旅人、心ここにあらず

文字数 4,902文字

一章:退屈の始まり(舞花と愛華)
三井 明、四十路の独身男。
一年前に長年務めてきた会社を退職し、
商店街の一角で本屋を始めた。
店名は、旅人(たびびと)書房。
店内の広さは、約三十坪。
レトロな雰囲気を活かし、
内装は、本棚もカウンター周りも木製にしている。
退屈ながらも、ようやく手に入れた安らぎ。
開店したばかりだが、
変わった客人が訪れる珍名所になっている。
書店とはいえ、本の売買の他にも、
無償で客の相談に乗っている。
まぁ、暇つぶしってやつだ。
「茜のやつ、まだ店に来ないな」
椎名 茜は、
三ヶ月前にバイトとして雇った大学生だ。
現在の時刻は四時半過ぎ。
今日は、午後の講義がないから二時に来ると言っていたが、二時間半経っても一向に現れる気配がない。
「三井、いるか〜?」
大股で来店してきたのは、
白い革ジャン姿の大柄の男。
誰田 会津(だれだあいつ)という人だ。
同業者であり、書店界隈の先輩でもある。
時折、気まぐれで仕入れを手伝ってくれる。
強面だが、お人好しな性格で、
俺も含めて周囲からの信頼は熱い。
「誰田さん、今日はどうされました?」
「この前、即売会でいいもの見つけたから、
おすそ分けしようと思ってな」
「ありがとうございます。いつも、助かります」
「いいって事よ。また困った事があれば、
メールでも携帯でも、いつでも言ってくれ」
「ありがとうございます」
俺は、誰田さんから一冊の文庫本を受け取る。
タイトルは、“勿忘草”。
表紙は黄ばんでいて、
何故か、著者名が何処にも書かれていない。
無名作家の作品なのだろうか?
「すみません〜、遅れました〜」
文庫本を倉庫に閉まったタイミングで、
バイト店員の茜が到着した。
「ようやく来たか。
愛華ちゃんも、いらっしゃい」
茜の後ろにいるのは、鳴矢 愛華。
ウチの常連客で、
茜と同じ大学に通う茜の友人だ。
「あの、今日は三井さんに相談したい事があって来たんです」
「ほう、どうしたんだい?」
「実は、二日前にお姉ちゃんと喧嘩しちゃって…」
とりあえず、茜には制服に着替えるよう言い、
愛華ちゃんを、店の奥に案内する。
「今日は暑いからね、アイスティーでいいかい?」
「あっ、はい」
冷蔵庫からパックのアイスティーを取り出し、
ガラスコップに注いだ後、向かい合って席に着く。
「それで、なぜ姉ちゃんと喧嘩を?」
姉の名前は、鳴矢 舞花。
二人は双子の姉妹で、普段は、
互いに手を繋ぎ合うくらい仲がいい。
愛華ちゃんの話によると、
喧嘩の原因は、舞花ちゃんが幼い頃から大事にしていたガラス細工の置物を、
愛華ちゃんがうっかり壊してしまったのが発端らしい。
「私は、新しいのを買って弁償するって言ったんですけど、これじゃなきゃ駄目だって怒られて…」
「きっと、舞花ちゃんにとって何にも変え難い特別な思い出があったんだろうね」
その置物は、今は亡き祖母から貰った物だという。
「知り合いの技師に修理を頼んでみるよ。
時間がある時にウチへ持ってきておいで」
「本当ですか!?
「ああ、もちろん」
カモメ骨董品店に五代目店主の、
日高 歳三という人がいる。
骨董品店は通常、骨董品を売買する場所だが、
彼は、陶芸の制作も行っている。
彼の技術は凄まじく、
事情を話せば快く引き受けてくれるだろう。
「もしもし、日高さんですか?」
「おう。どうした、アキ坊」
俺は、固定電話から日高さんに電話を掛け、
事の経緯を端的に説明する。
「おっけー、持ってきてくれたらいつでもやるぜ」
「はい、よろしくお願いします」
交渉成立。
早速、茜と談笑している愛華ちゃんに報告する。
「お礼なら、日高さんに言いなね」
「はいっ!」
再び、愛華ちゃんに笑顔が戻った。
愛華ちゃんを店の外で見送った後、
カウンターに戻り、読書を始める。
「店長って、意外と人脈広いですよね」
「まぁな。経営するなら、
どの業界も実績と同じくらい人脈が大事だ」
「確かに、人との繋がりで得られるものは多いですしね」
「まあ、そういう事だ」

