桜へ
文字数 3,666文字
お母さん、その掛け軸の絵を見るまで
自分も春の人だと思っていたの。
四人の女性が、『美人四季図』には描かれていて……
冬の人の左下に秋の人、
秋の人の右斜め下に夏の人、
夏の人の左下に春の人がいてね、
……春の人だけが色鮮やかな着物を着ていてね。
でも、春の人の中には私の要素が……
難しいかな、私に似たところがどこにも見当たらなくて……
それで、びっくりした。
自分に春の若さがもうないなんて、びっくりした。
それから五年後にお父さんと結婚して、
その二年後に桜が産まれた。
お母さん、今は秋の風を感じる年になったのかな……
桜はこれから、
春の季節から、順番に生きていくんだね……
『四季美人図』には四人の女性が描かれている。
絵の下から上へと季節は巡る。
春の娘。夏の女性。秋の女性。冬の女性。
季節の移ろいにしたがって女性も年を重ねていく。
その時私は四人全員を平等に眺めていたのではない。
春の娘と夏の女性を交互に見比べていた。
今日この絵に出会う瞬間まで、
私は春の季節を生きていると思い、疑うことさえしなかった。
でも……今日の今から、そうではないと「知らなければならない」。
春の娘は鮮やかな着物姿で可愛らしい。
なのに、夏の女性は……
暑さに耐えられないとばかりに団扇を片手にデンと座り、涼をとっている。「暑くて人目を気にしていられない」と言わんばかりに見える……。
描かれていないのでそうかどうかは分からないが、旦那も子供もいるように見える。
……そういう貫禄がある。
私はもう一度目を凝らして、春の娘の中に自分を探した。
でも、何度確かめてみても、春の娘の中には私の要素は見つからない。
私はしばらく眺めて、諦めた。
そしてやっと四人それぞれの女性を見た。
春と夏の上の、秋の女性と冬の女性。
二人とも、今までの人生を語るような哀愁が感じられた。
冬の女性は、こちらには顔を向けずに掛け軸を見ている。ご主人に先立たれた女性なのだろうかと私は思った。色々なことを分かりつくしたような、強く寂しい後姿……
私は母親に付き添って、なんとなく美術館へ来ることがある。今日もそんな日のひとつのはずだった。
それが、生まれて始めて絵画に惹かれた日となった。たとえ、自分に関連付けてしか興味を持てない幼い視点からであっても。
幼い視点しか持たない私だが、さっき気付いた通り、私はとっくに春の季節を過ぎてしまっている。
夏の女性には既に家庭があると感じたが、私は一人を気ままに生きている。
私の春は終わることがないと思っていた……
この先、どんどん年を取っていくのだ……
それでも私は、美術館を出る時にはすでに気を良くしていた。どの季節も、美人として描かれていたことが満足だった。
記念に、出口前のお土産売り場に
『四季美人図』の絵葉書がないかを探した。
「上村松園はあまり好きじゃない」
母はそう言いながら私を松園展に誘った。
「どの絵も同じ美人顔で」
誰がどんな絵を描いて、自分がどう感じるか。
好きなのか、そうでないのか、どうなのか。
私にはいかなる絵もただの有名な絵でしかない。
なのに、母には「好きじゃない」と感じる感性がある。
そして「好きじゃない」のにわざわざ娘を誘って見に行くという、ちょっとした矛盾に引かれて来たことを私は思い出した。
描かれた女性には、母の好かない艶っぽさでもあるのかと、どこかに何かを見つけ出そうと、そんないたずら心で付いて来ただけなのに。
色気なく、「デン」と座った夏の女性に、自分を見つけて驚いた…。
「なあ、お母さんは、何で上村松園が好きやないの? 私は、何も分からへんけど、何か良いなと思ったで……」
母は私の手に下げた、絵葉書入りの袋にちらりと目をやって
「お母さんも好きになったわ」
帰る道に顔を戻した。
気を使っているのだろうか? 私は純粋に、好きではない理由を知りたいだけなのに……
