公園と地蔵と変態

文字数 5,981文字

一月中旬、俺のストレスは限界点まで達していた。こんな夜更けにこの緑山公園に来ているのはそういう理由だ。俺は今日ここで、世間一般で言う《変態》の仲間入りしてしまう。



 ニュースになる彼らを見て《気持ち悪い》と軽蔑し他人事のように思っていたあの頃の俺には想像することなど出来なかっただろう。俺は(露出狂)になろうとしているのだ。



 いきなり矛盾したような事を言うが、俺は決して変態なんかではない。どちらかといえば、真面目な人間の部類だと思う。ただ、少し世渡りが下手くそで、気が弱く、コミュニケーション能力が人より劣っているだけなのだ。



 「何が多様性だ。」



 そう呟きながら、怒りに任せて落ちていた石ころを蹴飛ばすと、パワハラ上司とその取り巻きの顔が脳裏に浮かんだ。だいたい、現代の社会の態勢が俺たちの様な人種を殺してしまっているのだ。次々に感情の波が押し寄せる俺には、必死に言い訳を探すことしかできない。







 自分の露出癖に気が付くきっかけとなったのは、ある飲み会の帰り道のことだった。この日のパワハラ上司達3人は、俺を席から立つこと許してはくれなかった。この時程、お酒の利尿作用を恨んだ日はないだろう。ようやく飲み会が終わり、トイレに行けると思ったのも束の間、彼らの横暴はまだ続いていた。



 「おい、永宮。途中まで一緒に帰るぞー。しかし困った。今日みたいに酔っ払った日は、人におぶってもらわないと帰り道が危険だなぁ。」



 こいつが主犯格の平岩だ。いつも、髪の毛をジェルで鶏冠のように整えている。顔はほのかに赤くなってはいるが、足元がふらついているようには到底見えない。



 「タクシーでも呼びましょうか?」



 至極真っ当な事を言われた平岩はバツの悪そうな顔をしていたが、もちろんこんなことで納得する彼ではない。平岩に答えがなかなか見つからないことを察したのか、取り巻きの一人が口を開いた。



「この人はタクシーが苦手なんだよ。気を使えよ無能。」



 豚鼻のこいつが村上だ。つい2日前、取引先まで平岩と一緒にタクシーを使って移動したことを、こいつは知らないのだろう。



「無能は黙ってこの人に従っていればいいんだよ。」



 便乗してきたこの猿顔で小柄な男が、取り巻きの2人目の長野だ。入社したての頃は、趣味の話で意気投合し、一時期は一緒に昼食を食べる程の仲にもなっていた。しかし、俺が平岩に目を付けられ始めたのを皮切りに、段々接し方がよそよそしくなっていき、暴言を吐かれるまでに至った。正直こいつのたちが一番悪い。



 店を出た俺は、結局上司の言う事を断れず途中までおぶって歩くことになった。決して軽くはない中年の身体を持ち上げると、一気に下半身に力が入り、その瞬間に尿意は人間に耐えられる限界値まで来てしまった。



 漏らしたなんて噂が広がれば、それこそ本当に俺の会社での立場が無くなってしまう。そう思った俺は、全神経を股間に集中させて、不自然に膝を曲げて前屈姿勢の恐竜のような状態で歩き出した。



 そこから、5分ほどの記憶はほとんどない。その間も平岩達はくだらない話を続けていたようで、何の興味も示さず反応もしない俺に対して、遂に怒りが飛んできてしまった。



 「先輩が話してんだから真面目に聞け。永宮。」



 平岩はそう言い放つと、俺の背中から飛び退いて股間を蹴り上げてきた。



 「もう限界です。」



 そう呟くと俺は、無我夢中で走りだした。後ろからは、平岩達の笑い声と怒鳴り声が微かに聞こえるが、そんなこと今はどうだってよかった。とにかく今は、トイレがありそうな場所を見付けなければいけない。こういう時に限って、全然見つからないのが人生というものなのだろうか。冬の冷たい空気が肌を切り裂くが、そんなことはこの時の俺にとって何の障害にもならない。この永遠とも思える時間走り続けて、やっとの思いで公園を見付けると敷地に入った。



 人間の身体とは不便なもので、安心して立ち止まった瞬間、薬の効果が切れたように全身から力が抜けていった。それと同時に、全ての感情と現象が襲い掛かってきた。満身創痍の俺に、我慢する気力はもう無く、公園の真ん中で涙を流しながら漏らした。体から魂さえもが流れていく感じがした。



 しばらくして感情の高ぶりが一旦落ち着きを見せると、濡れて気持ちが悪いズボンとパンツを脱いでベンチに腰を掛けた。冷たい風が派手に濡れた顔と下半身を乾かしてくれる。そして、同時にスリルによる心地よさを感じてしまっていた。この日は、家に帰る気分にはなれずしばらく漫画喫茶で宿泊することにした。家に帰れば、また地獄の毎日の続きが始まると感じたのだ。この日から会社には行っていない。







