第1話

文字数 4,998文字

 放課後の部室棟裏、青空はすっかりオレンジ色に変わっていて耳をすませばセミの鳴き声が微かに聞こえてくる様な情景だった。女子高校生は体の前で堪え切れない気持ちを留める為にぎゅっと両手を組んでいる。目の前にはあの憧れの先輩が部活終わりというのに着替えないままのユニフォーム姿で女の子を見つめている。その男子高校生は、はにかみながらこちらをじっと見ている。運動後の汗が髪の毛を湿らせていて、何とも男らしい感じだった。女子高校生は意を決した様に自分より10cm上に目線を移し、相手の顔を見てこう言った。

「あなたの事が…好き…!!」

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 女子高校生がサッカー部の男子高校生に告白するあのシーン。実際は某デオドラント用品のCMで、それに出演している女性は最近名前が出て来た若手女優。CMというのは今でも意外に威力があるもので、誰だという関心が集まるとSNS等で話題になったりと出演者、スポンサー双方に有益な事象が起こる事がある。実際はそれを期待して作られているのだが。

清純なイメージを前面に押し出したCMとなっており、歴代の出演女優はいずれもブレイクしていると言われたシリーズで、彼女はデビューも間も無いこの段階でスターの扉を開いたのだった。

「この!顔が!とても良い!!」

そのCMを見ながら興奮ぎみに話すのはマネージャーの河合という男だ。この河合は情熱的な男で、自分の担当芸能人には頑張ってもらいたい、売れてもらいたい。しかしその為には自分が努力しなければと何でも買って出る一生懸命で真面目な性格だった。そして声もデカい。

「いや~青ちゃん、この仕事取れて本当に良かったよね!俺頑張った甲斐があるよ~」

「まあ、そっすね。ありがとうございます。」

その姿を少し引いた目で見ているのは若手女優の篠田青。芸能界デビューしてからまだ1年程しか経っておらず、しかも現役の高校3年生だ。元々の性格や交友関係等は清純派とはお世辞にも言えないタイプの若者である。しかし、メディアというのは何ともイメージが大事なので、今期待の清純派若手女優というキャラを頑張って演じている。

この波に乗れば徐々にテレビ露出も増え、SNSでのファンも増え、順調な滑り出しと事務所もマネージャーも期待の人材だった。

だが、成功、俗に言う売れるというのは私生活の荒廃を生み出すきっかけをどんどんと生み出す。そこにハマってしまうともう抜け出すのは困難な事だ。

イメージというのが大事な日本の芸能界。いやそれだけには限らないが、一回の失敗、イメージダウンというのはこの国では致命傷なのだ。何かしらの疑惑や交友関係、ネットでの批評、まるで皆が誰かの粗捜しをしているかの如く。何かしらで躓いてしまった芸能人は再び立ち上がり歩き出すというのは中々出来る事では無い。例として海外では失敗から立ち直る事を再評価する事例も多いと聞くが、SNSやネットの使い方が異なる文化との比較はあまり参考にはならない。

「あたしにはそんな事有る筈無いわ。」

そう吐き捨てた篠田にも今となっては苦い思い出になっている。

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 8時からドラマの撮影で13時から雑誌の取材、14時からファッション誌の撮影、16時から再びドラマの撮影、20時からバラエティ番組の撮影のスケジュールだった。時間だけ見るとそこまできつくは無いように思えるが、慣れない現場でぎこちない演技に対する自己嫌悪や十分な休息の取れないストレス、予定通りにいかない撮影時間。様々なメンタルへの負荷が仕事量以上に篠田を疲れさせた。最後の撮影も予定より1時間程押しでの終了で、帰宅したのは日付が変わるまであと少しといった頃だった。へとへとになりながらも、高校生の彼女は、まだそれに耐え切れる程の精神力は持ち合わせていなかった。

幾度となく河合は体調を気にかけ、女の子の好きそうな食べ物を買ってきてくれたり、現場への移動中、ブランケットを用意してくれたり愚痴を聞いてあげたりと篠田の疲弊をどうにか和らげようと必死だった。