「……。私はこれを買ったけど、別にお母さんは嫌いでもいいねんで……」
あっ……「どれも同じに見える」からやっけ。
母は首を振って言った。
「合わせてるわけやないよ。今までは本物を見たことがなかった。今日、一緒に本物を見に来て、それで好きになったんよ」
「そういうもんなん……」
「うん。だから何でも自分で確かめに本物を見に行くべきなんよ。テレビとは違う印象を受けるのはよくあることや……」
「……ふうん」
それは、まだ寒さの感じる春の日のことだった。
その後、お父さんと結婚する頃には——
絵葉書は、すでにどこかへいってしまっていた。
それでも私は忘れていなかった。
私の前に、春の娘が現れた時には『美人四季図』を初めて見た時のことを、はっきりと思い出した。
私の娘——桜に関わる女性達だった。
桜がお腹の中にいた時には、看護師さん。
桜が入園した時には、幼稚園の担任の先生。
それまで私は年下の女性とあまり関わることがなかったが、自分より遥かに若い人間が
すでにいろいろな仕事を立派に担っている年齢に私がなったのだ。年下の女性に助けられることは、何も不思議ではない。
春の娘——娘ではなく、女性というべきだろうか。
初めて描かれた絵の前で出会った時には、
自分が若くないという戸惑いの方が強かった。
でも、今春の女性に出会うと、
自分をとても幸せな気持ちにさせてくれた。
若い人には、元気と生きる力があり、
ただそこにいるのを見るだけで、眩しく輝きながら私を照らした。
遅くして子供を産んだ私は、あの絵で言えばもう秋の風を感じる年齢になっているのかもしれない。
自分が若い時代には、教えを請うのは年上ばかりだった。それが、自分に秋の風が吹くようになって分かったことがある。
若い人から学ぶことは、私が若い頃に思っていた以上に多い。
私は年を重ねてきた。誰かに立派に、何かを指南するような人間になれたのだろうか——
涙が水を含ませた筆を滑らせたように、
誰にも気付かれないゆっくりした速度で頬を流れていった。
春の季節を生きる桜へ
桜。お母さんがいなくなってから、十年が経ちましたね。桜は今、眩しい青春時代を生きていることと思います。
今、桜は様々な方々に教えを受けて、生きているのでしょう。ありがたいことですね。
でも桜、桜もただ生きているだけで、それだけで誰かを幸せにしているのです。お母さんがそうでした。病院での入院生活は、毎日が退屈になりがちです。でも、若い人を見るとね、生きる力がほとばしっていて、見ているだけでお母さんも元気になったものです。
今、桜がその季節を生きているんですね。
桜が笑って、お父さんを幸せにしているのがお母さんには分かります。ありがとう。
桜、大好きです。 お母さんより
私は便箋を四つに折り、封筒に入れて
宛名に「桜へ」、端に「十年後の桜に渡してください」と書いた。
ベットの横にある引き出しを開け、ポーチの中にその手紙をしまった。
あまり長くは書くことができないが、少し前から家族それぞれにお礼の手紙を書いていた。
今、幼稚園に通う桜宛てに書いた手紙も、
主人宛ての手紙も、同じポーチにしまってあった。
「横井さん。だんだん消灯の時間です」
ノックが聞こえた後、看護師さんがドアをスライドし、顔を出して言った。
「はい」
「書き物されてましたか? 私、お手伝いしますね」
看護師さんはベッドの上で使う作業台を、私の足元までスライドさせた。
「ふふふ、ありがとうございます」
「いいえ。じゃ、また電気を消しに伺いますので、それまでに横になっていて下さいね」
「はい。——あの、いつもありがとうございました。お忙しいだろうに、いつも笑顔で話して下さって。私はとても幸せでした」
看護師さんはえっと言って私の目を見た。
「横井さん! そんなお別れみたいなこと!