 あの日味わったスリルがもっと欲しい、と思ってしまったのはそれから3日後のことだった。



 もちろん他にスリルを味わう方法なんていくらでもある。お化け屋敷やジェットコースターも十分味わうことができるが、それをする度胸が俺には足りないのだ。もちろん通報され、警察に捕まるのが怖くないわけじゃない。ただ実感がないだけだろう。



 この公園を選んだのもここが見つかりにくいと感じたからだ。隣接しているのは自治会が使う倉庫のみで人はいない。公園内にはツツジの葉が無造作に生い茂り、大きな木が何本も生えているため、道路からも近くの家からも目視で確認しにくい。怖いのは近くのデリバリーピザ屋が24時間営業なことぐらいだろうか。そちらの道は大通りになっていて、人通りが多いため気を付けなければならない。



 いよいよスリル補給の時間だ。サッカーの監督がベンチで着ているようなコートの下は全裸になっている。ファスナーを降ろすと、真冬の冷たい風が股の間を通り抜ける。まずはジャングルジムに向かって下半身を突き出して叫んだ。



 「フォーウ!!!」



 路地まで響き渡る自分の声に、不安と快感が同時に襲ってくる。次に俺は、月明かりに照らされる滑り台に向かって叫んだ。



 「フォーウ!!!」



 さっきより少し声の大きさを抑えた。銀色の板に反射して映る自分の顔を直視することは出来なかった。次に、地蔵に向かって叫んだ。



 「フォーウ!!!」



 その時横目に、【変質者に注意】と書かれた看板が目に入った。完全に今の自分の事だと思い、少しの罪悪感と恐怖感を覚えてしまった。







 暫く地蔵の前で立ち尽くしていると、公園の外から鼻歌が聞こえてきた。このままではまずいと思った俺は、急いでファスナーを締めると、近くの青色のベンチに座ってスマホを触るふりを始めた。子ども達の間で流行っているという、その曲の音がだんだんと大きくなってくる。俺は恐る恐る音の鳴る方へと目を向けた。既に、俺の心臓の鼓動の速度は限界を迎えていて息をしている気がしない。どうやら、その音の主はひどく酔っているようで、足元がおぼつかなかった。そして、私の目の前まで来ると



 「お兄さん話聞いてくださいよ~。」



 と言ってベンチの横に腰掛けてきた。スーツ姿に赤いマフラーを着けた、俺と同年代くらいの女性だ。決して美人というわけではないが、この顔をみると何故だか妙に懐かしい気持ちになる。私が呆気にとられて答えないでいると、彼女は勝手に話しを始めた。



 「最近悩んでることがあるんですよ~。こっちには出張で来たばかりなんですけどね。多分社会不適合者なんですよ私。何回もおんなじミスしては怒られてて~。」



 これを無視するのはあまりにも不自然だと感じた俺は、無難な回答をしてやり過ごそうと考えた。しかし、内容が内容である。彼女は知らないが、社会の理を破ってしまっている俺の方が、確実に社会不適合者なのだ。女は続ける



 「私迷惑かけてばっかりかけてて~」



 俺は、騒音だけならいざ知らず、公然わいせつ罪という犯罪行為までしてしまっている。まごついて回答できずにいると彼女がまた口を開いた。



 「あっ……。お酒飲んで知らない人に愚痴こぼすなんてどうかしてますよね……。今の自分の姿到底親になんか見せられないですよ。」



 絶対に露出狂の俺なんかよりは何千倍もマシだよ。と言うわけにもいかないので、無難な言葉で慰めることにした。当たり前だが俺も、今の自分の姿を、親になんか見せられるわけがない。俺の方こそどうかしている。



 「胸張って生きなさい。」



 口癖のように言っていた母のセリフが初めて胸に刺さった。



 彼女は今、この世で一番相談しちゃいけない人間を相手に選んでしまっている。悔い改め、話を切り上げようと思い立ち上がろうとした時だった。



 「ちなみになんですけど、お兄さんは何しているんですか?」
 


 悪戯な笑顔を浮かべて顔を下から覗き込んでくる。あまり女性慣れしていないからそういう仕草は出来ればやめていただきたい。相手の声よりも、心臓の鼓動の音の方が大きく聞こえる。まさか人と会話するとは考えておらず、言い訳を考えていなかった。



 「散歩ですよ。」



 平静を装いながらまたまた無難な回答をすることしかできなかった。彼女は疑いもせず



 「へぇ~。」



 と適当な相槌を打っていた。元々そこまで興味が無かったのだろう。これ以上詮索されても困ると思ったので、そろそろ家に戻ると言おうとした時だった。



 「少し酔いもさめてきたかも。」



 と言いながら立ち上がって伸びをした彼女のスーツからなにかが地面に落ちた。
 


 「あっ。カイロが。」



 咄嗟に彼女はスマホのライトを起動し足元を照らし始めた。まずいと思ったがもう遅い。この時期には中々お目にかかれないはずの、立派に生えそろったスネ毛を照らされてしまった。捕まるのだけは勘弁だ。また、この子の言葉を借りるが親に顔合わせできなくなる。



