第1話

文字数 5,000文字

                     1.

 ようこそいらっしゃいました。私はこのクラブの調査役です。名前は省略させていただきます。クラブの趣旨からして本名を名のるわけには参りませんので。クラブの趣旨は何かとおっしゃるんですか。それは後で説明させていただきます。
 ところであなたはどうしてこのクラブをお知りになったんですか。ああ、ネットですか。今は何でもネット上にありますからね。もっとも、どこまで信用出来るかは別ですがね。嘘つきクラブの私が言うのも変ですけど。
 では簡単にクラブのことを説明させていただくことにしましょう。もしあなたが生活の息抜きに現実とは違うルールの世界で遊んでみたいと思っていらっしゃるのなら、このクラブは最適かもしれません。入会資格は成人式が済んだ方ならどなたでも審査対象になります。
 もちろん成人式というのは一種の例えで式の参加したことが無くても構いません。
 ただ、ご入会なさる前に二つだけお断りしておかなくてはならないことがあります。先程申し上げたクラブの趣旨というか会則のことなんですが、ひとつはクラブ内では絶対に本当の話をしてはいけないということ。あとひとつは一度入ったら脱会は出来ません。
 とは申しましても、そんなに堅苦しく考えていただかなくても大丈夫。本当の話をしてはいけないのはクラブ内だけのことで、あなたが現実に暮らしていらっしゃる世界のことまでは干渉しません。むしろ現実の社会では本当のお話をされることをお勧めします。
 脱会の件についても、もし辞めたくなったら来なければいいだけの話で、クラブに来ないからといって罰則がある訳ではありません。会費を払うのは来られた時に一万円頂戴するだけです。
 会則はこのふたつだけですが、ひとつだけ注意事項があります。
 それは、このふたつの会則のうち最初の規則を破られた場合のことですが、あなたは何らかの罰を受けることになります。どのような罰になるかは申し上げることが出来ません。と申しますのは、どんな罰にするかを決めるのは私のような調査役ではなくて上の、その上の、もっともっと上の方だからです。
 これまでに罰を受けられた方がどなたなのかは分かりません。と言うよりも罰を受けられた方がこれまでにいらっしゃったのかも実は分かりません。分かっているのはクラブに来なくなった方が何名かいらっしゃるということだけです。
 少し考えさせてほしいとおっしゃるのですね。構いませんとも。ゆっくり考えていただいて気が向けばまたお越し下さい。
 ここに少し前に出した会報がありますから一部差し上げましょう。この会報に載っている記事も嘘ばかりですが暇つぶしにはなりますよ。
 実はひとつだけ嘘の書けない規則例外記事がありましてね。ご推察の通り、会員の死亡記事です。お名前はご本名かどうか分かりませんのでお写真も掲載することにしております。黒枠で囲ませて頂いて。さっき申し上げたクラブに来なくなった方は皆さんここに含まれています。言い間違えました。ここに掲載された方の中にはクラブに来なくなった方もいらっしゃいます。
 それでは今日はこれで、お気を付けてお帰り下さい。

                     2.

 またいらっしゃったんですね。
 この建物に興味をお持ちになったご様子ですね。面白い建物でしょう。昔のどこかの財閥の持ち物だった別荘を改装したものなんですが、クラブの性格を反映させてあるんです。
 各部屋や廊下にはダリやエッシャーのだまし絵が飾ってあります。大きな声では言えませんがみんな本物です。本来、本物があるべき場所にあるのは全てクラブで作った精巧な複製です。
 嘘クラブに本物があって現実世界に嘘物があるというわけです。絵ばかりじゃなくて、建物自体にもあちこちに仕掛けがほどこされています。忍者屋敷みたいにね。今だと見られるのはほんの一部だけですが、会員になればどこでも自由にご覧になれます。ご入会はまだご検討中というわけですか。それでは今日は私に関する嘘の話でもしましょうか。
 実は私の妻が私に嘘をついたことがありましてね。自分の妻のことをこんなふうに言うとどのように受け取られるかはよく分かっているつもりですが、かなりの美人と言ってもいいと今でも思っています。私より五つ年下でしたが他人からは十歳年下くらいに若く見られていました。
 どうして過去形で話すのかとおっしゃるのですか。それは、すでに妻はこの世にいないからです。自殺したんです。まあ、私が殺したようなものですがね。
 妻は家に居るよりも外に出たがる性格でした。我々には子供もいませんでしたし、財産も両方の親からの遺産で二人とも働かなくてもいいくらい有りました。ですから妻が知り合いから紹介されたブティックでアルバイトをしていたのも外で時間をつぶすのが目的だったんです。
 服や装飾品も好きで若い男性店長からもセンスがいいと褒められたと喜んでいました。一方で私はそういった服や、ましてや装飾品なんてものにはまったく興味が無くて、そうした話題では妻の話し相手になることすらできませんでした。今から思えばそれがいけなかったのかもしれません。
 ある時から妻の帰りがだんだん遅くなりはじめ、勤め先が休みの日にも化粧をして出かけるようになりました。申し遅れましたが私の本業は弁護士です。浮気や離婚に関する訴訟も数多く手掛けました。
 でも、まさか自分がその事件の当事者になるとは思ってもみませんでした。妻が店長と浮気をしていたんです。妻は仕事が忙しくなったとか、次の店を出す準備をしているとか、いろいろ言い訳を考えてはそのことを隠し続けました。
 もちろん全部嘘です。私は職業柄すぐに気付きました。そこで私は自分に最も有利にことを収める方法を考えました。専門家なんですからそんな対応は何でもありません。専門用語と勝手を知った自分の庭のような法廷で妻から全てを奪い完全な復讐を果たしました。それも合法的にね。
 それからしばらくして、そのブティックを妻に紹介した妻の知り合いから私に連絡がありました。詳しいことは教えてくれませんでしたが妻が自殺したと言うんです。浮気相手の店長は妻よりも若いモデルと結婚したそうです。
 それを聞いたとき、私には自分でもよく分からない苦い気分に襲われました。私はその気分を打ち消そうとしました。妻が自殺しようが誰と結婚しようが私には何の関係も無いはずです。私には何の落ち度もなく、後始末まで含めて誰からも非難されるいわれはないはずです。
 でも、その気持ちは私の中に何日も居すわり続け、とうとう私は酒に溺れるようになりました。仕事の依頼も来なくなりました。
 ある夜、バーで酔いつぶれていたときでした。店主が私を追い出すために店じまいするからと言い出したときに外から入ってきた二人ずれの女がいました。
 そのうちの一人が元妻にそっくりだったんです。私は素知らぬふりをして金を払い店を出ました。冷たい風のなかで丸い月が冴え返っていました。寒さが私の酔いを醒まし、月の光が私の内部を照らし出しました。
 そのとき私はすでに痼疾のようになっていた気分の正体に思い至りました。
 私はまだ妻を愛していたのです。私は妻の浮気を知って以来、自分の感情に言わば蓋をした状態で、仕事のひとつだと割り切って訴訟手続を進めてきました。
 妻が浮気をした場合の最良の対応を自分が行うことで、私は有能な弁護士として社会に再び登録されると、それだけを考えていたんです。
 こんな状況に陥ったときに、もし自分の気持ちに正直に振舞おうとするならば、私はどうすればよかったのでしょうか。
 妻の嘘を信じる?それは出来ません。そんなことをすれば私の評価は地に落ちるどころか皆の笑いものです。
 結局、あの月の夜から私はそのことについて考えるのを止めました。
 もう一度、心に蓋をし直したんです。あれ以外にやり方は無かったんだと考えるようにしました。後悔なんかしていません。おかげで生活も元通りになりました。
 この部屋もずいぶん暗くなってきましたね。明かりをつけましょう。いいんですか。
 今日はこれでお帰りになりますか。
 そうだ。ひとつ申し上げておきましょう。もしご入会なさったらあなたは会のしきたりに則って出口で歓迎を受けることになります。
 どういう意味かって。それはご入会なされば分かります。またお会いしましょう。

