異教の神々と異形の騎士

文字数 3,535文字

 重三は足の痛みを我慢して刀を振るった。日本刀の形だけを残し、厚さ、長さを数倍にした大刀は少女の体を拘束していた鎖を簡単に断ち切った。

「いたっ」
 
 鎖に引かれ少女が声を上げる。重三は大刀を背負うと少女を見つめた。

「これで自由。何処へなりとも行くが良い」
 
 女はきらきらとした瞳を向けて来る。

「ありがとう。おじさん、名前は?」
 
 重三は、重三だ。と呟く。少女は小首を傾げた。

「じゅうぞうぅ? 面白い名前。私は、ファー。よろしく」
 
 すっと手を差し出して来る。重三は照れ隠しに顔を背けると手だけを握った。

「照れてるの?」
 
 ファーという少女はなかなかに鋭いようだ。重三は咳払いを一つすると会話の流れを変える。

「この洞窟はなんだ? それに、お前は何をしている?」
 
 ファーが寂しそうな顔をする。

「おじさん、国教騎士団の人でしょ。やっぱ、ここには、異教徒狩りに来たの?」
 
 質問を質問で返され重三はむっとしたが、相手は少女である。余裕を見せる為に大声で笑った。

「そうだ。その途中で、この有様だ。間抜けにもここに落ちてしまった。だが……、わしもこの姿だからな。騎士団の中でも嫌われ者だ。黒い髪に黒い瞳。この国の民とは違うだろう?」
 
 ファーが不意に髪に触れて来た。

「ほんとだ。全然違うね。おじさんは、どこから来たの?」
 
 ファーの手を優しく払うと重三は言う。

「薩摩の国だ。京に向う船旅の途中、海賊に襲われてな。海に落ちたのまでは覚えているが、それからは何も覚えてはいない。この国の端の方にある小さな漁村で目を覚ました所からまた記憶が始まっている」
 
 ファーはにこりと笑った。

「ふーん。分からないけど遠くから来たんだねぇ。ファーはね、これ、ほら」
 
 ファーが頭を近付けて来る。ぴょこんと犬か何かの動物のような耳が髪の中から顔を出した。

「亜人か? ならば、わしらの敵だな」
 
 ファーが驚いた顔をした。

「亜人? 斬るの?」
 
 重三は苦笑する。

「斬らん。お前には恩がある。動けないわしに飯をくれたしな」
 
 ファーが笑いながらくるりと回った。

「でも、おじさんは私を自由にしてくれた。あいこだよ」
 
 重三は豪快な笑い声を上げた。
「そうかも知れん。だが、斬れんな。わしの刀はわしの心だ。わし以外の何者もわしに刀を振るわせる事はできん」
 
 ファーが関心したというような顔をした。
「かっこいいね。ねえ、おじさん、これからどうするの?」
 
 重三は足を引き摺りながら数歩歩いてみる。
「うむ。歩けないほどではない。もう少し休んだら騎士団の所に行くつもりだ。お前は、逃げるんだぞ」
 
 ファーが遠くを見るような顔をする。

「ファーはどこにも行けないよ。だって……、生贄だもん。ここに住むヨル様に食べられるんだ」
 
 重三は深い溜息を吐きながら頷いた。

「そうだったか。この場所とあの鎖だ。何かあるとは思ったが。異教の神は贄をとると言うが、本当だったか。そうか、そうか。ここは神の住まう場所か」
 
 重三は言葉を切ると大刀の柄を握る。正眼の構えを取ると洞窟の奥を睨んだ。

「ファー、下がっていろ。早速、神がおみえのようだ」 

「おじさん、どうするの?」
 
 重三は刀を振り上げると大上段に構える。

「斬る。神でも人でもなんでもだ。わしの心を妨げる者は全て斬る」
 ずるずると何か、大きな物を引きずる音が洞窟の奥から聞こえて来る。二つの光る目玉がぎろりとこちらを向く。

「おお。蛇神か。初めて見るが、立派な物だ。ファー、離れていろよ」
 
 蛇神に睨まれ声も出ないのか、ファーの返事はない。重三は、ふっと息を吐き体の力を抜く。膂力を溜め、解き放つ瞬間を待つ。巨大な蛇神が首をもたげ重三を見つめる。蛇神の光る目が揺らいだと思うと二本の大牙を覗かせた口が迫って来た。

「チェストー!!」
 
 裂帛の気合とともに重三の大刀が振り下ろされる。がつん、と音が鳴り蛇神の上顎に刀が刺さる。蛇神が頭を振ると重三は刀もろとも吹き飛ばされた。洞窟の壁に叩き付けれ、意識が飛びそうになる。ぐっと堪えて、刀を支えに重三は立ち上がった。