退院する時に言って下さい!」
「ふふふ、そうですね。ごめんなさい」
「桜ちゃんもお母さんを気丈に待っているんでしょう。お母さんが気弱になってはいけません」
看護師さんは一礼して出て行った。
私はゆっくりと横になった。
『美人四季図』を見たあの時——
私は年を当然に取っていくことを想像していた。でも、それは当然ではなかった。
あの時は、生きていると年を取っていくのだと気付いて、それが衝撃だった。怖かった。
しかし、年を取っていくことは本当は素晴らしい事だった。
私は残りの季節を生きることができない。
それでも、主人に会えて、桜が産まれて、
素晴らしい人生だった。
看護師さんが電気を消しに来た時、
桜のお母さんは目を瞑っていた。
電気が消され、暗くなった部屋で、お母さんは一度だけ目を開けた。
そして、まるで
そうすると——
春の季節を生きる、命輝く娘の桜に会えるとでもいうように——
ゆっくりとゆっくりと、目を瞑った。
自分も春の人だと思っていたの。
四人の女性が、『美人四季図』には描かれていて……
冬の人の左下に秋の人、
秋の人の右斜め下に夏の人、
夏の人の左下に春の人がいてね、
……春の人だけが色鮮やかな着物を着ていてね。
でも、春の人の中には私の要素が……
難しいかな、私に似たところがどこにも見当たらなくて……
それで、びっくりした。
自分に春の若さがもうないなんて、びっくりした。
それから五年後にお父さんと結婚して、
その二年後に桜が産まれた。
お母さん、今は秋の風を感じる年になったのかな……
桜はこれから、
春の季節から、順番に生きていくんだね……
『四季美人図』には四人の女性が描かれている。
絵の下から上へと季節は巡る。
春の娘。夏の女性。秋の女性。冬の女性。
季節の移ろいにしたがって女性も年を重ねていく。
その時私は四人全員を平等に眺めていたのではない。
春の娘と夏の女性を交互に見比べていた。
今日この絵に出会う瞬間まで、
私は春の季節を生きていると思い、疑うことさえしなかった。
でも……今日の今から、そうではないと「知らなければならない」。
春の娘は鮮やかな着物姿で可愛らしい。
なのに、夏の女性は……
暑さに耐えられないとばかりに団扇を片手にデンと座り、涼をとっている。「暑くて人目を気にしていられない」と言わんばかりに見える……。
描かれていないのでそうかどうかは分からないが、旦那も子供もいるように見える。
……そういう貫禄がある。
私はもう一度目を凝らして、春の娘の中に自分を探した。
でも、何度確かめてみても、春の娘の中には私の要素は見つからない。
私はしばらく眺めて、諦めた。
そしてやっと四人それぞれの女性を見た。
春と夏の上の、秋の女性と冬の女性。
二人とも、今までの人生を語るような哀愁が感じられた。
冬の女性は、こちらには顔を向けずに掛け軸を見ている。ご主人に先立たれた女性なのだろうかと私は思った。色々なことを分かりつくしたような、強く寂しい後姿……
私は母親に付き添って、なんとなく美術館へ来ることがある。今日もそんな日のひとつのはずだった。
それが、生まれて始めて絵画に惹かれた日となった。たとえ、自分に関連付けてしか興味を持てない幼い視点からであっても。
幼い視点しか持たない私だが、さっき気付いた通り、私はとっくに春の季節を過ぎてしまっている。
夏の女性には既に家庭があると感じたが、私は一人を気ままに生きている。
私の春は終わることがないと思っていた……
この先、どんどん年を取っていくのだ……
それでも私は、美術館を出る時にはすでに気を良くしていた。どの季節も、美人として描かれていたことが満足だった。
記念に、出口前のお土産売り場に
『四季美人図』の絵葉書がないかを探した。
「上村松園はあまり好きじゃない」
母はそう言いながら私を松園展に誘った。
「どの絵も同じ美人顔で」
誰がどんな絵を描いて、自分がどう感じるか。
好きなのか、そうでないのか、どうなのか。
私にはいかなる絵もただの有名な絵でしかない。
なのに、母には「好きじゃない」と感じる感性がある。
そして「好きじゃない」のにわざわざ娘を誘って見に行くという、ちょっとした矛盾に引かれて来たことを私は思い出した。
描かれた女性には、母の好かない艶っぽさでもあるのかと、どこかに何かを見つけ出そうと、そんないたずら心で付いて来ただけなのに。
色気なく、「デン」と座った夏の女性に、自分を見つけて驚いた…。
「なあ、お母さんは、何で上村松園が好きやないの? 私は、何も分からへんけど、何か良いなと思ったで……」
母は私の手に下げた、絵葉書入りの袋にちらりと目をやって
「お母さんも好きになったわ」
帰る道に顔を戻した。
気を使っているのだろうか? 私は純粋に、好きではない理由を知りたいだけなのに……
