文字数 1,584文字

「ねぇ、生きる意味ってなんだと思う?」
 テトラポットに座り込み、私はゆっくりと言葉を紡いだ。静かに解き放たれた言葉は風によって運ばれ、隣に座る彼は無言のまま首を振った。
「死ぬ理由を知っている人だけが、その答えを知っているよ」
 青白い月に照らされた海は、天界へと続く柱を映し出し、私の琴線に触れた。その景色が、自分の言葉が、最後の時間を告げているようだった。
「だったら、私には分かるかもしれない」
 隣から失笑が響く。彼のクスクスと笑う声が嘲笑にみえ、思わず私は赤面した。
「きっと無理だね。君は口では不幸を口にするけど、心はまだ期待してるだろうから」
「そんなこと、思ってないわ」
「いいや、思ってるさ。心で不幸を唱えているのかもしれない。それでも、君が無意識で奇跡を願って、助けが来ることを望んでいる」
「違うわ。それは違う」
「違わない。だって、実際、君は僕に話しかけた。もしかしてを信じて」
「そんな、こと」
「そんなに否定しなくてもいいよ。だって、生きる意味が分からないのは幸福なことなんだ。具体的に言葉にできてしまうほど、儚い日々を送っていないのだから」
「それでも、私は言葉にしないと不安になるの。安心したい。それだけなの、私は。明確にこれと定められて、それだけのために生きたいの」
「具体的な意義を見つけてしまうと、それを叶えた後が虚しいではないか」
「そしたら、また、新しい意義を見つけるだけだよ」
「もう、諦めな」
 静かだった世界に波が立った。耳に響いた波の音。改めて、私は周りを見渡した。連なって並ぶテトラポット以外、何もない。本当に何も。目に見える光景は海一色だった。
「苦しさが心地よいと思っている君には決して行動は起こせない」
「そんなことないわ。私はこの苦しみから抜け出したいだけなの。それだけなの。本当よ。嘘じゃないわ」
 その言葉を後に、暗い沈黙がやってきた。白い月の雲隠れ。一気に辺りは黒く、重く沈んでいった。
「ねぇ、見えない?」
 声が聞こえた。私はその声を合図に目を凝らして何かを見ようとしたが、視界は依然として暗澹と染まっている。私は何も答えられなかった。
「そっか」
 そうして、服と砂が擦れる音がした。
「どうして、立ち上がったの?」
 僅かの恐怖を抱きながら、彼の方に目をやった。まだ、何も見えない。
「君は、死ぬにはまだ早いよ。死にたいと心から願って、首をくくる人にしか、この美しさには気づかない」
 その言葉を最後に、月が顔を出した。一気に視界が良好となって、彼の顔が現れた。
「あなたは気づいたの?その、死ぬ意味について」
 震えた声で言った。彼は首を振った。
「分からないよ。死にたいと思っていることに、動機はあるけど、理由はないから」
「それって、矛盾しているじゃない」
 彼は整った歯並を見せていた。その笑顔に、言葉を失った。
「そうさ。それが本質さ」
 それだけ言って、彼は海に飛び込んだ。水面が激しく飛び上がり、波が彼を運んでいく。深く、暗い、海の底に。再び平静に戻った海。その水底から、泡がブクブクと膨らんで、小さな音を届けながら、海中から顔を出した。白波が、テトラポットに当たっては、もっと白んで落ちてゆく。
 その勇気が、何よりも羨ましかった。そして、美しかった。最後まで彼は何も告げることはなく、全てを隠したまま、新たな旅路へ赴いた。その秘匿に酔いしれることなく、絶望と抱き合ったまま。あぁ、羨ましくて仕方がない。
 逆なら良かったのに。
 私が彼くらいの勇気に富んで、彼が私くらいに臆病だったら。そしたら、私の人生は鮮やかに彩られたというのに。それなのに。私は一体、この無意味な苦しみから、どれほどの辛抱の果てに解放されるのだろう。
 生きるのが苦しい。死ぬのも怖い。
 軟弱者。それが私。
 そんな私が、せめて苦痛を伴わずに暮らしていくには、何を隠していけばいい。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み