第1話
文字数 1,903文字
「長男なんて、いいこと一つもない」
しかめっつらで家にやって来た甥っ子のトモキは温めたミルクの入ったカップを前にそう言ってため息をついた。
「そうなの?」
ケーキをのせた皿をトモキの前に置きながら話を促すと、トモキはボソボソと話しはじめる。トモキの話は私も知っている話だ。
トモキは私の弟の今年9歳になる息子で、トモキの下にも娘のユウカと息子のカズキとミズキがいる。
今日は日曜日、弟と義妹も仕事が休みでトモキがずっと行きたがっていた遊園地に出かける予定だった。私もついていくはずだったのだ。いつもお兄ちゃんをしてくれているトモキが父である弟に目一杯甘えられるように、トモキと弟二人でまわらせたいのだけど、義妹一人で三人を見ることになるから手伝ってくれと義妹から聞かされた時は二つ返事で協力を請け負った。
トモキから会う度に何度も楽しみだと聞かされて、毎日カレンダーにばつ印をつけてカウントダウンする写真まで送られてきていた。
しかし、その計画はあっという間に崩れてしまう。
前日の土曜日、カズキが熱を出したのだ。
「明日はどうするの?」
電話でその話を聞いた私の問いに弟は行かないことになったと言葉を続ける。
『トモキと俺だけで行こうかとトモキに言ったら我慢できるからみんなで行けるときに行こうって』
「それで引き下がったの?」
『あぁ、いいお兄ちゃんだなって……やっぱだめだったかな』
電話口のユキナリの言葉についため息が出る。
「トモキが明日、元気なかったら、うちに連れといで。あ、ユキナリは家の前で帰るのよ」
『わかった』
返事を確認して電話を切る。明日トモキが家に来ないことを祈りつつ、私は近くのケーキ屋の開店時間を調べはじめた。
結局、トモキは昼ご飯を食べてすぐにうちにやって来た。
「やっぱり、長男なんて一つもいいことないんだよ。ユキおばちゃん、わかるでしょ?」
大好きなチョコレートケーキに一口も手を付けずに出来事を話し終えると、トモキは冷めてしまっていた牛乳を一気に飲んだ。ヒゲを作った口を尖らして続ける。
「父ちゃんも母ちゃんも上に兄弟いるでしょ? 一番上の気持ち、わかってくれないんだよ」
「なるほどね」
「でも、ユキおばちゃんは一番上だろ」
「そうね、あなたと同じ四人兄弟の一番上」
そういうと、トモキの表情がすこし柔らかくなる。同じ立場を共有したかったのだろう。
「あなたの気持ちもすこしはわかるつもり。本当は遊園地行きたかったんでしょ」
トモキが首が取れるかと思うほど大きく何度も頷く。
「でも、弟が苦しんでる中、遊びに行きたいなんて言えないわよね」
「うん」
「お父さんに気にしなくていいよって言ってほしかったのよね」
私がそういうと、トモキの目から大粒の涙があふれた。
「ぼく、長男だから、おにいちゃんじゃないといけないから」
鼻をすすり、目を真っ赤にしながら何度もそう繰り返すトモキはまだ9歳だ。お兄ちゃん。長男。一番上。この言葉たちを、おそらくトモキは妹が産まれてから5年間、ずっと重く感じている。
私もそうだった。お姉ちゃん。長女。一番上。誇らしく感じると同時に、重荷だった。姉として、どうあればいいのいか、つねに考えていた。その結果か、いまだに弟妹から頼れるし、なにかあれば助けに行っていた。それが悪いことだともつらいことだとも思っていない。けれど小さい頃は急に投げ出したくなることがあったのは確かだった。
しゃくりあげて泣きつづけるトモキの背中をさすり、タオルを差し出す。過去の自分とトモキが重なっているように見えた。
私はそっとトモキの頭を撫でて笑う。あの時、私が欲しかった言葉は、両親から言われたかった言葉だ。私が言うのは違う。なら私ができるのは仲間としての言葉と行動だ。
「トモキ、今日はお休みの日よ」
「え?」
「私は一番上仲間よ? 私にはお兄ちゃんとしての行動なんて必要ないでしょ? 今日は私もお姉ちゃんお休み! もう弟たちの電話はとりません!」
びっくりした顔のトモキの目の前でスマートフォンの電源を落として見せてそして続ける。
「トモキ、今日は仲間同士、一番上をお休みしましょ? いっぱい話して、ゲームして、他にも何しようかしら? あ、ミルクのおかわりはいかが?」
「いる!」
急に笑顔になったトモキに安心しつつ、牛乳を温めに台所へ向かう。トモキもちょこちょこと後ろをついてきて「温めかた教えて、カズキにも作ってあげるんだ」と言ってからはっとした顔をする。
「お兄ちゃんお休みだった!」
私はその調子と笑って、牛乳を鍋に注ぐ。