                     3.

 このクラブで女性を見るのは今日が初めてですか。最近は女性の会員も増えてきてはいるんですよ。残念ながらまだ男性の方が少し多いようですけれど。
 それにしても、こんな日によくおいでになりました。ひどい天気になりましたね。激しい雨に強い風。まるで私たちの人生のようじゃありませんか。そこまでひどい人生じゃないと。
 面白い方ですね。この前お会いにになった調査役ですか。あの人は来なくなってしまいました。最後にあなたが会われた日以降です。
 この屋敷に飾ってある絵は本物かとおっしゃるんですか?もちろん偽物です。お会いになった調査役もこのクラブの会員でしてね。彼は会則を忠実に守ってあなたに嘘をついたというわけです。そこまではよかったんですが…。
 本当のことをお話ししましょう。彼はあなたに自分の妻の話をすることで会則を破ったんです。あれは本当の話です。きっとあなたが非会員だということで油断したんでしょう。会則を破った会員がどのようになるかは彼からお聞きになっていまよね。
 ですが、それは私にとっては喜ばしいことでした。彼を処罰する口実が出来たんですから。
 実はこのクラブは私が父の遺産で始めた会なんです。私がこのクラブを作ろうと考えたときの会のイメージは機知と諧謔にとんだ、ユーモアにあふれた、言ってみれば知的ユートピアのようなものでした。現実では嫌わる嘘ばかりで作られた世界なら、真実ばかりを言っている世界と同じだとお思いになりませんか。そんなふうに現実を逆手にとって遊ぶ会だったんです。
 でも、彼はこのクラブの癌になりました。妻とのことがあって以来人が変わったんです。
 収入が無くなり自滅しかけたときに、ここでの嘘を現実世界で悪用することを思きました。
 ここでの会話は嘘か真実か判定するために全て録音されています。録音も彼がこの会を悪用するために発案したんです。彼はここに来る紳士淑女たちが、現実では決して口にしないような嘘を平気で話すことに目を付け、現実世界でゆすりの材料に使い始めました。もちろん録音なんて現実の裁判では証拠としてはあまり役に立たないことは彼も承知しています。でも、世間の評判を落とすだけならこれでも十分間に合います。
 私は困りました。ここで裁くにもクラブの規則に違反したわけではありませんし、脱会も禁止しているんですから。しかし、このままクラブを食い潰されるのを黙って見過ごすわけにも参りません。事情に勘付いた会員は来なくなりました。すると今度は事情を知らずに入会してくる新入会員をターゲットにするようになりました。
 彼の被害を食い止めるには会を畳むしかありません。そこまで思い詰めていたときにあなたが来たのです。そして、彼は初めてミスを犯しました。
 ここに最新の会報が有ります。この記事をご覧下さい。彼の写真です。
 黒枠で囲ってありますでしょう。そうです。私は決着をつけたのです。
 私はもう一度このクラブを理想のクラブに立て直そうと思っています。あなたもぜひ力を貸して下さい。会員名簿を見ればあなたの人生にもきっとお役に立てると思います。
 こちらに署名していただくだけで結構です。

                     4.

 どうかされましたか?まるで出口で幽霊にでも出会ったようなお顔をなさって。
 私です。調査役ですよ。隣にいるのは私の妻です。ご入会をお待ちしていました。
 嘘つきクラブにようこそ!
                                   完結
 
 
 
 
 
 
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