花吐き爺さん

文字数 3,072文字

 今は昔、あるところに意地悪な男がいた。学問に秀でていたため殿様に重用され、男は政の任に就いた。男は瞬く間に出世した。しかし、地位が高くなるにつれ、男の評判は低くなっていった。人を使うことが不得手だったためである。
 役目が重くなればなるほど、下につく人間の数が増える。男は、彼らを自分の手足のように使った。自分の手足ならば大事に使うところだが、実際の手足ではないので扱いがぞんざいだった。
 男は、頭である自分の意のままにならない人間には容赦なかった。なまじか賢いため、傍目には嫌味と聞こえないような巧妙な言い回しと言葉選びとで責めたてる。言われた当人にのみ突き刺さる物言いだ。捕まえた鼠をすぐには殺さずに口の中でなぶる猫のように人の感情を弄び、悦に入る。
 たとえば、二人分の仕事を一人に押し付けておき、もう終わっただろうと何度も尋ねてくる。すぐには片付くはずのない仕事を割り振っておきながら、お前がぐずぐずしているせいで続く自分の仕事が出来ないと言う。それは正論だろうが、まだかまだかと何度も邪魔を入れられた方はたまったものではない。またある時など、指示を誤解した者を、確認を怠ったとして叱責した。確認も何も、「右へ行け」と言われたので右へ行ったら、男にとっての右、向かっての左側だったのだという具合で、言いがかりもいいところである。
 そんな訳だから、人のついてくるはずがない。男を頭といだかず、自分の頭で考え行動できる者はさっさと男のもとを立ち去った。後に残る者は無能な手足のみである。頭一つに手足は多数。百足ではあるまいし、統率が取れなくなり、男は自滅した。
 男はお役御免となった。自分の能力に問題があったのではない。自分の言う通りに動くことのできなかった無能な者たちに足をひっぱられたのだ。男は自分の非からは目を背け、ひたすらに他を責めた。
 お前の作る飯が悪いから出世街道を外れたのだと責められる妻はたまらない。頭の病にでもやられたかと医者を訪ねるも、「ねじ曲がった性の根は治せない」と匙を投げられた。悪い物にでも憑かれているのかもしれないと妻はすがる思いで祈祷師のもとに足を向けた。
「自分が口にした言葉がいかに嫌なものであるかが分かっていない。だから平気で口にすることができるのだ」と、観世音菩薩によく似た面持ちの祈祷師は言った。
「嫌味な言葉を形あるものとして目にすることが出来るようになれば、男も気をつけるようになるだろう」
 祈祷師は妻に、男に飲ませるようにと薬を渡した。
 翌朝、胃の辺りを手で押さえながら男は起きてきた。頭も重い。酒の飲みすぎである。お役御免になって以来、男は毎晩酒をあおるように飲むようになっていた。
 気分が悪いのは飲み過ぎだからだが、悪い酒だからだと結論づけ、男は妻にむかって「悪酔いしないよう、良い酒を買うように」と文句を言った。金があれば良い酒を用意するものをと妻が胸の内で毒づいていると、男の口から何かがぽんっと飛び出した。
 拳大ほどの蝦蟇蛙である。泥沼のような色の背中には疣が点在し、唾でてらてらと濡れ輝いている。ゲコっと気味の悪い声で鳴き、蛙は辺りを跳び回り始めた。
 その醜悪な姿に幼い子供は泣き出し、妻は気分が悪くなった。男は腰を抜かし、口から泡をふいている。
 悪い夢でも見ているのだろうか。夢にしては、口の中がねばっこく、沼のにおいが喉の奥から鼻へと抜けていく。夢ではない。寝ている間に何かが自分の身に起こったのだ。
 寝る前に口にしたものは――晩酌の酒だ。肴はない。肴を買う余裕はないのだ。酒にしたって安物だ。昨晩の酒はいつもにも増してまずい酒だった。いくら飲んでも酔えず、舌がしびれるような刺激があった。さては酒に何か盛られたか。
