第1話

文字数 2,617文字

ごめんなさいね、お嬢さん。相席、お願いできる?
その言葉に、私は、頼んだ定食を食べる手を止め、顔を上げた。このような提案は、断るほうが無礼と言うものだろう。
「はい。どうぞ。」
私の了承に、店員の方はどこかホッとしたようにお礼をいった。...確かにこの店はくたびれたサラリーマンのような人が多い。多分、平然と断られ続けて来たのだろう。私は自分の配慮を自画自賛しながら、相席の相手へと目を向けた。失礼します、といって入ってきた青年は、苦学生、と言わんばかりの様子をしていた。モジャモジャしてあまり手入れされていない髪、目が見えないほどに分厚い瓶底眼鏡。どことなくおどおどとした様子からは、相席への気まずさが見えた。そりゃあ、誰だって知らない相手と食事なんて気まずいだろう。私だって、できることなら避けたかった。しかしまあ、袖振り合うもなんとやら、というし、とりあえず話題を振ってみよう。
「あ、えーっと、もしかして、それってエビフライ定食ですか?サバ味噌と悩んだんですよね...」
うん。気まずい。頼むから何か返してくれ。泣いてしまう。
そんな期待が届いたのか、彼は顔を少し上げて、この店の料理は何でも美味しいですよ、と教えてくれた。
「そうなんですか。もっと早く知りたかったです。」
その言葉に、彼はどこか気まずそうに、はあ、とだけ答えた。次の話題を考えなくては。しかし私も世間知らずの身、そう簡単に話題が思いつくはずもなく、仕方なく彼の持つ本へと目をやった。
「そ、その本、懐かしいですね!」
必死に彼の持つ本を指さした。少なくとも、作者名には見覚えがある。しかし、これは今日発売された、新人作家の処女作なのだと返されてしまった。少し彼から本を借り受ける。
「良かった。書けたんだ...。」
見覚えのある文体に、見覚えのあるストーリー。間違いなく、あの子が書いたのだと確信した。
「二人で、世界の話をしたんです。私の話を最後まで聞いてくれたのは、あの子だけだったんですよ?」
へえ、と答えた彼の目に、どこか、私への興味が宿ったように感じた。もしかしたら。もしかしたら、あの子の物語を発売初日に買うような彼なら、私の話に興味を持ってくれるのかもしれないと感じた。その目に、興味を惹かれた。...何よりも、時間が来てしまった。
「一村雨の雨宿り、といいます。少しだけお話をしましょう。

 ...あなたは、「この世界は何なのだ?」と問われて答えられますか?」

さも嫌そうな顔をされてしまった。諦めてほしい。こんな面倒な女と相席になってしまったのが運の尽きだ。
「...答えになるのか、わかりませんが。それがわからないから、今、こうやって勉強しています。...関心関心、とでも言いたげな目はやめてください。」
うん。関心した。とはいっても、勉強のことについてではない。今まで聞いたことのない答えだったので、思わず感嘆してしまったのだ。
「とてもいいこと、だと思います。私はそこまで勉強が得意ではありませんから。」
この人にだったら。真実を教えてあげるのもやぶさかではない。そう思ってしまった。
「でも私、この世界についての真実、一つだけ知ってるんですよ?」
言っちゃった。あの子にしか教えたことないのに。知りたいでしょう?と目配せをすると、呆れたようにため息をつかれてしまった。うん。あれはイエスという意味だろう。そうに違いない。
「この世界は、私が「目線」に見つかるまでしか生きられないんですよ。」
「...は?一体何を言っているんですか?」
ひどく当たり前の反応をされた。いや、変な回答を期待していた私が悪いのだが。
「この世界は、「目線」に監視されているんです。そして、ちょうどよい時間になったら、私と「目線」はお互いを認識します。...その後は、大人しくその場で待機するだけです。そうすれば、あちらが勝手に私を見つけて、この世界を閉じてくれますから。」
不審者だと思われてるだろうなあ。私だって、急にこんな事言われたら信じられないに決まっている。
「すみません、おっしゃっている意味がわからないのですが...」
答えてあげたいが、この話をすると決めたとき、もうすでに私は「目線」を認識していたのだ。...だから、どうしようもない。
「そろそろ、ですね。お話に付き合っていただいたお礼に、今回は少し抗ってみます。…せめて、あなたがエビフライを食べ終わるくらいまでは。」
彼が私を制止する声を聞き流して、店員さんに代金を差し出した。
「すごく美味しかったです。ごちそうさまでした。」
よし。とにかく一刻も早く逃げねば。まずここから離れて少しでも遠くにーーーーーー
「あの!」
私の思考は彼の声によって遮られた。振り返って彼を見る。
「名前、教えてもらってもいいですか。」
ああ、そういえばまだ名乗っていなかった。最後にそのくらいのわがままは許されるだろう。
「夢野、です。私の名前。記憶の端にでもとどめておいてください。...では、また!今度機会があったら、エビフライ、食べに来ますね!」
そう言って店を駆け出した。...彼がすごく速読派でご飯を余り噛まずに食べるタイプだと信じよう。


「夢野、です。私の名前。記憶の端にでもとどめておいてください。...では、また!今度機会があったら、エビフライ、食べに来ますね!」
彼女はそう言って店を駆け出していった。口にエビフライを運ぶ。うん。少し冷めてるが美味い。
本のページをめくる。

『それは誰にも見えないものだと彼女は言った。』

走る。「目線」が迫ってくる。まだ、まだ時間を稼げる。大丈夫。私なら行ける。

『その日がいつやってくるのか、誰にも予測できない。しかし、それは必ずやってくる。彼女は静かにそれを待っている。』

「目線」に追いつかれた。必死に目を向けられないようにする。まだ、まだ大丈夫だ。

『恐ろしいその目を。ただ、こちらを一方的に見る目を。僅かに感情が読み取れる目を。
まるで、こちらを物語のように見下ろす目を、彼女は待っていた』

目があった。消えていく。自分が。世界が。「目線」が。
「ちゃんとエビフライ、食べ終わった、かなあ…?」

『彼女の名前は、夢野 おわり。夢の、世界の終焉を意味するその名前を、彼女は嫌っていた。』




ぱたん。
「うーん、なかなか面白い小説だった。ただ、最後ちょっと間延びしていたかな?残念。もっとスパッと終わればよかったのに。」
「目線」は次の夢に目を向けた。
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