二章:生きてる絵画
平日の昼下がり。
いつもの様に、
レジカウンターでうたた寝していると、
誰かに肩を叩かれて起こされた。
目の前には、真っ赤なワンピースを着た赤毛の美女がいる。
怪訝な表情で、俺の顔を覗いている。
「なんだ、麗奈か」
「なんだって、何よ!」
欠伸をしながら、
上体を起こして彼女に向き直る。
彼女の名前は、雲雀 麗奈。
近所に住んでいる、そこそこ有名な画家だ。
全身赤一色にコーディネートするくらい、
赤に対してこだわりが強く、
派手な服も着こなす陽気な人だ。
主に、絵画の作品集や資料本等を購入している。
今回の相談内容は以下の通りだ。
「サルバドール・ダリと、
ルネ・マグリットの再販された画集、
フランシスコ・デ・ゴヤの画集、
オディロン・ルドンの画集が欲しいんだけど…」
「ちょっと待て、さすがに多すぎやしないか?
ダリとルネの画集ならうちにあるが、
ゴヤとルドンは少し待ってくれ」
「ったく、しょうがないわね」
「確か、ダリとルネの作品なら、
一九八七年に日本から出版された、
シュルレアリスム全集ってのがあった。
それでいいか?」
「ええ、いいわよ」
俺は、カウンターに置いてあるメモ用紙を取り、
彼女の要件を記入する。
「それと、もう一つお願いがあるんだけど」
「なんだ?」
「今日はちょっと、
どうしても寄りたい所があって、
一緒に来てほしいの。
お店閉めてからでいいからさ」
「デートの誘いかい?閉店後なら構わんよ」
「ホントに!?じゃ私、夜にまた来るね」
……………………………………………
午後八時ごろ。
店を閉めた俺は、
麗奈を相棒のワゴン車に乗せて、
高速道路を走っていた。
「生きてる絵画?」
「そう、この世界に一つしかないと云われている、
とても貴重なものなの」
「それがこの日本に?」
「ええ、そうよ」
「信じられん…」
「見れば分かるわよ」
カーナビを頼りに真っ直ぐ走っているうちに、
目的地へたどり着いた。
俺たちの目の前には、
大きなオフィスビルが建っていて、
入口の看板には、“サクラ芸術資料館”と書いてある。
俺たちは、地下の駐車場で車を降り、
関係者以外立ち入り禁止の裏口から、
麗奈のセキュリティカードでビルの中へ入る。
「私、ここの関係者なの」
「確か、麗奈の祖父が建てたんだっけか?」
「そう、私の祖父は歴史学者でね、
戦後のバブル期に建てたそうなの」
俺たちが向かったのは、
地下二階にある第三機密保管庫。
薄暗い廊下を進んだ先には、
金属でできた扉があり、
ここでは、十桁のセキュリティコードを入力して中へ入る。
「今更だが、俺が入っても大丈夫なのか?」
「大丈夫よ。
私の同伴者だし、貴方は口が堅いでしょ?」
「そうか…」
所狭しと積み上げられた資料本や骨董品の数々に、驚きを隠せないまま奥まで進むと、
鎖で厳重にロックされた大きな木箱を見つけた。
二人で木箱を開けてみると、
キャンバスの上に描かれた色彩豊かな絵画が出てきた。
「これよ、これ!」
頷きながら、歓喜の声を漏らす麗奈。
俺は、あまりの美しさに驚いて声も出なかった。
こちらに笑顔を向ける、美しい女性の肖像画。
肖像画なのに、パステルカラーで背景までしっかりと描き込まれている。
「これ、誰が描いたんだ?」
「私の祖父よ」
「君の祖父は、絵描きもしていたのか?」
「これは、学生時代に描いたものらしいのよね」
絵の中の黒髪の女性は、
作者の恋人なのだろうか?
言葉通り、まるで生きていると錯覚するくらいクオリティの高い絵画だ。
「この絵の女性はきっと、祖母の若い頃ね」
「そうなのか。それで、この絵をどうする気だ?」
「私は売ろうと思うんだけど、
仮に売れたら、この絵が幾らになると思う?」
「軽く百万は超えそうだな。
運ぶの手伝ってやろうか?」
「話が早くて助かるわ」
俺たちは、一旦絵画を木箱に戻し、
二人がかりで車まで運んだ。
「ワゴン車で正解だったな」
「そうね」

