第1話 私の大好きな人

文字数 951文字

「ひとりにしちゃうけど待っていてね」

 そう言って彼はドアの向こうへ行ってしまう。毎朝のことだけれど、やっぱりさみしい。
 彼のいなくなった玄関でふと昔のことを思い出す。

 ◇◇◇

 私は雨の中ぼろぼろの姿で歩いていた。道行く人は私のことを同情の目や奇異の目で見ていても、声をかけることはしなかった。
 そんな時、彼は私に手を差し伸べてくれた。彼の笑顔はとても優しく柔らかかった。
 倒れそうになっていた私を抱き上げて、彼は歩き出した。少し恥ずかしかったけれど、それよりも安心感のほうが強かった。
 その安心感のせいで寝てしまっていたのだろう。気がつくと知らない部屋にいた。
 キョロキョロしていると、彼と目が合った。

「あ。気がついた。一時はどうなることかと思ったよ」

 どうやら私は相当危険な状態にあったらしい。
 それもそうか。私は虐待にあっていたから。怪我をさせられた上に外へ放り出されたのだ。
 どれだけドアにすがりついても、いくら謝ってもそのドアが開かれることはなかった。
 もうあいつのところへ戻りたくない。もう痛いのなんて嫌だ。怖いのも嫌だ。
 そんな私の事情を察してくれたのか、彼はこう言ってくれた。

「うちに来なよ」

 そうして、私は彼の家に居候(いそうろう)することになった。
 彼はすごく優しいけれど、そんな彼にものすごい剣幕で叱られたことが一度だけある。
 ベランダへ出ようとした時だ。

「外には危険がいっぱいあるんだから絶対に一人で出ちゃだめだ! 悪い人だっていっぱい居る! さらわれるかもしれない! 出るときは僕と一緒の時だけ! 約束できる? 君に何かあったら悲しいよ」

 彼の声は大きかったけれど、私を心配してくれていることが分かった。
 彼との生活は楽しく、とても幸せだ。

 でも、不安になることもあった。私は掃除ができない。洗濯もできない。料理だってできない。
 何もできない私がここにいて良いのだろうか。

「君と一緒にいるだけで僕は幸せだよ」

 彼はそう言ってくれた。
 そんなことを言われたのは生まれて初めてだった。
 私は思わず彼の胸に飛び込んだ。

 ◇◇◇

「ただいまー」

 彼が帰ってきた!
 私は急いで玄関へ向かう。一刻も早く彼に会いたいから。

「にゃー」

 私の大好きな人は私を抱き上げて撫でてくれる。
 彼に拾われて本当に良かった。
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