第1話 

文字数 1,995文字

 今年は秋が短かかった。
温暖化の影響らしいが、温暖化になれば冬が暖かくなるんだからいいじゃないかと思っていたが、温暖化というのは砂漠化の事で、砂漠は暑くて寒い訳だから、決して暮らしやすくなる事ではないようだ。
まあしかし自宅と職場の往復で常に大体同じ室温のエアコンの効いている部屋にばかりにいる男の単身世帯の自分には温暖化も寒冷化もあまり関係ない話。
インフラエンジニアとして新卒で就職して、数年後関連会社に出向という形でこの地方都市に転勤して、待遇も給料もあまり変わらないまま早や5年。
本社に戻れとの辞令もなく、もしや転勤ではなく転職だったのでは?と最近考えている。
トラブル続きの夜勤からの帰路。
夜に何を食ったかも思い出せないままぐったりと菓子パンと唐揚げとチューハイを買う為にコンビニに寄ろうとした時、街路樹の下でふいに毛虫を2匹見つけた。
よく見ると毛虫にしては大きいその毛玉は白と黒の子猫だった。
まだ産まれて間もないのかあまり声も出さないし身動きもしない。
母猫がどこかへ行ってしまったのか、もしや捨てられたのか。
この寒空の下、繁華街の隅っこでは誰かに踏み潰されてしまうとか、カラスにでも食われてしまうのではと心配になる。
しかし契約している賃貸マンションはペット禁止であるし、生き物を飼育した経験も無い。
いやでもこれでは、と悩んでいると、背後から来た自転車が停まり、乗っていた女がサッと子猫を拾い上げて自転車のカゴに載せた。
拾って貰えたのかとほっとしたが、そのカゴの上にあったものが葱や生姜や白菜や海老や茸が入った中華鍋であり、彼女はその上に子猫を乗っけて布を被せたのだ。
自転車がまた動き出した時、つい声が出ていた。
「ちょっと!!それ、どうすんですか?」
はあ?と振り向いたのは女で、不審者を見る目つき。
中華風の調理服姿。
上着の胸のあたりに刺繍で金蘭軒と書いてある。
中華料理屋で働いているという見当はつく。
やはりとぞっとした。
食うつもりだ!
犬は食うと聞いた事があるけど、猫もかよ?!
「いやアンタ、こんなの食うとこないでしょう?!すいません、あの、お金払うからそれ下さい!」
言葉が通じないかもしれないとスマホの翻訳アプリを探っていると、女が中華鍋の子猫を見ながら口を開いた。
「ン〜、スープくらいにはなるカラネ」
カタコトでそう言われ、哀れ、ラーメンのダシにでもされるのか?!と悲鳴を上げそうになったが、女が笑い出した。
「嘘々!食べませんよ。大丈夫」
今度は全く違和感の無い発音。日本人のようだ。
食べないと言われて、ホッとした。
彼女はタオルを子猫に掛け直した。
子猫は声も無いが、ちゃんと生きているようだ。
「・・・さっき母猫が車に轢かれてたの見つけて。たまにここらへんで見かける猫でね。最近お腹おっきいのは知ってたんだけど。もし産んでたらどうしたんだろうなんて考えてたところだったから、これも縁かなあと思って」
ちゃんと飼うから大丈夫、と彼女は言った。
鍋に入ってたらそりゃ不安になるか、とまた笑う。
「私、すぐ近くで薬膳屋やってて。鍋は知り合いのとこ置き放しだったやつ返して貰ったんです」
なんだ、そうかと合点が行った。
薬膳とは何だか胡散(うさん)臭いが、とにかく食い物屋なら飢える心配も無いだろう。
「・・・良かったなあ。うまいもん食わせて貰えよ」
鍋の中の子猫達は相変わらず食材のようにしか見えないが思わぬ幸運に恵まれたようで、嬉しくなり声をかけた。
女にじっと見られていたのに、やっぱり不審者扱いかと「どうも。ではよろしく」とその場を離れようとした。
男は三十を過ぎてからはつまらないことで不審者にされかねない。
「うまいモン食わなきゃなんないのはあなたよ?見たとこ腎虚(じんきょ)。疲れて不摂生という事ね。目が疲れたり(かす)んだりしない?耳の聞こえ悪くない?体カサカサしない?疲れたりだるくない?髪抜けない?」
いきなり何をと思ったが言葉に詰まった。
確かに自覚症状はあるが、それはぴちぴちの青少年ではないのだから老化で当たり前だろう。
「男は40、女は35から弱って出る症状ではあるけど、でも放っといて良いわけじゃなくてね。40過ぎてはないですよね?」
「いや、34ですけど。でも34って、まあまあおじさんだし」
「ヨボヨボのおじさんとイキイキのおじさんは違うでしょ?」
ヨボヨボと言われて、軽くショックを受けた。
「そうねぇ。・・・海老と皮蛋(ピータン)のお粥と、舞茸と牡蠣(かき)のグラタン、栗のスープ、デザートはとろろのお餅入りの胡麻のお汁粉とお茶。で、1300円。私も朝ごはんまだだし、良かったら一緒にどう?・・・猫のスープは出さないから大丈夫!」
それは勘弁してと返したが、何よりここしばらく聞いた事のない調理済みの美味そうな食い物の名前に、思わず頷いていた。
「良かった。じゃあ、この子達も一緒に朝ごはんにしましょうね」
彼女は指で優しく子猫を撫でながら笑った。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み