ちいさな一番上仲間はうんと甘くしてねとハチミツを指差して笑っていた。
しかめっつらで家にやって来た甥っ子のトモキは温めたミルクの入ったカップを前にそう言ってため息をついた。
「そうなの?」
ケーキをのせた皿をトモキの前に置きながら話を促すと、トモキはボソボソと話しはじめる。トモキの話は私も知っている話だ。
トモキは私の弟の今年9歳になる息子で、トモキの下にも娘のユウカと息子のカズキとミズキがいる。
今日は日曜日、弟と義妹も仕事が休みでトモキがずっと行きたがっていた遊園地に出かける予定だった。私もついていくはずだったのだ。いつもお兄ちゃんをしてくれているトモキが父である弟に目一杯甘えられるように、トモキと弟二人でまわらせたいのだけど、義妹一人で三人を見ることになるから手伝ってくれと義妹から聞かされた時は二つ返事で協力を請け負った。
トモキから会う度に何度も楽しみだと聞かされて、毎日カレンダーにばつ印をつけてカウントダウンする写真まで送られてきていた。
しかし、その計画はあっという間に崩れてしまう。
前日の土曜日、カズキが熱を出したのだ。
「明日はどうするの?」
電話でその話を聞いた私の問いに弟は行かないことになったと言葉を続ける。
『トモキと俺だけで行こうかとトモキに言ったら我慢できるからみんなで行けるときに行こうって』
「それで引き下がったの?」
『あぁ、いいお兄ちゃんだなって……やっぱだめだったかな』
電話口のユキナリの言葉についため息が出る。
「トモキが明日、元気なかったら、うちに連れといで。あ、ユキナリは家の前で帰るのよ」
『わかった』
返事を確認して電話を切る。明日トモキが家に来ないことを祈りつつ、私は近くのケーキ屋の開店時間を調べはじめた。
結局、トモキは昼ご飯を食べてすぐにうちにやって来た。
「やっぱり、長男なんて一つもいいことないんだよ。ユキおばちゃん、わかるでしょ?」
大好きなチョコレートケーキに一口も手を付けずに出来事を話し終えると、トモキは冷めてしまっていた牛乳を一気に飲んだ。ヒゲを作った口を尖らして続ける。
「父ちゃんも母ちゃんも上に兄弟いるでしょ? 一番上の気持ち、わかってくれないんだよ」
「なるほどね」
「でも、ユキおばちゃんは一番上だろ」
「そうね、あなたと同じ四人兄弟の一番上」
そういうと、トモキの表情がすこし柔らかくなる。同じ立場を共有したかったのだろう。
「あなたの気持ちもすこしはわかるつもり。本当は遊園地行きたかったんでしょ」
トモキが首が取れるかと思うほど大きく何度も頷く。
「でも、弟が苦しんでる中、遊びに行きたいなんて言えないわよね」
「うん」
「お父さんに気にしなくていいよって言ってほしかったのよね」
私がそういうと、トモキの目から大粒の涙があふれた。
「ぼく、長男だから、おにいちゃんじゃないといけないから」
鼻をすすり、目を真っ赤にしながら何度もそう繰り返すトモキはまだ9歳だ。お兄ちゃん。長男。一番上。この言葉たちを、おそらくトモキは妹が産まれてから5年間、ずっと重く感じている。
私もそうだった。お姉ちゃん。長女。一番上。誇らしく感じると同時に、重荷だった。姉として、どうあればいいのいか、つねに考えていた。その結果か、いまだに弟妹から頼れるし、なにかあれば助けに行っていた。それが悪いことだともつらいことだとも思っていない。けれど小さい頃は急に投げ出したくなることがあったのは確かだった。
しゃくりあげて泣きつづけるトモキの背中をさすり、タオルを差し出す。過去の自分とトモキが重なっているように見えた。
私はそっとトモキの頭を撫でて笑う。あの時、私が欲しかった言葉は、両親から言われたかった言葉だ。私が言うのは違う。なら私ができるのは仲間としての言葉と行動だ。
「トモキ、今日はお休みの日よ」
「え?」
「私は一番上仲間よ? 私にはお兄ちゃんとしての行動なんて必要ないでしょ? 今日は私もお姉ちゃんお休み! もう弟たちの電話はとりません!」
びっくりした顔のトモキの目の前でスマートフォンの電源を落として見せてそして続ける。
「トモキ、今日は仲間同士、一番上をお休みしましょ? いっぱい話して、ゲームして、他にも何しようかしら? あ、ミルクのおかわりはいかが?」
「いる!」
急に笑顔になったトモキに安心しつつ、牛乳を温めに台所へ向かう。トモキもちょこちょこと後ろをついてきて「温めかた教えて、カズキにも作ってあげるんだ」と言ってからはっとした顔をする。
「お兄ちゃんお休みだった!」
私はその調子と笑って、牛乳を鍋に注ぐ。
ちいさな一番上仲間はうんと甘くしてねとハチミツを指差して笑っていた。