妖精のせいです

文字数 1,949文字

 最近、妻が妙なことを口にするようになった。「妖精がいる」、「妖精が家の中を覗いている」、どれもこれもファンタジーチックな戯言だ。「妖精」という単語が何かの比喩なのか、あるいは本当に妻の目には童話や歌謡などに登場する妖精が見えているのか……。

 妻は、私よりも三歳若い。制服を着せたら高校生と間違えられるほどの童顔の美人だが、年齢は二十で立派な大人だ。酒も飲むし、セックスもできる。妻の美貌に魅せられた男が、身体の付き合いを求めることも少なくはないだろう。

 私は妻が見ている「妖精」が浮気相手の比喩ではないかと考えた。私が自宅にいる時、訪ねてきた浮気相手の男を隠すために「妖精が見えている」などと言って誤魔化す、あるいは浮気相手の男が逃げる時間を作っていたのではないだろうか。

 妻にしか見えない「妖精」の正体が気になった私は、妻の身辺調査を探偵業者に依頼した。そして一週間後、私は探偵業者と喫茶店で会い、結果を聞いた。

 やはり、私の読み通りだった。妻は私の知らない男と浮気していたのだ。探偵業者が撮った写真には、妻と男が腕を組みながらホテルへ入っている様子が写っていた。しかも、毎日だ。妻は毎日、私がいない間に知らない男と会い、ホテルに入っていたのだ。

 探偵業者と別れた後、私は自宅に直行し、妻に浮気の件について厳しく追及した。妻の裏切り行為を「若気の至り」で済ませられないほど、私は激昂していた。

 だが、激昂する私とは対照的に、妻は落ち着いていた。まるでこうなることがわかっていたかのような落ち着きぶりに、私は困惑した。

「あなたに見せたいものがある」

 そう言いながら、妻は自室から一枚の写真を持ってきて私に見せた。そこには、私と、見知らぬ一人の女が腕を組んでホテルへ入って行く様子が写されていた。

 私は驚愕した。身に覚えがない、というのも驚いた理由の一つだが、一番信じられなかったのは、私と腕を組む女の格好だ。くすんだ金色の髪を巻貝のように編み、着ている服は乳房の形がわかるほど薄っぺらい緑色のワンピース、背中には自身と同じ大きさの蝶の翅を生やしていた。「妖精」という例えがしっくりくる見た目のその女は、自分が撮られていることをわかっているかのような笑みを浮かべて、視線をカメラに向けている。

「なんだこれは! こんな女知らないぞ!」

「嘘つくな! あんただって浮気しているじゃん!」

 私はもう一度、妻が持ってきた写真を見た。何度も目を擦り、注意深く観察する。これは合成写真なのか、あるいは私が忘れているだけなのか。写真が本物か偽物か判別できず、私は頭を抱えた。

「……何もおぼえていない」

「証拠があるのにとぼけるの?」

「こっちだって、お前が他の男とホテルに入った証拠を持っている。こっちの写真はお前の写真よりも信ぴょう性があるぞ。わざわざ探偵を雇って手に入れた写真だからな。でも、お前の方は嘘みたいな写真じゃあないか。自分の浮気を正当化するために用意した偽物で騙せると思ったのか?」

「偽物じゃあない! 私の写真も、あんたの写真も!」

「なら、お前は自分の浮気を認めるんだな? 隠れて会っていた男は誰だ?」

「ネットで知り合った男。あんたが会っていた女は誰なの? 何度も家に来て、中の様子を覗いていた変態と、どこで出会ったの?」

 最近、妻が口にしていた「妖精」の正体が、写真の女であることはわかった。

 妻が浮気していたのは事実だし、写真の女も実在する。妻は浮気を隠すために戯言を吐いていたわけではなく、本当に見ていたのだ。

「この妖精みたいな奴を直接この目で見るまで、写真が本物だと信じることはできない」

「見て、どうするの?」

 妻が聞きたいのは今後のことだと思った。浮気するような奴と付き合っていけるのか、という不安を妻は抱いているのだ。

 ふと、妻ではない誰かの視線を感じて私は辺りを見回した。私たちがいるリビングの窓の外——ベランダに誰かが立っているのだ。そいつは写真の中で私と一緒にホテルに入ろうとしていた、妖精みたいな格好の女だった。

「あいつ……!」

 睨みをきかせて私が立ち上がった瞬間、妖精みたいな女は金色の鱗粉を振り撒き、フッと煙のように消えてしまった。

 絶句する私を見つめて、妻が言う。

「今、そこにいたの? じゃあやっぱり、あんたは浮気していたんだ……」

「いや、違う」

 私は大きくかぶりを振った。

「騙されたんだ。全部妖精のせいだ。妖精に騙されたんだ」

 私は自分が犯した罪をすべて妖精に擦り付けることにし、そっとズボンのポケットに手を入れた。

 そして、コスプレ専門の風俗店で手に入れた名刺を静かに握り潰した。

                                           〈了〉
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