第1話 こっくりさん孝
文字数 3,367文字
本であふれかえり、黴の香りが満たす空間。
そんな中、だしぬけに円藤沙也加が語り掛けてきた。
彼女はこの古書店のオーナーである。
漢字では狐、狗、狸と書く遊戯です。
机の上に1から9までの数字と男、女、はい、いいえという文字と鳥居が書かれた紙を用意し、その紙の上に十円玉を置いて参加者の指を添えるのです。
それから「こっくりさん、こっくりさん、おいで下さい」と唱えると十円玉が動き出し、様々な質問に答えてくれるという、交霊術に基づいた……
することと言えば退魔。幽霊とか悪魔とかに苦しめられる人々を救うための活動に追われる日々……
つまり、退魔に青春を殺された少女の翼、というわけなのです。必然、友人とショッピングとか学校の七不思議を語り合うとか、こっくりさんをするといった学生的なイベントをことごとくスルーしてきたのですよ。
こっくりさん。他愛のない遊びである。僕には本当に動くとも思えない。
……思えないのだが。
薄暗いテナントの中―――蛍光灯のくすんだ光と黴の独特のにおいが広がるこの空間においてだと、妙に雰囲気が出てしまっている。
まぁ確かに定番の展開です。
古くはつのだじろう氏の『となりの百太郎』から、近年は洒落怖のネットロア、『超コワすぎ!』などのホラービデオまで、軽率にこっくりさんを行ってとんでもない目に会い、知り合いの霊能力者に協力を抱くというのはテンプレ中のテンプレですね。
……ただ、僕にはそれだけにも思えない。
おそらく沙也加はこっくりさんをすることで怪異と出会うことを望んでいる。
彼女は退魔師であるが霊能力を持たない。
生まれてこの方、怪異を視たことがないのだという。
だから―――もし、会えるのなら会いたいと。彼女はきっとそんなことを思っている。
空間が異界化していくような、予感とも期待ともつかない気持ちが僕たちの間に流れ始める。
お出でならば『はい』まで動く。そうしなければこの儀式は始まらない。
だが、十円玉の上で僕たちは手を重ね合わたままで、まんじりとも動きはしなかった。
かの万能の天才、レオナルド・ダヴィンチの手記にもこのターニングテーブルに関する言及があります。
少なくとも15世紀以降のヨーロッパで流行していたゲームが日本に来てこっくりさんという名前を付けられたといわれています。
そのこっくりさんにしても、狐狗狸という字自体が後付けで、もともとは机が『こっくりこっくり』と動く様子を表したものだとか。
これ、日本のこっくりさんとはルールがかなり違うのですよ。
まず来ていただく儀式とお帰りいただく儀式がない。
自然に始まって自然解散というかなり緩いルールです。
加えてこのウィジャという言葉も、フランス語のOUIとドイツ語のJAから来ているのですが、どちらも『はい』という意味なのです。
近代以降の日本は妖怪や修験道などと言った市井の怪異を解体し、科学と国家神道というイデオロギーで全てを支配しようとした時代でした。
既存の伝統的なオカルトを悉く駆逐し、神道を『作られた伝統』として教育していく。
……しかし、そうして怪異が駆逐されたとしても、別の怪異がこの世界に蔓延っていく。
それが西洋から齎されたゲームが元ネタで、いかにも日本的な名前が付けられたというのは皮肉と言いますか、面白い現象といいますか。
薄暗い部屋の中、数人の男女が手を重ねて精霊に質問をする―――という。
マイルドに言うと当時の合コンみたいな催しの余興だったみたいなのですね。
あるいはカップルが肝試ししたり、お化け屋敷に行ったり。そういう感じです。
こっくりさんという儀式においてはご法度の行動である。
かと思うと再び十円玉に手を置く。
―――10円玉が動いた。
こ、ろ、す―――
と、同時にオチが読めてしまう。
コロ助。
藤子F先生の名作漫画のマスコットキャラの名前である。
当時読んだときは結構笑ったんだけど。
今こうして実際にやられてみても、なぜ今それをチョイスしたという突込みしか浮かばない。
そして客も無し。
結局いつものごとく、生産性のない駄話に終始した。
お後は全く宜しくない。これもまたいつものことである。