第1話

文字数 1,473文字

「旦那と別れたら、俺と付き合わないか?」
「え?」
 え? って想像できたじゃん。何言ってんの、私。
「ちゃんと付き合いたいんだ」
 力みなぎる真治の視線。いい男はいい男だ。やっぱり好み。
「あ、うん。私も・・・でも、ちょっと考えさせて・・・」
「え?」
 出鼻をくじかれた男。
 急速冷凍のように心が冷えていくのが目線でわかる。わかりやすすぎる。いい人なのだろう、きっと。
 なんかだましてるような気になる。だましてないんだけど・・・でも、やっぱ利用してる?
「そうだよな。まだ正式に離婚してないもんな」
「う、うん。ごめんね、なんか・・・だらしないみたいな・・・」
「そんなことないよ。四年も結婚してたんだもん。そりゃ、簡単には・・・」
 結婚生活の四年が「も」なのか、どうなのか、よくわからない。
 でも、二十六で結婚したから、二十代の四年はでかい気はする。
「ごめん」
「謝んなって」
 頭をざっくりと撫でられるとうっとりとした気持ちになる。猫になった気分。
 今夜はこの気持ちを抱きしめて寝ようと思った。

 夫の浮気相手が会いに来たのは一年前だった。
 尊さんと別れてください。
 そう言って頭を下げた彼女に年齢を聞くと、二歳年下の二十八だった。
 大学生ぐらいに見えたので、ちょっとびっくりした。「別れてください」よりびっくりした。
 旦那に彼女のことを伝えると、驚くほどうろたえた。
 ほんとかどうかを確認する必要はなかった。
 半年ほどごたごたして別居して、半年が経つ。
 一週間後に、私は三十一になる。
 二十代は順調だった。その反動だろうか。三十代はさんざんなことになりそうな予感がする。

「三十一の誕生日おめでとう」
「あ、ああ、そうだった」
 忘れてたふりをする。久々の旦那の声は張りがある。幸せなのだろうか?
「真鈴ちゃん、元気?」
 大学生みたいな真鈴ちゃん。おっぱいぷりぷりの真鈴ちゃん。
「別れた」
「え?」
「なんか、もう耐えられないって」
 自分たちが離婚してないことだろうか。
「離婚してないから?」
「それだけじゃないだろ」
「区役所いこっか」
「いいよ、今更あせらなくて」
「でも」
「誰かの旦那ってことに燃えてたんじゃねえの、若いし」
「そんな・・・」
 だろうな。そーゆー女、いる。それに家庭壊された私って・・・私たちって・・・
「おまえは、どうなの? 一人?」
「当り前じゃん」
 嘘ではない。職場の先輩だった真治とはまだ深い仲にはなってない。一線は残してある。
 旦那の浮気を知り、前からいいなと思ってた先輩に相談した。
 下心がなかった・・・はずはない。浮気した旦那への対抗心もあった。私も卑怯だ。
「そっか。どうする? これから」
「これからって?」
「だから、離婚」
「そっか。そうだよね、離婚・・・」
 二人して黙り込む。
 大喧嘩して離れても、区役所に向かう決断はお互い下せない。
 最初は周囲の目が気になるとか、仕事がやりにくくなるとか職場の評価がとか、いろいろ考えたが、いまはそういったことはどうでもいい。
 一人になる、あれだけ好きだった人、この人だ! と思った人と別れることがいいことなのか判断できない。
 ほんとに後悔しないだろうか。これから新しい人(真治?)とこれ以上の関係を築けるか。
 このままずっと一人になってしまわないか・・・
「はっきりしないな」
「そっちだって」
「だな」
 また黙り込む。
 好きとか嫌いを通り越して、家族になってたんだなといまになってわかる。
 振り返れば尊がいる。そこに戻っていいのか、悪いのか、まだまだ判断がつきそうになくて、私は「明日の会議早いから」と電話を切った。
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