「青ちゃん、今が頑張り時だからね。キツイと思うけど頑張ろう。」
まるで自分にも言い聞かせるように篠田に事あるごとに言っていた。

しかし、そんな裏方の頑張りなど気にする事も無く、あたしが頑張ってる。あいつはこんな仕事しか取ってこない。声デカいし、ウザ。と日々感じていた。

 そんな日々に油断が生じるのは時間の問題だった。

 久しぶりの登校日、放課後に友人からカラオケに誘われた篠田。日々のうっ憤を晴らす絶好の機会だと言わんばかりにその誘いに乗った。場所は繁華街のカラオケで、食事も美味しくて内装も綺麗な少し広めの部屋だった。しかし、その部屋には先客が居た。

「あ!ホントに来た~!!」
「やべ~芸能人に会えるとかテンション上がるわ~」

うわ、見るからに脳みその内容積がゼロに近そうな男ばっかり。そう彼女は思った。

「あたし、帰る。」

篠田はせっかくの時間をこんな所で使いたくないと感じてそう言った。

「え?何?せっかく来たんだからさ、一時間位良くね?」
「そうだよ青~たまたま近くに居るっていうから合流しただけだし、ウチらも最近遊べて無いしさ~」

といった様子で必死に退室を拒む篠田の女友達。これは私をダシに使ってメンツを揃えたな?と察した篠田は仕方なく「少しだけね?」といって席に着いた。時間が経ってくると段々少しだけでは無くなり、すっかり楽しんでしまっている彼女の姿があった。

次の曲を決めていると、スマホが鳴った。河合からの電話だった。篠田は少し溜息を吐くと、「ごめんトイレ」と言って席を立った。

「もしもし、何?あたし忙しいんだけど。」
「あーお疲れ様。ごめんねちゃんと休めてるかなって思って。ここの所忙しいスケジュールだったし。」
「いや、じゃあ電話くんなし。寝てたらどうすんの。」
「ああ!そうかごめんね!でも心配でね。君は頑張り屋さんだから。」
「そういうのウザい。切るからね、じゃ。」ブツッ

休みの日には連絡しないでって言ったのに。そうイラつきながら部屋に戻ると、皆が異常なくらい高揚しているのに気づいた。そして匂いにも。

「青も飲む~?」

そう言ってグラスをぐいっと押し付けてくる女友達の顔はやけに色っぽかった。

「え?これお酒じゃない?」

篠田はゾッとした。幾ら自分が天下のJKだとしても決して法を犯すような事はしていなかったし、芸能人である自分の現状を鑑みてもまずい状況だと冷静に考えた。必死に拒否したが、男連中も隣に座り、下手な歌を歌いながら酒を飲んでいた。すると突然一人の男が篠田の手を握った。手を振りほどくと、テーブルに3000円を置いて、その部屋を飛び出した。気が付けば家に帰って、泣いていた。怖かった。そして女友達が少し会わない間に違う所に行ってしまったのだと感じたからでもあった。

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 数日後、真っ青な顔で楽屋に河合が入ってきた。

「青ちゃん。単刀直入に言うね。君の記事が週刊誌で出ることになった。」
河合は悔しそうな顔をして篠田と目線を合わせなかった。
「え、どんな記事?」
篠田は薄々分かっていた。でも違う答えが来るのではないかと期待してそうはぐらかした。
「内容は未成年飲酒、喫煙、の疑い。青ちゃん、違うよね?」
河合はじっと篠田を見た。
「違うの!あたしはそんな事してない!たまたまカラオケで、、皆が飲んでたからあたし逃げたんだよ!?」
「うん、解ってる。俺は信じてるから。俺は。」

その後すぐに事務所に呼び出された。社長を中心に会議室で6名ほどの大人と河合、篠田でこの件に対しての対応を話し合った。そんな事はしていないと篠田は必死に釈明をするのだが、結果として記事を取り下げることは出来なかった。

河合は篠田の芸能界入りから1年ほどだが、二人三脚でここまで頑張ってきたという気持ちが強く、事務所に猛反対した。篠田は自暴自棄になってしまったが、河合は業界の都市伝説を利用することにした。