三章:未完成の遺作
大雨が降る夕刻に、
灰色の瞳を持つ金髪で長身の男性がやって来た。
歳は、五十半ばといったところか。
黒いスーツの上に、黒いトレンチコートを羽織り、黒いシルクハットを被っている。
英国紳士を彷彿とさせるその姿に、
思わず見入ってしまいそうになる。
それに加え、
ビジネスシューズまで真っ黒だから、
相当、黒にこだわりがある人なのだろう。
大きくて黒い傘を傘立てに置き、
店内をじっくりと回りながら欲しい本を探している。
「あの、すみません」
「はい、どうされました?」
突然、流暢な日本語で話しかけられて、
少し驚いてしまった。
「探している本があるんですけど」
「タイトルは何ですか?」
「“心から”です」
「わかりました、今店員に探させますので、
少々お待ちください」
すぐ様、倉庫で在庫の整理中の茜に声をかけ、
“心から”という本を探すよう指示する。
「あの、やっぱり私の容姿が気になりますか?」
「ええ、とてもハンサムな人だなぁと」
「ありがとうございます。実は私…」
彼の名前は、友永 英二。
旧姓は、サルバトーレ・ルナ・シャルロット。
フランス人と日本人のハーフらしい。
両親はイタリアで出会い、
父方の祖父母に反対されながら駆け落ちした後、
長男のサルバトーレを出産。
離婚した母と日本の岐阜県に戻るも、
精神病を患って自決した為、
養子縁組として一度施設に保護された。
そして、小学校五年生の秋に現在の義父母の家に引き取られたのだという。
今日は作家の義父が亡くなる前に書いた作品が、
この店にあると知り合いから聞き、
片道三時間掛けて来られた。
義父の遺産は、
三年前に亡くなった義母が管理していたが、
絶版となったその遺作だけは、
家中のどこを探しても見当たらない。
しかも、未完成のまま出版されたのだという。
「なるほど、事情は分かりました。
ウチは、古本も多く取り扱っていますので、
見つかる確率は高いと思いますよ」
「そうですか、ありがとうございます」
「いえいえ」
十分ほど経って、
ようやく茜がカウンターに出てくる。
「店長〜!ありませ〜ん」
「なに〜!!」
「トホホ…」
言ってる傍から、早々に希望が砕かれた。
さて、どうしたものか?
せっかく、遠方から来てくれたというのに。
「申し訳ございません」
「いえ、こちらこそ無理を言ってしました」
「それで、これからどうされるつもりですか?」
「これだけ探しても見つからなかったのだから、
素直に諦めるしかありませんね」
友永さんは、明日岐阜へ帰らなければならない。
できれば今日中に渡したいところだが、
それはどう足掻いても無理だろう。
「一応、知り合いにも聞いてみるので、
住所と電話番号を教えてください。
入手次第、郵送しますので」
「はい、ありがとうございます」
俺は、友永さんから住所と電話番号が記載されたメモを受け取り、友永さんは俺たちに軽く会釈をしてから店を出た。
友永さんが帰る頃には雨は止み、
辺りは再び静けさに包まれた。
そういえば、彼の義父はどんな人だったのだろう?
頑固な人だったのだろうか?
それとも、優しい人だったのだろうか?
それはまた後で彼に聞いてみよう。
「もしもし、誰田さんですか?」
「おお!三井か!こんな夜遅くにどうしたんだ?」
「実は、誰田さんに折り入って頼みたい事がありまして…」
俺は、誰田に電話をかけ、
一から順に事情を説明し、
その上で先程の件の相談をした。
もちろん、タダとは言わない。
見つけてくれたら、その見返りとして、
その遺作を買い取る他に、都内にあるチェーンの焼き肉屋で松阪牛を奢るつもりだ。
「話は分かった。三日待て」
「はい、よろしくお願いします」
………………………………
それから、
約束通り本を指定の住所に郵送した日の夜に、
友永さんからメールが届いた。
“先日は、
相談に乗って頂きありがとうございました。
本は無事に届きました。
本当にありがとうございます。
今度また、お礼をしに伺います。”
誰田さんが、相談してから三日目の朝にウチの店に本を新品の茶封筒に入れて持ってきてくれた。
友永さんには、
“こちらこそ、お役に立てたようで光栄です。
用がなくても、
また何時でも気軽にいらしてください。”
とだけ打って返信した。
義父が遺したという“心から”のあらすじは、
彼がまた来店した時にでも聞くとしよう。
「さてと、次はどうするか」


END
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