第1話

文字数 1,570文字

 夏が来るたび思い出す飲み物がある。
 まだ学生だった頃、ばあちゃんちの集まりへ行った時の話だ。ばあちゃんちはまだ時間が止まったような田舎で、エアコンもろくに使わないような家だった。
 バーベキューの火おこしをしながら、庭を横目で眺める。ばあちゃんちの庭って広いよな、と思った。
 ポコポコといくつも築山がある庭は岩と低木を組み合わせてバランスがいい。そして人が住む家の他に時代劇に出てきそうな白い壁の倉がある。じっとりした空気の中で謎にピリッとした木の匂いがして、小さい頃は幽霊が出てくるんじゃないかと恐ろしい気持ちになったものだ。
「ゆうま!久しぶり!」
ひと仕事終え、どこに座ろうかとうろうろしていたら後ろから声をかけられた。
「カズトくん!」
 ろくに外に出ない俺とは違い、カズトくんはしっかり日に焼けている。がっちりしていて背が高いカズトくんは消防士だ。小さい頃から一緒に遊んでくれた、俺にとってはお兄さんのような存在である。
「もう大学3年だもんな、あっという間だ。酒飲める?」
「飲めるよ。」
「今いい酒作るから待ってな。」
冷えたグラスにザブッと砂糖、ライムを潰すと築山の隅っこへ走っていく。何かを摘んできたようだ。ミントだ。どさっと葉っぱを入れると氷にラム、炭酸水を注いでぐるぐるっと中身をかき回した。
「飲んでみな。」
恐る恐る口をつける。ライムとミントの香り、そして炭酸がスカッと爽やかで
「うまいなあ...」
思わず声が出た。
「だろ!暑いとうまいんだ!これが!」
そう言うと俺の肩をバシバシと叩いた。
「モヒートっていうキューバのカクテルだ。どうよ大学は。」
「そんなに勉強したら頭がおかしくなるんじゃないかって言ってくる人もいるけど、楽しいよ。大学の図書館てさ、すっごい広いし見たこともない本がいっぱいあるんだ。」
「ゆうまは小さいころから本が好きだったもんな、部屋の中に本詰めすぎて傾けるなよ?」
「ウッ、気をつけます...」
カズトくんは何でもお見通しのようだった。
「ここだけの話さ、
そう言うと急にカズトくんは声のトーンを落とした。
「俺本当はプロレスラーになりたかったんだ。でもうちって本家だろ、高校の時すごい親と揉めたんだ。」
高校生のカズト君はスポーツもできる優等生で、おばさん達と声を荒げてケンカしているなんて想像もつかなかった。
「親と揉める度に泣いてるチビたち見てたらさ、もう自分の好きなことって悪いことなんじゃないかって思い始めた。」
そんなわけないのにな、高校生ってバカだよなーと笑うカズトくんはどこか悲しそうだった。
「ゆうま、いっぱい好きなことやれよ。お前のやりたいことは絶対間違いない。」
そう言って自分のグラスを俺のグラスにぶつけた。
「今の話、内緒な。」
そう言って笑うカズトくんの笑顔は眩しかった。何も言えずモヒートをチビチビと飲む。そんな話をなぜ、俺だけにしてくれたのだろう。今から夢を叶えたっていいんじゃないか。いろんな気持ちがぐるぐると駆け巡る。口に広がる苦いアルコールの味と、ミントの香りが、カズトくんの話と混ざって大人への階段を登った気がした。
 いつからか、ばあちゃんちでの集まりは無くなってしまった。カズトくんに最後に会ったのはいつだっただろう。覚えていないほど、遠い記憶だ。ふらっと入ったメキシコ料理屋に、偶然あったそれを注文する。
 久しぶりに飲むモヒートはやっぱり大人の味だった。アルコールの苦みはもう分からなくなってしまったが、ライムとミントが鮮烈だ。あの夏みたいな、今日の白っぽい日差しによく似合う。カズトくんは、もう前を向いて歩き出した頃だろうか。
『いっぱい好きなこと見つけてやってみたよ。』
そう胸を張って報告できるように生きよう。飲みかけのモヒートの中で浮き沈みを繰り返す泡を見ながら、そんなことをぼんやりと思った。
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