街の灯-暗殺者ヘイラン外伝-

文字数 2,298文字

 この町で一番高いビルの最上階。深紅の絨毯が敷かれた部屋の真ん中に、マホガニーの大きなテーブルが置かれている。天板の側面には桃の花の彫刻があしらわれ、表面には勇壮な龍の絵が螺鈿の装飾。そして天板の上には彩り豊かな中華料理の大皿がところ狭しと並べられている。
 部屋の主は革張りの椅子に座り、向かいの壁の窓から見える夕暮れの町を眺めながら、一人で夕食をとっていた。
 縦巻きにした栗毛色の髪と、ビー玉のようなつぶらな瞳。可愛らしい東洋人形のような姿を見ただけでは、彼女がスー商会の最高取締役だとは見当がつかない。しかし彼女こそが、欧州全土の華僑を取り仕切るタオ・スーであった。
 腕利きの料理人が作った皿の一枚一枚ににひと通り箸をつけると、彼女はため息をついて箸を置いた。まだ空腹は満たされず、どの皿にも料理が半分以上残っているが、なんだか食べる気がしない。
 コンコンと部屋の扉を誰かがノックした。音色でわかる。この叩き方はハオランだ。
「どうぞ。入るがいいネ」
 重い扉を開けて、白いシャツに黒いスーツとネクタイ姿の男が入ってきた。黒髪をオールバックにして、青白い顔に黒いサングラスをかけている。
「おお、パンダか。何のようネ」
「パンダではございません。これは仕事の正装です」
 ハオルンは表情を変えず、両手でスーツの胸元をピンと引いた。彼はタオ・スーの執事兼ボディガードである。
「郵便物をお届けにあがりました。こちらが商会関係のものです」
 白い封筒の分厚い束をどさりとテーブルに置いた。束の厚さは五センチ余りある。
「中身はすべて札束あるネ」
「すべて本日中に決済していただく書類です」
 ハオルンは慇懃に頭を下げた。
「わかってるネ。冗談に決まってるネ」
 タオ・スーはうんざりした顔で封筒を見つめた。
「そしてこちらが、商会関係外のものです。どちらとも言い難いものもありますが」
 ハオルンは四通の薄い封筒を、先ほどの商会宛の分厚い束の隣に置いた。
「それでは私は失礼します。夕食がお済になりましたら、お呼びつけください」
 深く頭を下げると、足音を立てずにハオランは部屋を出ていった。バタンと扉が閉じ、部屋に再び静寂が訪れる。タオ・スーは商会宛の分厚い封筒の束を手に取ると、テーブルの奥にポイと投げた。
 テーブルの小皿を横に押しのけて、四通の薄い封筒を目の前に置く。商会関連の事務的な封筒とは異なり、色や大きさは各々バラバラだ。
 一番上の白い封筒は金色に縁どられ、封筒の四隅には花柄の箔押しがされていた。手に取ると、微かな花の香りがする。裏返すとLの装飾文字の封蝋がされていた。
 ルーティからネ。封を開けると、中には押し花をあしらった季節のグリーティング・カードが入っていた。
 国の王子であり、ルーティの夫でもあったローランが不慮の死を遂げてから数年。反ローラン派との跡目争いの末に、ルーティは女王として国を治めるようになった。あの大人しい娘が逞しくなったものだネと、ルーティの控えめな笑顔を思い出す。
 次の封筒を手に取った。黒い封筒に深紅の薔薇が描かれている。裏返すと繊細な筆跡でエリザベートの署名があった。
 ははん、ドラキュラ城からあるネ。兄のアルカードが亡くなってから何年経つだろうか。そういえばローランもアルカードも突然の不審死だった。国や城を女手一人で切り盛りするのは大変だろうネと、タオ・スーは便箋に目をやった。早咲きの薔薇がもうすぐ咲くので見にきてほしいと書かれていたが、タオ・スーは棘のあるけばけばしい薔薇は好きではなかった。
 次の封筒は幾何学模様に縁取られ、宛名が癖の強い文字で書かれていた。送り主はメフィストだった。
『昨年は大変お世話になりましたな。七夕祭りでは商売の本道をご指導いただき、吾輩は感謝しております。春になるとまた各地でお祭りが開かれますな。世間の人々に喜んでいただけるよう精進しますので、何卒ご贔屓に』
 性根の悪い奴ではないけれど、小狡いところがあるんだよネ、この男は。タオ・スーは去年の七夕祭りでの騒動を思い出した。金魚すくいの露店でインチキをしている彼を警備のヘイランが見咎め手、タオ・スーに突き出したのだ。
 心を入れ替えて商売に励めばいいネと、タオ・スーは封筒を指でパチンと叩いた。
 最後の一通は真っ白な封筒だった。中には白いカードが入っており、黒いインクで一行のみ記されていた。
『腕のいい刀鍛冶がいたら教えて頂戴。ヘイラン』
 相変わらず愛想のない娘だネ。タオ・スーは立ち上がって大きなテーブルを回り込み、町を見下ろせる窓際に歩み寄った。
 確か隣町に評判の刀工がいたネ。大きな傘を振り回して歩いている若い娘が。
 日が暮れて真っ暗になった窓の向こうに目を向ける。眼下の町は光の粒で輝いていた。あの光の一つ一つの下に人がいて、家族で食卓を囲んだり、友人と談笑しているのだろう。それはこの町で最も高い建物に住み、最も金持ちであるタオ・スーが、いまだに手にできていないものだった。
 金と権力を追い求め、裏切りと騙し合いばかりの世の中で、ヘイラン、あたしはあんたの真っ直ぐな気持ちが好きあるヨ。
 タオ・スーの目に映る街の灯がじわりと滲んでぼやけた。
 あたしはスー商会取締役のタオ・スーさ。欲しいものはきっと手に入れるあるヨ。
 ヘイランからのカードを上着のポケットにしまうと、タオ・スーはパンパンと手を叩き、振り向いて扉に向かって声をかけた。
「ハオルン、隣町の刀工の娘のことを調べておくれ。それからデザートに杏仁豆腐を持ってくるネ、もちろん大盛あるヨ!」
 タオ・スーの一日はまだ終わらない。

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