「……。私はこれを買ったけど、別にお母さんは嫌いでもいいねんで……」
あっ……「どれも同じに見える」からやっけ。
母は首を振って言った。
「合わせてるわけやないよ。今までは本物を見たことがなかった。今日、一緒に本物を見に来て、それで好きになったんよ」
「そういうもんなん……」
「うん。だから何でも自分で確かめに本物を見に行くべきなんよ。テレビとは違う印象を受けるのはよくあることや……」
「……ふうん」
それは、まだ寒さの感じる春の日のことだった。
その後、お父さんと結婚する頃には——
絵葉書は、すでにどこかへいってしまっていた。
それでも私は忘れていなかった。
私の前に、春の娘が現れた時には『美人四季図』を初めて見た時のことを、はっきりと思い出した。
私の娘——桜に関わる女性達だった。
桜がお腹の中にいた時には、看護師さん。
桜が入園した時には、幼稚園の担任の先生。
それまで私は年下の女性とあまり関わることがなかったが、自分より遥かに若い人間が
すでにいろいろな仕事を立派に担っている年齢に私がなったのだ。年下の女性に助けられることは、何も不思議ではない。
春の娘——娘ではなく、女性というべきだろうか。
初めて描かれた絵の前で出会った時には、
自分が若くないという戸惑いの方が強かった。
でも、今春の女性に出会うと、
自分をとても幸せな気持ちにさせてくれた。
若い人には、元気と生きる力があり、
ただそこにいるのを見るだけで、眩しく輝きながら私を照らした。
遅くして子供を産んだ私は、あの絵で言えばもう秋の風を感じる年齢になっているのかもしれない。
自分が若い時代には、教えを請うのは年上ばかりだった。それが、自分に秋の風が吹くようになって分かったことがある。
若い人から学ぶことは、私が若い頃に思っていた以上に多い。
私は年を重ねてきた。誰かに立派に、何かを指南するような人間になれたのだろうか——
涙が水を含ませた筆を滑らせたように、
誰にも気付かれないゆっくりした速度で頬を流れていった。
春の季節を生きる桜へ
桜。お母さんがいなくなってから、十年が経ちましたね。桜は今、眩しい青春時代を生きていることと思います。
今、桜は様々な方々に教えを受けて、生きているのでしょう。ありがたいことですね。
でも桜、桜もただ生きているだけで、それだけで誰かを幸せにしているのです。お母さんがそうでした。病院での入院生活は、毎日が退屈になりがちです。でも、若い人を見るとね、生きる力がほとばしっていて、見ているだけでお母さんも元気になったものです。
今、桜がその季節を生きているんですね。
桜が笑って、お父さんを幸せにしているのがお母さんには分かります。ありがとう。
桜、大好きです。 お母さんより
私は便箋を四つに折り、封筒に入れて
宛名に「桜へ」、端に「十年後の桜に渡してください」と書いた。
ベットの横にある引き出しを開け、ポーチの中にその手紙をしまった。
あまり長くは書くことができないが、少し前から家族それぞれにお礼の手紙を書いていた。
今、幼稚園に通う桜宛てに書いた手紙も、
主人宛ての手紙も、同じポーチにしまってあった。
「横井さん。だんだん消灯の時間です」
ノックが聞こえた後、看護師さんがドアをスライドし、顔を出して言った。
「はい」
「書き物されてましたか? 私、お手伝いしますね」
看護師さんはベッドの上で使う作業台を、私の足元までスライドさせた。
「ふふふ、ありがとうございます」
「いいえ。じゃ、また電気を消しに伺いますので、それまでに横になっていて下さいね」
「はい。——あの、いつもありがとうございました。お忙しいだろうに、いつも笑顔で話して下さって。私はとても幸せでした」
看護師さんはえっと言って私の目を見た。
「横井さん! そんなお別れみたいなこと!
退院する時に言って下さい!」
「ふふふ、そうですね。ごめんなさい」
「桜ちゃんもお母さんを気丈に待っているんでしょう。お母さんが気弱になってはいけません」
看護師さんは一礼して出て行った。
私はゆっくりと横になった。
『美人四季図』を見たあの時——
私は年を当然に取っていくことを想像していた。でも、それは当然ではなかった。
あの時は、生きていると年を取っていくのだと気付いて、それが衝撃だった。怖かった。
しかし、年を取っていくことは本当は素晴らしい事だった。
私は残りの季節を生きることができない。
それでも、主人に会えて、桜が産まれて、
素晴らしい人生だった。
看護師さんが電気を消しに来た時、
桜のお母さんは目を瞑っていた。
電気が消され、暗くなった部屋で、お母さんは一度だけ目を開けた。
そして、まるで
そうすると——
春の季節を生きる、命輝く娘の桜に会えるとでもいうように——
ゆっくりとゆっくりと、目を瞑った。