60秒のコーヒーブレイク
文字数 2,109文字
−煮詰まってきたな−
わたしは椅子から立ち上がり、軽く腰を叩いた。一度伸びをしてから、休憩室までの狭い通路を進む。10人くらいしか座れない、狭い休憩室に鎮座するカップ式自販機でホットコーヒーを買うのが、ここ最近のわたしの習慣だった。
去年までは、昼休憩のあとに近くのカフェでコーヒーをテイクアウトしていた。しかし、春先に流行した疫病のせいで、行きつけのカフェは臨時休業になってしまった。たかが1ヶ月、されど1ヶ月。店が閉まったその間に、休憩室のカップ機の存在に気づいた。自販機のコーヒーはあまり美味しくないという先入観があったが、1杯ずつ豆から挽いているらしく意外といける。それを知ってからというもの、カフェが再開した今でも午後のまどろみ時、息抜きのよき相棒だ。
お世話になっているカップ機だが、ひとつだけ不満がある。それは、購入ボタンを押してからコーヒーができるまで、1分近くかかることだ。
カフェで注文してからコーヒーを受け取るまでは、もっと時間がかかった。それでも、ボタンを押せば一瞬で飲み物が手に入る普通の自販機からするとだいぶじれったい。自販機が何台も並ぶ休憩室にいると、どうしてもカフェより他の自販機と比べてしまう。
そんなとめどない思考を巡らせていると、廊下を歩く靴音が聞こえてきた。
「おつかれさまです」
「おつかれさまです」
振り返ると、同僚の三上さんが柔らかい笑みを浮かべて、わたしの後ろに立った。
「更科さんも小休憩ですか」
「はい。いつも被りますね」
「そうですね。偶然です」
本当にそうだろうか、と思いながらわたしは曖昧な笑みを返す。
休憩室でコーヒーを買うようになってから、付随して起きた変化がある。この三上という男性社員と知り合いになったことだ。三上さんがコーヒーを買っているときにわたしが出くわすこともあれば、その逆もある。特に最近は、逆のパターンの方が多かった。部署が違うし、席も遠いから、本当に偶然という可能性も無くはないが…
「今週、3回目ですね」
「ははっ、毎日会ってますね」
三上さんはそういって頭をかいた。
そう。偶然とは思えないレベルで、会う頻度が高いのだ。
「最近うちの部署の人たち、在宅勤務が多いので。こうして更科さんと話せるのは嬉しいですよ」
「あ、それはわかります。出社してても何となく、事務所でおしゃべりするのが気が引けて。会話が減りましたね」
「ええ。それに、更科さんのお話は面白いですし」
しかも、少し好意を示されている、気がする。
「そうですか?」
「はい。会社の近くに猫カフェがあるなんて、更科さんの話を聞くまで知りませんでした」
「早上がりのときに行くと、癒されるんですよね…でも、最近は行けてないので写真で我慢です」
カチッという音がしてカップ機の扉が開く。コーヒー取り出して横にずれながら、わたしは手に持っていたスマホをいじった。
「更科さんの猫コレクションですか」
素早く自販機のボタンを操作した三上さんが、わたしのスマホを覗き込んでくる。
「コレクションってほどじゃないですけど。猫の写真をアップしているサイトをいくつか見てるだけなので。でもこれとか。短い動画になってるので、静止画よりもさらに癒されますよ」
「おお、もこもこだ」
「すごいですね、この子」
「更科さん」
「はい」
「この猫のサイト、URL送ってもらってもいいですか」
「いいですよ」
話しの流れで頷いてから、三上さんが間髪入れずに私用のスマホを取り出したことに気づいた。
「さすがに社用携帯で開くのは気が引けるので…できればこちらに」
「あ、はい、そうですね」
わたしは会話のスピード感に戸惑いながらも、三上さんと同じメッセージアプリを立ち上げた。
「コード出してもらっていいですか」
「はい」
言われるがままに指を動かし、あっという間にアプリの上部に「三上 瑞希」というアイコンが表示される。
「名前、瑞希さんって言うんですね」
「っ、はい。よく女子みたいだと言われます」
「いいんじゃないですか。さわやかな感じで」
そういった瞬間、三上さんの手元でカチッと音がしてカップ機の扉が開く。しかし、彼はカップを手に取ろうとしない。
「三上さん?」
声をかけて顔を見上げると、目が合って、彼がびくっと震えた。
「あっ、いや、なんでも、すみません」
「コーヒー、できたみたいですよ」
「は、はい」
右手にスマホを、左手にコーヒーを持ち、三上さんは急ぎ足で歩いていく。
「あの」
ぎくしゃくした背中に声を掛けると、
「連絡します!」
それだけ大きな声で言って、振り返ること無く歩いていった。
−この反応は、やっぱり……−
わたしはここ数日の予感は間違っていなかったと思いながら、三上さんに紹介する猫の画像サイトをピックアップすることをto doリストに記して事務所に足を向ける。
−今日の終業後、ちょっと楽しみ−
