第1話

文字数 2,009文字

「念力が使えるけど、その間ペンギンの姿になる?」

 しーっ、と僕は慌てて人差し指を口元に当てた。周りに、聞いている人はいないようだ。

 僕の言葉を復唱した岩下さんは、眉間にしわを寄せているものの、納得している風でもあった。

「僕が言いたいのは、つまりその……念力が使えるところを見せたいから、一緒に水族館に行きませんか、ってことで……」

「どうしてよ。今ここで見せてくれたらいいじゃない」

「ペンギンになっちゃうじゃないですか」

「見せてよ、ペンギンになるところ」

 僕は頭をかいた。やっぱり岩下さんを誘うことは、一筋縄ではいかない。

「ペンギンのそばでなら、ペンギンになっても怪しまれないじゃないですか。木を隠すなら森の中、って言葉もあるし」

「ペンギンを隠すなら水族館、ってことか」

「それです、それ」

 僕はただ、職場の同期である岩下さんをデートに誘いたいだけなのだけど、何せ岩下さんは変わり者というか曲者というか、普通に誘っても、乗ってはくれないのだ。だから僕は、嘘をつくことにした。考えて考えて、考え抜いた答えが、これだ。

「それで、いつ行く?」

 岩下さんがスケジュール帳を開いた。

「行ってくれるんですか?」

「だって、見たいもん。鈴木くんがペンギンになるところ」

「あの、僕はあくまで念力を見せたくてですね。その過程で、ペンギンになるんです」

 嘘は忠実に、つかなければいけない。なんて矛盾した言葉だ。

「来週の土曜日とか、どう?」

「大丈夫です!」

「じゃ、それで」

 岩下さんは手帳を閉じると、何事もなかったかのように残りのサンドイッチを食べ進めた。



 岩下さんと、水族館にやってきた。とりあえずペンギンショーまでは楽しむとする。その後は、どうしよう。

「ペンギンショーまで、座ってていい?」

「え……」

「疲れちゃうもん」

 やっぱり、一筋縄ではいかないな。

「僕、いろいろ調べてきたので、解説しますよ!」

「魚を? 食べる以外、興味ないんだよね」

 どうしよう。

「……たくさん魚を見ないと、発動しないんです、よね」

「そうなの? じゃあ、見てくれば?」

 泣きそうになる。

「あ、クラゲいるんだっけ?」

 僕は入場時にもらったパンフレットを広げる。「いますね」

「見に行こうか」

 クラゲは好きなんだな。岩下さんは、難しい。

 楽しそうにクラゲを見る岩下さんを見ながら、僕は考えていた。ペンギンショーをどう、やり過ごすか。僕には念力なんて使えないし、ペンギンになることなんてもっと不可能な話だ。「嘘でした」というのも気が引ける。まぁ、調子が悪かったと言い訳することが無難だろう。

「楽しみだね。ペンギンショー」岩下さんが呟いた。

「そ、そうですね」

「そういえばこの前ね、残業していたときに聞いたんだけど」

 クラゲの水槽のライトアップによって、岩下さんの顔が青白く光っている。きれいにも、不気味にも見える。

「部長が、来ているらしいよ。今日、ここに」

「へ……」我ながら情けない声だった。え! と驚くことも、へぇと興味を示すこともできない曖昧な声だ。

「奥さんと、子どもと。あのパワハラ男の家族って、どんな人なんだろうね」

 岩下さんの表現には、水槽に手を入れ、クラゲを掴み、口の中へと放り込みそうなほどの迫力があった。

「出くわさないと……いいですね」

「それともさ」岩下さんが僕を見る。「鈴木くんの念力で、殺しちゃえば? 家族の前で」

「へ……」

 再び、情けない声が出た。蚊の鳴くような声とは言うけれど、蚊のほうがまともな声を出すだろうと、思う。僕はじわりと、汗をかいた。

 

 そうこうしているうちに、ペンギンショーの時間がやってきた。僕は緊張を抑えるように、深呼吸をする。

 イルカショーとは違って、客席はない。館内を歩き回るのがこの水族館のペンギンショーだ。僕たちの前を、ペンギンたちが歩いて通過していく。

「ところでさ、念力って何? 何ができるの?」

「えっと……」考えながら視線を泳がせる。「あ」

 僕と同じように、視線を移動させた岩下さんも「あ」と言った。

 楽しそうに娘と話す、部長の姿だ。鼓動が早まる。

「やれ、鈴木。殺しちゃえ」岩下さんが楽しそうに言った。

 仮に念力が使えたとしても、僕は人を殺さない。

「け、結婚してください!」

「え?」

「え……」

 たぶん、僕が一番驚いている。さっきまで蚊の鳴くような声しか出なかったのに。周りにいる人たちが一斉に僕たちのほうを見た。ペンギンたちにも見られている気がする。

「パワハラがつらいなら、家にいればいい。僕が一生養うから! 頑張って出世する。だから僕と結婚してください!」

 僕は岩下さんに手を差し出す。

「……じゃあ、お願いします」

 岩下さんが僕の手を取った。その手は氷のように冷たかった。

「パワハラ上司には、ならないでよね。誰かに殺されちゃうかもしれないからさ」

 彼女はそう言って、微笑んだ。

 やっぱり岩下さんは、一筋縄ではいかないな。

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