わたしの男 1

文字数 1,531文字

   

「結局ただのいい訳よね」
 ひとつため息をついて玲奈がいった。
「自己満足でしょ。悠人の気持なんかぜんぜん考えてないわ」
「だから、傷つけたことをあやまりたいだけなの」
 しつこいな。玲奈の目がさらに険しくなる。
「いまさらなのよ。わかってないわね。そんなのはもういらないの」
 それに、と玲奈はきりっとにらみつける。
「理由はどうであれ、昔の女が付きまとうのが目障りなのよ。じゃまでムカつくわ。あなたが消えるのが悠人にもわたしにも最善なのよ。あなたの気持なんてどうでもいい」
 なおも口を開こうとする佳乃を玲奈はさえぎった。
「まだなにかいう気? ほんと空気を読まないわね。時間の無駄よ。悠人に聞かせる価値もない。もう終わったことだし、悠人には関係ないもの。これ以上じゃましないで」
 悠人のじゃまをするヤツは、何人(なんぴと)たりともゆるさない。怒りが爆発しそうなのを、必死でこらえてできるだけ静かにいった。玲奈はバッグからクリアファイルを取り出した。
 青ざめてだまりこんでしまった佳乃に一枚の紙を突きつける。
「これに署名捺印して」
「えっ?」

   誓約書

 わたくし加藤佳乃は、今後一切.future及び森悠人に接触いたしません。

「いつのまに……」
 唖然とする涼太郎をよそに、玲奈はボールペン、印鑑、朱肉を並べた。
「印鑑は百均で買ってきてあげたわ。感謝してね。さ、書いて」
 思わず涼太郎は吹きだした。
「いやいや、またこれを見るとは……」
「コレクションになりつつあるわね」
 戸惑いを見せる佳乃に、玲奈は追い打ちをかける。
「ほら、はやく。拒否する権利はあなたにはないのよ」
 追い立てるようにふるえる彼女にペンを握らせ、署名させる。それから印鑑にていねいに朱肉をつけて渡してやる。佳乃は観念したように印鑑を押した。ひったくるようにその紙を取り上げて確認をする。
「じゃあ、これ持って」
 誓約書を佳乃に持たせると、その姿を写真に撮る。あとで書いてないとかいわれると面倒だから、と玲奈はいった。
「印鑑はさしあげるわ」
 そういうと、誓約書をもとのクリアファイルに収めた。
「あんたなんか、この紙きれ一枚で封じ込める程度の存在なのよ。わかった?」
 玲奈は青ざめた彼女に、冷酷にいい放った。それを見て、涼太郎は立ちあがった。
「どうぞゆっくり食べてって」
 手つかずの料理を指した。
 玲奈も立ちあがった。
「悠人にはわたしがついてるから、御心配なく。あなたはさっさと島に帰って海底漂ってなさい」
 いまにも泣きだしそうな佳乃を残してふたりは店を出た。

 店を出てつかまえたタクシーに乗りこむ。ふたりで、はあっと大きなため息をついた。
「悠人はあれのどこがよかったのかな」
 玲奈の本音がこぼれた。
「正直、俺もわからないんだよな。高校卒業してからは会うことも少なかったし。俺と佳乃の接点もあまりなかったしな」
「そうか」
「気にするな。昔のことだ。悠人も若かったし、別れた後で変わったこともあるだろう」
「そうね」
 玲奈のもやもやはいまいち晴れないが。
 見事な玲奈節だったな、と涼太郎は思った。これを見たのはあれ以来二度目だ。悠人のために必死なんだなぁと改めて思う。
 今回はもちろんだけれど、前回だって悠人がいなければ、あるいは悠人の気持が玲奈に向いていなければ、なかったはずだ。離婚に踏ん切りがつかなくて、いまだにぐずぐずと三角関係を続けていたかもしれない。
 きょうだって相当腹が立っていたはずなのに、それを押し殺して冷静に理路整然と佳乃を追いつめた。ぐうの音も出ないほどに。
 愛なんだなぁ。そう思ったらふっと笑ってしまった。
「なに?」
 場違いな笑いに、玲奈の声に険が混じる。
「いや、きみを敵にはまわしたくないな。おそろしい」
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