 彼女は目を見開き、俺の顔と足元に視線を行き来させている。逃げよう、その後の事は未来の自分に任せることにしよう。その時彼女が口を開いた。



「寒くないんですか?」



 何とか一命を取り留めたようだ。彼女は俺が全裸だとは思わなかったようだ。相手に聞こえてるかと心配だった、心臓の鼓動音が少し小さくなっていくのを感じる。



「こ、これ最近買った暖かい半ズボンなんですよ。」



「え、見てみたいです。」



 我ながら余りにもお粗末な嘘だった。しかし、愚か者には見えない半ズボンなんだ。と言って騙されてくれるような子ではない。



 「え?結構流行ってますけど、見たことないんですか?」



 そう言いながら、足を動かし下に落ちている筈のものを必死に探す。



 「幾分流行りには疎いものでして」



 適当に会話を繋ぎながら足裏の感覚で見つけたソレを手で拾い上げる



 「あ、カイロありましたよ!」



 「わざわざありがとうございます。」



 俺は、今完全に理解した。露出というのは、バレないという自信があるからこそ心地良いものであって、本当にスレスレだと恐怖の方が勝つということを。まだ俺は戻れる場所にいるのだということを。



 しかしまずは目の前の脅威をどうにかしなくてはいけない。ズボンの件に触れられる前にこちらから話題を振ることにした。



 「す、好きな食べ物とかありますか?」



 「え、好きな食べ物ですか……」



 いくら何でも酷い会話の繋ぎ方だとは思う。ただ、これが年齢と彼女いない歴が同じ、俺にとっての精一杯のコミュニケーションだった。我ながら本当に情けない。



 彼女が困惑しながらも答えてくれたのが唯一の救いだろうか。そこからはたわいもない会話を30分ほど続けた。あたりの静けさはより一層深くなった気がする。





 「永宮さんありがとうございました。かなり酔いが冷めてきたみたいです。」



 男というのは単純なもので、どんなことでも笑顔で話聞いてくれるこの子の事を少し気になり始めていた。これが有名な吊り橋効果なのだろうか。いや、自分に仕掛ける人はいないだろう。



 「ここにはよく来られるんですか?」



 まだ、話を続けたかった俺は何となく聞いてみた。



 「ええ。ここで子どもたちの遊んでいる姿を見るのが好きなんです。」



 自分が真冬の外に全裸コートでいる事を一瞬忘れた。それほどに、彼女の表情は慈愛に満ち溢れおり、太陽のような温かさを感じた。



 どうやら普段ここは子どもたちの格好の遊び場となっているようだ。俺の今日の行為が噂にでもなったら、使われなくなると思うと心苦しい。



 「でも……。」



 と表情を曇らせ、彼女はどこか遠くを見つめながら話を続けた



 「最近の母親はずっとスマホを触っていて自分の子の事を見ていないんです。それが、当たり前の世の中になってきてしまっているんです。これも時代なのでしょうけど、私は今の世の中は少し冷えすぎていると感じます。人の温もりを感じにくくなっているんです。そのせいで、自分の居場所が狭くなっていくような感覚がするんですよ。」



 「自分の居場所ですか……。」



 酔っている時は全く思わなかったが、俺とは違って芯があって格好いい女性だと思った。



 「なんだか、おばあちゃんみたいなこと言いますね。」



 思ったことをそのまま言葉にするのは気恥ずかしかったので、ついこんなことを言ってしまった。言葉選びが下手くそすぎる。



 「あながち間違いでもないかもしれませんよ。」



 今日一悪戯な笑顔を向けられ、また心臓の鼓動が少し早まるのを感じた。



 「どういう事ですか。」



 言葉の意味は分からなかったが、自然と笑顔になっていた。



 「そろそろ行きますね。じゃあ。」



 そう言うと彼女は、公園の出口の方を向いて帰ろうとする。気が付くと、脊髄反射の速度で口から言葉がこぼれていた。



 「あの、一つだけ聞いてもいいですか。また会えますか?」



 彼女は振り向かず答えた。



 「それはお兄さん次第かなぁ~。」



 今度は何となく意味が分かった気がした。俺はただ、彼女の小さくなる背中を見つめる事しかできなかった。もう二度と露出狂にはならないと、そう心に誓った日になった。







 俺はコンビニ袋片手に、あの日と同じ公園に来ていた。彼女にもう一度会えることを期待している自分もいた。残念ながら子どもはいなかったが、あの日座ったベンチに腰掛けた。もう、【変質者に注意】の看板に恐れることはない。



 時間はあっという間に過ぎていく。夜には気が付かなかったが、ベンチの塗装は剥げかけていた。滑り台は鳥の糞だらけだったので、軽く掃除をしておいた。彼女が大好きな景色を守るために。



 そうこうしているうちに、夕暮れになったがやはり彼女は現れない。



 「やっぱりか」



 赤いマフラーを巻いたお地蔵さんに、手を合わせると彼女が好物だと言っていた羊羹をコンビニ袋から出しお供えした。横にはカップのお酒とカイロが既にお供えしてあった。近隣住民から大事にされているのだろう。



 「俺、新しい仕事探すことにしましたよ。」



 そう言うと、彼女の顔が少し微笑んだ。そんな気がした。



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