「流石に神だの。だが、まだまだだ」
 
 重三は再び大上段に構える。一撃を喰らった蛇神はもたげた首を左右に振りながら飛び掛る隙を探っているようだった。

「こっちだよ、こっち」
 
 ファーの声がする。重三は蛇神から視線を外さない。蛇神がファーの声の方に首を向ける。蛇神がファーの方を見たと思った瞬間、蛇神の動きが止まった。重三はその隙を見逃さない。

「チェスト!!」
 
 気合の声と共に大刀を振り下ろす。蛇神の頭骨の僅か後ろに刃が喰い込む。

「うおおおおぉぉぉぉぉぉぉ」
 
 唸り声を上げながら刀を一気に引き下げた。どすん、と蛇神の頭が落ちる。重三は崩れ落ちそうになる体を刀で支えたが、すぐに諦めて座り込んだ。背中から腰にかけて深い傷を負ったようだ。大量に流れ出た血が鎧の下を濡らして行くのが分かる。

 重三はファーのいるであろう方向に顔を向けた。どうした事か、そこには一枚の大きな鏡があった。鏡からファーの声が発せられる。

「どう? 驚いた? これを見たらヨル様の動き止まったね」
 
 重三が状況を理解できないでいると鏡がうっすらと光り少女の姿に変わる。

「おお。変化の術か」
 
 重三の声にファーが笑顔を見せる。

「ありがとう、おじさん。これで、この地の神は私だけ」
 
 ファーがそこで言葉を切ると上目使いに見詰めて来た。

「どうする? 私の事、斬る?」
 
 重三は痛みを忘れて豪快に笑った。
「たばかったのか。流石は神だ。だがな、斬らん。助けてもらっている。なるほど。国教会が慌てる訳だ。異教の神は随分とたくさんいるらしい」
 
 ファーが難しい顔をしてう~ん、と小さな声を上げた。

「いい事思い付いた。私が騎士団のいる所まで送って行くよ」
 
 重三は即座に否定する。

「それは無理だ。お前の姿を見れば、わしらは国教騎士団だ。戦いになる」
 
 ファーが心配そうな顔を見せる。

「でも、おじさん、もう歩けないでしょ。それに、このままじゃ……」
 
 重三は顔に力を込めて笑顔を作る。

「なに、心配はいらん。理由はどうあれ、国の同志達を見捨ててしまった身の上だ。同士達は皆、京に登り尊攘の為に戦ったはずだ。最早、どこで果てようと、構わん」
 
 ファーがいやいやというように首を振る。

「死んじゃだめ。嫌だよ、おじさん」
 
 重三は意識が薄れ始めて行くのを感じた。

「嬉しいの。こんな異国の地で、そんな言葉を聞けるとは。その気持ちだけで充分だ。異教の神、ファー。その名前、わしの心にしっかと刻んだぞ」
 
 ファーの叫ぶ声が遠くに聞こえる。

「駄目だよ、おじさん」
 
 重三は途切れる意識の中で自身の唇に温かい何かが触れたのを感じた……。
 
 凄まじいと思えるほどの風切り音が聞こえる。重三は目を覚ますと空を飛んでいるという状況を知って絶句した。ファーの声が座っている場所から響くように聞こえて来る。

「起きた? 良かったぁ。私の命を少し上げたんだよ。すっごい恩だよ。絶対返してもらうからね」
 
 重三は恐る恐る自分の座っている物を見る。ごつごつとした鱗に覆われている炎のように赤い肌。視線を感じ、顔を上げる。蛇神よりも巨大なトカゲのお化けみたいな顔がこちらを見ている。
 「どう? 驚いた? また、たばかちゃった。私のほんっとのほんっとの姿。炎竜っていうの」
 
 ファーの大きな口が僅かに歪む。

「ごめんね、おじさん。もう、騎士団には戻れないかも知れない。私が攫っちゃったから。許してくれる?」
 
 重三は心の底から込み上げる愉快さに大笑いする。それからきりりと表情を引き締めた。

「命をもらうほどの大恩。拙者、薩摩示現流免許皆伝、音無重三。それほどの大恩を無下にするほど恩知らずではない。ファー殿、どこへなりとも、御供仕ろう」
 
 ファーが首を傾げる。

「くふふ。変な言葉遣い。ねえ、重三って呼んでいい?」
 
 重三は照れ臭くなって顔を背けた。

「好きにするがいい」
 
 ファーは重三の言葉が嬉しかったのか、ぐるりと宙返りをした。重三は落ちそうになりファーの体を必死つかむ。

「あっ、危ないではないか!」
 
 大空にファーの嬉しそうな笑い声が響いた。
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