩いていく大学生っぽい女性。しかめっ
面で腕時計を何度も見ている男性。手に持ったコンパクトの鏡を見ながら髪を整えている
女子高生。
 みんな、夢があるのかな。この中にはそうじゃない人もいて、それでも、みんな頑張っ
て生きている。
 私も、まだ夢はないけれど、頑張っていないわけじゃない。
 他人に誇れるようなものじゃないかもしれないけど、精一杯頑張って、楽しんで生きて
いるから。人それぞれ歩く速度は違うのだから。私も、咲良も、光莉も、みんなそれぞれ
の速度でしか進めないのだから。

 Lサイズのポテトがほとんど無くなったころ、何気なく、私は
「分かんないねー、人生。」
と呟いた。
 咲良は一瞬だけ真顔になった後、ポテトが入っている口を手で抑えて隠しながら
「何それ?お婆ちゃんとかOLのセリフだよ、それ。」
「それなー!」
と、そう言って二人で笑い合った。
 こうやって咲良と二人でバカ話している時間だって大切だ。
 光莉にも音楽で成功して欲しい。そして、またいつか、光莉と咲良と3人で楽しく話せ
る日が来れば良いと、心から思った。

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