事務所へ向かう足取りは、ここ数日で一番軽かった。
わたしは椅子から立ち上がり、軽く腰を叩いた。一度伸びをしてから、休憩室までの狭い通路を進む。10人くらいしか座れない、狭い休憩室に鎮座するカップ式自販機でホットコーヒーを買うのが、ここ最近のわたしの習慣だった。
去年までは、昼休憩のあとに近くのカフェでコーヒーをテイクアウトしていた。しかし、春先に流行した疫病のせいで、行きつけのカフェは臨時休業になってしまった。たかが1ヶ月、されど1ヶ月。店が閉まったその間に、休憩室のカップ機の存在に気づいた。自販機のコーヒーはあまり美味しくないという先入観があったが、1杯ずつ豆から挽いているらしく意外といける。それを知ってからというもの、カフェが再開した今でも午後のまどろみ時、息抜きのよき相棒だ。
お世話になっているカップ機だが、ひとつだけ不満がある。それは、購入ボタンを押してからコーヒーができるまで、1分近くかかることだ。
カフェで注文してからコーヒーを受け取るまでは、もっと時間がかかった。それでも、ボタンを押せば一瞬で飲み物が手に入る普通の自販機からするとだいぶじれったい。自販機が何台も並ぶ休憩室にいると、どうしてもカフェより他の自販機と比べてしまう。
そんなとめどない思考を巡らせていると、廊下を歩く靴音が聞こえてきた。
「おつかれさまです」
「おつかれさまです」
振り返ると、同僚の三上さんが柔らかい笑みを浮かべて、わたしの後ろに立った。
「更科さんも小休憩ですか」
「はい。いつも被りますね」
「そうですね。偶然です」
本当にそうだろうか、と思いながらわたしは曖昧な笑みを返す。
休憩室でコーヒーを買うようになってから、付随して起きた変化がある。この三上という男性社員と知り合いになったことだ。三上さんがコーヒーを買っているときにわたしが出くわすこともあれば、その逆もある。特に最近は、逆のパターンの方が多かった。部署が違うし、席も遠いから、本当に偶然という可能性も無くはないが…
「今週、3回目ですね」
「ははっ、毎日会ってますね」
三上さんはそういって頭をかいた。
そう。偶然とは思えないレベルで、会う頻度が高いのだ。
「最近うちの部署の人たち、在宅勤務が多いので。こうして更科さんと話せるのは嬉しいですよ」
「あ、それはわかります。出社してても何となく、事務所でおしゃべりするのが気が引けて。会話が減りましたね」
「ええ。それに、更科さんのお話は面白いですし」
しかも、少し好意を示されている、気がする。
「そうですか?」
「はい。会社の近くに猫カフェがあるなんて、更科さんの話を聞くまで知りませんでした」
「早上がりのときに行くと、癒されるんですよね…でも、最近は行けてないので写真で我慢です」
カチッという音がしてカップ機の扉が開く。コーヒー取り出して横にずれながら、わたしは手に持っていたスマホをいじった。
「更科さんの猫コレクションですか」
素早く自販機のボタンを操作した三上さんが、わたしのスマホを覗き込んでくる。
「コレクションってほどじゃないですけど。猫の写真をアップしているサイトをいくつか見てるだけなので。でもこれとか。短い動画になってるので、静止画よりもさらに癒されますよ」
「おお、もこもこだ」
「すごいですね、この子」
「更科さん」
「はい」
「この猫のサイト、URL送ってもらってもいいですか」
「いいですよ」
話しの流れで頷いてから、三上さんが間髪入れずに私用のスマホを取り出したことに気づいた。
「さすがに社用携帯で開くのは気が引けるので…できればこちらに」
「あ、はい、そうですね」
わたしは会話のスピード感に戸惑いながらも、三上さんと同じメッセージアプリを立ち上げた。
「コード出してもらっていいですか」
「はい」
言われるがままに指を動かし、あっという間にアプリの上部に「三上 瑞希」というアイコンが表示される。
「名前、瑞希さんって言うんですね」
「っ、はい。よく女子みたいだと言われます」
「いいんじゃないですか。さわやかな感じで」
そういった瞬間、三上さんの手元でカチッと音がしてカップ機の扉が開く。しかし、彼はカップを手に取ろうとしない。
「三上さん?」
声をかけて顔を見上げると、目が合って、彼がびくっと震えた。
「あっ、いや、なんでも、すみません」
「コーヒー、できたみたいですよ」
「は、はい」
右手にスマホを、左手にコーヒーを持ち、三上さんは急ぎ足で歩いていく。
「あの」
ぎくしゃくした背中に声を掛けると、
「連絡します!」
それだけ大きな声で言って、振り返ること無く歩いていった。
−この反応は、やっぱり……−
わたしはここ数日の予感は間違っていなかったと思いながら、三上さんに紹介する猫の画像サイトをピックアップすることをto doリストに記して事務所に足を向ける。
−今日の終業後、ちょっと楽しみ−
事務所へ向かう足取りは、ここ数日で一番軽かった。