「お前、毒を盛ったな」と男は言っているつもりだったが、口から出てくるものは蝦蟇蛙である。妻を罵倒していても顔を真っ赤にしている男の口が発するものは蝦蟇ばかり。そのうちに狭い家の中は蝦蟇だらけになった。でっぷりとした体を揺らしながら歩き回り、手当り次第の食べ物を口にし始めた。しまいには水桶にちゃっぷんと飛び込み、やりたい放題である。
 嫌味を口にすると蝦蟇が出るようになったというのに、男は態度を改めようとはしなかった。意識せずとも嫌味な言い方が男の「通常」になってしまっていたのだ。蝦蟇が出てくることにも男は慣れてしまい、むしろ面白がるようになった。呆れた妻は幼い子供を連れて出ていってしまった。
 人の嫌がっている顔を見るのが好きな男は、すすんで嫌味や悪口を言うようになった。男は村人たちにむかってわざと悪態をついた。汚い言葉は出てこずとも、男の口からは蝦蟇が飛び出してくる。驚いた村人は次に嫌な顔をしてみせる。驚いたり、気味悪がったり、中には泣き出してしまう村人たちの様子を見て、芝居よりよほど面白いと男は喜んだ。
 村はたちまち蝦蟇で溢れかえった。虫を求めて蝦蟇は田や畑にもぐりこんだ。害虫を取ってくれると感謝したいところだったが、何しろ数が多い。田や畑は荒らされ、村人は途方に暮れてしまった。
 村人たちは菩薩似の祈祷師に相談した。
「ねじ曲がった性の根は真っ直ぐにはならないが、枝に美しい花を咲かせるぐらいは出来よう」
 祈祷師は憐れみの表情を浮かべ、男に飲ませるようにと薬を村人たちに授けた。
 朝、目を覚ました男は水桶の水を柄杓で掬って飲んだ。水桶の底には蝦蟇が住んでいる。初めのうちこそ気味悪かったが、もとはといえば自分の口から出て来た蝦蟇である。この頃では好きにさせていた。水桶に居を構えていたはずの蝦蟇の姿が今朝は見当たらない。虫でも取りに村の畑へとむかったのだろう。男は自らも朝げを用意した。
 日が高くなる頃を見計らい、男は村の畑へと向かった。畑仕事にいそしむ村人たちが一休みしている頃合いである。男が嫌味を言うたびに蝦蟇が飛び出し、村人は嫌な顔をする。畑を荒らす蝦蟇を必死に追い払う村人たちの滑稽な様子を見て楽しむことが男の日課になっていた。
「どうせ蝦蟇が荒らすというのに、精が出ることだ」
 言葉はそうだが、出る物は蝦蟇だ。胃の辺りがむずがゆくなってきた。外へ飛び出そうと蝦蟇が胃の壁を引っ掻くからだ。すっかり慣れてしまった感覚だ。生唾を何度か飲み込んでえづくと蝦蟇が飛び出る。
 しかし、この日、男の口から飛び出てきた物は蝦蟇ではなく、花だった。梅に桜、牡丹に芍薬、菖蒲に杜若、躑躅……色とりどりの花が男の口からこぼれ落ちた。
 驚いたのは村人よりも男の方だった。
 祈祷師にもらった薬を水桶にまぜておいた村人たちは、蝦蟇ではなく花が出るようになったと知り、手を打って喜んだ。美しい花を目にして微笑んでいる村人にむかって男はさらに悪態をついた。意地の悪い性格なので、人が楽しんでいるところを見ると腹が立つのである。
 男が悪態をつけばつくほど、出てくる物は美しい花ばかり。そのかぐわしい芳香に村人たちは頬を緩ませ、幸せそうな表情を浮かべている。
 男はますます腹が立って仕方ない。どうにかして村人たちを怒らせてやろうと口汚くののしった。その言葉は花となった。
 蝦蟇の出なくなった身を男は呪った。気に入らぬ。人の不幸こそが蜜の味。他人の幸福など、それこそ蝦蟇を舐めさせられたような口当たりの悪さでしかない。男は吐き気をもよおし、罵詈雑言の限りを尽くした。男が聞くに堪えぬ言葉を口にすればするほど、さらに美しい花が溢れ出た。男は一生花を吐き続けた。村には花が満ちた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み