それは、麦田という男との仕事。この男、基本的には風景画を撮ったり、紛争地域や戦地に赴くカメラマンだった。

しかし、麦田が担当した写真集は爆発的な大ヒットを起こすという訳では無いがその被写体となった芸能人を瞬く間にスターに伸し上げるほどの魔力があった。

だが、それには条件が有る。それはカメラの前で嘘をつかない事。

これは簡単な事ではない。自分のすべてをさらけ出して、本当の偽りのない自分を表現出来た者のみがスターへとのし上がっているのだった。

そう、逆に嘘をついてしまった芸能人はどうなるだろう。それは皆まったくという程売れず、仕事も来ない。

そんな業界での都市伝説の様な博打には簡単に手を出せる状態ではなくなっており、そのせいか麦田の担当する写真集はもうすでに10年以上無くなっていた。

最後に担当したグラビアアイドルも、のちに引退している。
今までの駄目だった人たちは、その後薬物使用でつかまったり、失踪、自殺などと散々なものだった。

そして成功した人は数人しかいない。そのうちの一人は売れないモデルから大女優へと転身し、連続ドラマで人気を博し、テレビに雑誌に引っ張りだこの時期もあったという。

それに河合は賭けようとした。それでだめなら俺も辞めるとの勢いで。それ程篠田に期待し、何かを感じていたのだ。

篠田は、それを断ることにした。私にはそれはできません。なぜなら自分にはそんな武器も無いし、さらけ出すなんてことできないだろうから。

河合は怒った。何故自分の魅力に気付かない。そばにいる俺が感じているものを誰よりも一番身近にいる自分が何故感じ取れない。自信をもてない。

あのスキャンダル疑惑があったからか?それは違う。元々の自分が他には勝てないのではないかという気持ちを吐露する大義名分がみつかったからというだけだろう。

「そんなことない。じゃあやってやる。」と啖呵を切った篠田。

そして麦田の10年ぶりの仕事が始まった。撮影は3日間 予備日を入れて5日間 場所は実家近くの公園。なぜこんなところに?ハワイとかじゃないのか?と篠田は困惑した。

麦田は「今の君の本心を撮らせてもらいたい。だから君が仕事をする前の、業界人になる前の君が見られる所を選んだんだよ。」と言った。

初日 途中で撮影は中止になった。

理由は話にならないからと麦田は言う。
怒って帰ってしまったのだろうか、かなり冷たい態度で去って行った

篠田はもう体の力が抜けてしまい、ボロボロと泣き崩れてしまった。
仕事の失敗をこの段階で感じ取ってしまったから。
レンズの前で嘘の自分が出てしまったから。

第一、嘘とは何なのか。その考えに至ってしまう程に。

そして二日目。謎の体調不良に陥った篠田は、現場に到着したものの、ぐったりとして、近くの病院に搬送された。

幸い病気ではなく、過度のストレスだという事で、点滴を打って翌日に退院することになった。夜になって河合と篠田は今までの事を思い出して話した。お互い泣きながら、明日で最後になるかも知れない。「ごめんな。」と彼は謝ると、「ううん、河合さんのおかげでここまで来れたんだもん、楽しかった事も辛かった事も良い思い出だよ。でも私、ただの思い出にして終わりたくない。」そう篠田は言って彼もただうなずいて帰った。

三日目 現場には篠田の姿があった。
麦田はその姿に驚いた様子で、「よし、撮ろう。」と言い撮影が始まった。

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 篠田はその時の事をうまく思い出せないようで、マネージャーとちぐはぐな思い出話に花を咲かせていた。

あの時の表情は真だったのか偽だったのか。
自分では思い出す事は出来ないが、今の自分の状況を考えるとそうだったのだと思う。

嘘から出た実。とでもいうのだろうか。こうやって今を生きている間で、まだ私の嘘は見抜かれてはいないのだろうと篠田は心でにやりと笑った。

「だってあたし女優だもん。」とでも言いたげな顔で。
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